U.光る石


 マリアの家は青果店の奥に作られているため、玄関を出るとそこはすぐに商店街の中だ。二つでいくらだとか最近はどうだとか、昼下がりの商店街は買い物に来る人の少ないこともあって、品物のやり取りに混じって世間話の声も聞こえた。夕方は忙しくなる。食料品を扱う店先に出る女性たちは皆、夕食前の時間帯にこそ各々の店で働くため、井戸端会議ができない。よって自然とこの時間帯には、あちらこちらの店で、別の店のものであるはずの女性たちが固まっているのを見かけた。
 「ねえ、そういえば聞いた?古書屋さんの話」
 「今度は何?」
 「あそこの黒猫に、魚屋のレオくんが引っかかれたらしいわよ。なんでも見かけない猫だと思って追いかけていったら、あの店に入ろうとしたから、尻尾を掴んだらって」
 「仕方ないわね、子供だもの。怪我は?大したことないの?」
 耳に入ってしまった話に、思わず歩みが遅くなってしまう。だがその先は黒猫の話からそれを飼っている主人の得体が知れないという話に変わり、いつもの通りの根も葉もない噂話へ流れていったので、どうやら魚屋の息子の怪我は噂の種で済む程度の軽いものだったらしい。尻尾を掴んだら、どこの黒猫だって、黒猫でなくたって抵抗の一つくらいするというものだろう。マリアは頭の中に、あの細い黒猫を思い浮かべた。確かにあれは、魅惑的に揺れる長い尻尾を持っていた。
 「……」
 猫を思い浮かべたことが引き鉄になって、その周りにあのとき見た古書屋の景色が広がっていく。セピア色を基調とした、天窓の美しい店だった。あんなに綺麗な店を、マリアは見たことがなかった。マリアだけではない。きっとこの街の多くの人間が、足を踏み入れたら驚くことだろう。こんな街の外れに、こんな心惹かれる場所があったのかと。学校に通っていた三年間は山の向こうの隣街に下宿していたが、あの頃だってあんな店には出会わなかった。
 噂話をする声は、いつの間にやら聞こえなくなっていた。振り返れば一本道の商店街だ、小さく女性たちの固まっているのが見える。だが、聞こえない。
 マリアはそっと誰も近くにいないことを確かめると、角を曲がって奥の道へ入っていった。ここから古書屋へは、五分とかからない。行って、どうするのだろうと自分でも考える。買い物がしたいわけでも、それどころかもう一度あの店内が見たいというはっきりした意思もない。入るかどうか、決めかねていた。前回同様、開いていない可能性だって高い。たまたま訪れてみたら留守にしているような人だ。ドアに手をかけてみて、開かなかったら帰ればいい。マリアはそう自分に言い聞かせるようにして、わざと早足に道を歩いた。ただ開いたときのことは、考えてもどうしたいのか分からなかったので少し目を瞑った。


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