T.古書屋「アーク」の物語


 店内に入ると、そこは異世界のようだった。円形の店の中心に天球儀があり、それを囲むように背の高い棚が壁に沿ってぐるりと一周している。天井が高い。どうやら左右両側に中二階があるようだ。天窓からは太陽の光が差し込んで棚に隙間なく並んだ書物をより一層セピア色めいて仕立て上げ、中二階の柵から吊るされた真鍮の星のモビールが、こんな昼だというのにその光と溶け合ってゆらゆらと揺れている。と、視界の隅を何かが横切った。痩せた、身のこなしのしなやかな黒猫だった。先ほどの物音はどうやら、人ではなくこの猫の飛び降りた音だったらしい。
 「何か、お探しの本でも?」
 マリアが店内に見入っていると、紙袋を拾い上げて戻ってきた彼がドアの近くのテーブルに荷物を置いて訊ねた。壁に打ち込んだ太い釘に、ポケットから出した鍵の束をかける。その声にようやく我に返ったマリアは、宙に彷徨わせていた視線を彼へ戻してええと、と口ごもった。古書屋独特の古びた紙と埃の匂いに、今更ながらに店内へ足を踏み入れてしまったと感じてどうしようかと迷いながらも、正直に口を開く。
 「あの、せっかく開けていただいて言い難いけど、私、本を買いに来たわけじゃないの」
 マリアの言葉に青年が、え、と小さく首を傾げた。マリアはそんな彼に、肩へかけたバッグの中から茶色い紙の包みを取り出し、手のひらの上で広げた。
「これを届けにきただけなんです。お店に落ちていて、もしかしたらあなたのなんじゃないかと思って」
 かさりと、紙の隙間から光が零れる。太陽の光を反射したものではない。正確には、光の粉だ。それを見た彼の目が、何かを確信したように丸くなるのを見て、マリアはやはりここに持ってきて間違いなかったようだとそっと胸を撫で下ろし、包みを一気に開けた。
 薄金色の、鉱石のようなものが姿を現す。絶えず細かい煌きを放つそれはわずかに揺れるだけでも光の粉を散らして、辺りの空気を色づけていった。マリアはそれを慎重に、できるだけ動かさないように、伸ばされた手の中へ返す。彼は慣れた様子で、マリアの手からそれを受け取った。
 「確かに、僕のものだ。探していたんです、店で落としたとは気づかなかったな……」
 「商店街の、三軒目。赤い屋根の青果店です。私、あそこの店のもので」
 「ああ、はい。何となくですけれど、覚えてますよ。貴女が拾ってくださっていたんですね」
 はい、と頷きながら、マリアは空になった紙を畳もうとして、彼の手がそれをテーブルへ置きかけて躊躇ったのに気づき、良かったら、と下に差し出した。ほっとしたように礼を言われ、大切なものだったようだと感じる。やはり鉱石か何かなのだろうか。そういったものへの知識は薄いので、もしかしたら貴重なものなのかもしれないが、マリアにはよく分からない。
 「どうしてこれが、僕のものだと?」
 「それは、あなたが出て行って何時間もしないうちに見つけたものだったから……それに、この街ってあまり、高価な輸入品なんかの出入りはないですもの。見たこともないものだったから、きっとこの辺りの人の持ち物じゃないだろうなと、思って」
 口に出してから、暗に余所者扱いをしてしまったような気がして、後半は声が小さくなった。だが、彼はそんなことより、目先のものが帰ってきたことのほうがよほど重要であり、喜ばしいことらしい。見つけてくださったのが貴女でよかった、と感謝されて、マリアは再びなんと言ったらいいか分からずに、いいえと口ごもった。
 珍しそうなものだったから、あまり人目に触れさせず持ち主の手に返したいと思っていたのだ。心当たりの一人目で正解を引くことができて、マリアのほうもほっとしていた。思い当たった人物が人物だっただけに、両親に訊ねてみることもできなかったもので、どうしようかと内心かなり迷ったのだが。それでもやはり、落としものは探されていると思うし、探している人がいるのならその手に帰るべきである。
 きらきらと、あんなに粉が散っていつかなくなってしまわないのだろうかと思えるほどに煌く何かを片手に持って、彼が言った。
「本当に、わざわざありがとうございました。すぐにお礼になるようなものがなくて……、ああ、紅茶はお好きですか?もし良かったら」
「あ、いえ。私、買い物に行くと言って出てきましたから、あまり長居はできなくて。そろそろ戻らないと」
「そうですか……、すみません、届けていただいたのに」
「お気になさらず。それ、大切なものだったんですね。宝石か何かですか?」
バッグをかけ直してドアへと向かい、開けてくれた彼に軽く頭を下げて訊ねる。今頃家では母が、買い物にしてはどこまで行ったのかと時計を見上げている頃だろう。あまり怪しまれて、商店街を探し回られでもしたら敵わない。最後にふと気になっていたことを訊けば、彼は少し言葉に迷い、呟くような声で答えた。
「……イメージとしては、宝石より隕石に近いと思いますよ。いや、宝石に例えられることもありますが」
「え?」
「まあ、そうですね。そんなものです。……あの、できたらこのことは、秘密にしていただけると」
答えづらいことを無理に聞こうとしたわけではなかったのだが、あまり良くない質問だっただろうか。歯切れの悪い返事にそんなことを察して、マリアは彼の言葉を遮り、口外しないと約束した。セピア色の眸が、ほっとしたように細められる。
 「それじゃあ、お邪魔しました」
 店から出るのにおかしな台詞だと思ったが、他に何と言ったらいいのか分からずに。ええどうも、と微笑んだ彼が、道を曲がるときにまだドアの傍へ立ってくれているのを見て、そっと頭を下げて商店街のほうへ帰っていった。


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