U.光る石


 カリヨンの街には、図書館がない。小さな街である上に、隣接して大きな街があり、そこに王立図書館が立てられているお陰で、必要があると見なしてもらえないのだ。だが、実際は隣街との境には山があり、人の行き来などほとんどないに等しい。カリヨンの人々は、時々反対の隣街から雄牛に引かれてやってくる、のろのろとした移動図書館を唯一の読書の機会として利用していた。
 そんな小さな、書物の文化が根づかなかった街に、一年ほど前に突然できた古書屋が「アーク」である。人々の関心は高く、しかし誰もが不思議に思った。なぜここに、書店ではなく、あえて古書屋なのだろうかと。古書には確かに値の張るものも多いが、反対に安いものも多い。市場を独占できることが約束されたようなこの街で、あえて利益の不確かな店を構えたということが、まず人々の目を訝しげにした。そしてこの街には、売り払うほど本を持っている人間など到底いない。つまり、外から仕入れてこなくてはならないのである。
 なぜ、どうして。疑問は推測を呼び、推測は次第に噂となって、尾鰭背鰭を増やして瞬く間に街中を泳ぎ回った。成長を重ねていく回遊魚のようだ、とマリアは思っている。一度聞いた噂がもう一度帰ってくるころには、何だか心なしか大きく、恐ろしくなっているのである。
 アークの店主が怖々と噂されている理由には、そんなきっかけの他にもう一つ。彼の店の裏手にある窓はどういうわけか、夜が深くなるほど明るくなる、という理由があるようだ。蝋燭やランプの光と言えるような、ぼうっと明るいものでは全くないらしい。もっと、見たこともないような金色の光が天井のほうに溢れているのが透けて見えるという。マリアの父もそれを確かに見たというので、どうやらこれについては真実であるようだった。夜になれば明かりを消して、というのが常識のこの街で、驚かない人のほうが少ない。魔術師だ何だと、彼には随分たくさんの呼び名がある。もっとも、どれ一つとして本当に彼へ向けて叫べる人はいないのだけれど。
 「ねえ、お母さん」
 「何?」
 「光る石なんてある?」
 近頃マリアはそれについて、何度となく考えることがあった。金色の、見たこともないような光を放つもの。脈絡のない問いかけに、テーブルの向かい側で珈琲を啜っていた母が顔を上げた。マリアによく似た赤毛だが、くるくると癖の強いマリアの髪と違って、彼女の髪は水に濡れた鳥のように真っ直ぐだ。それを肩に触れるか触れないかの長さで、几帳面に切り揃えてある。
 「蛍石かしら」
 「蛍石?」
 「ええ、確か普段は薄い緑色をしていてね。暗いところに持っていくと、青色に光るのよ」
 母の口にした名称に一瞬目を輝かせたマリアだったが、すぐにそれが自分の思い描いた色合いと違うようだと分かって、小さく肩を落とした。当然かもしれない。母に訊いたくらいで答えが出るものなら、とっくに他の誰かが思い当たっているだろう。あれは、蛍石だ、と。
 「浮かない顔ね。何か調べもの?」
 「ううん、違うの。金色に光る石なんてあるのかしらって、ちょっと思いついたんだけれど。それだけよ」
 「あら、そう?」
 パンケーキを食べ終えて皿を洗い、水に濡れた手を拭く。考えたところで、ない知識は出てこない。あの日から、古書屋を訪ねた日から、マリアは自分の内に微かな好奇心が芽を出していることに、気づかないふりができなくなってきていた。秘密を約束したからには、簡単に誰かへ話すわけにはいかない。だが、密かに考えている。自分があのとき彼に届けた、落し物。あれは一体、何だったのだろうかと。
 「出かけてくるわ」
 「あら、どこに」
 「……散歩よ。夕方には戻るから」
 考えて、夜も少し遅くなるくらいには考えている。しかし、だからと言って古書屋を訪ねてみる気にはなかなかなれなかった。あのときは落し物を届けるという名目があって出向いた場所だが、あの店へ行ったことは結局誰にも話していない。話すのを、躊躇ってしまうくらいには噂ばかり多すぎるのだ。あそこの店主さん、林檎を買っていくんですってね。何のお呪いに使うのかしら、なんて、そんな話を耳にするたび、普通に食べるんじゃないかしらと言いたくなる気持ちを堪えることはしたが。
 「行ってきます」
 すべて自分の目が正しいとは、到底言えない。ただ、少なからず一度話したくらいでは呪われたり、怪しい儀式の実験台にされたりしない。それくらいは身をもって分かっているマリアは、林檎の入ったダンボールの横を通り過ぎて一人、外の空気でも吸って気分を変えようと玄関を出た。


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