Z.トウミツ祭の奔走


 隙間なく並べられた大きさも素材も様々な袋が、触れ合うたびにかさりと音を立てる。微睡むような陽射しの深まる午後、マリアはトウミツ祭の菓子を山のように載せたワゴンを押して商店街を回っていた。いつもより多かった上に、古書屋へ通っているという噂を自ら肯定するようなことを言ってしまったこともあって、受け取り手を心配していたがそれは杞憂だったようだ。街の人達は表面上、いつもと変わらずに菓子を受け取っていったし、良ければもう少しと勧めると礼を言ってもらってくれた。ただ、皆視線は菓子よりもそれを配るマリアのほうへ注がれていたのだが。おそらく本当に何事もなく帰ってきたのかと、そんなことを考えられているのだろう。
 マリアはその視線に気づくたび、微かに首を傾げて微笑んだ。反応は十人十色で逃げるように帰っていった人もいたが、皆各々に何かを思ってくれたのか、中には一言だけ、この街のいいところは皆が知り合いなところで、悪いところは外から来た人に怖がりなところね、と言っていく人もいた。もっともそんな人はたった一人で、多くの人は慌てて目を逸らすか困惑したように愛想笑いを返す程度で、足早にマリアの前を離れていってしまったが。
 「……」
 そろそろ誰も、配り損ねた人はいなくなっただろうか。クッキーの袋と蜂蜜のケーキが一つずつ余ったが、これくらいの誤差はいつものことで、自宅の分だと思えばいい。ワゴンを回し、家へ向けて押して帰る。倉庫の奥まで片づけるのが少し大変だな、と思いながらも毎度のことなので、仕方ないかと億劫に思う気持ちを振り切って倉庫のシャッターを開けようとしたとき、道の先から見覚えのある子供がこちらを目指して走ってくるのが見えた。
 「マリア!」
 通り過ぎていくと思っていた少年が、自分を呼んだことに驚く。魚屋の息子のレオだった。先日の噂で頬をノアに引っかかれたと言っていたが、傷の痕は見当たらない。綺麗に治ったならよかったと、思わずぼんやり顔を眺めてそんなことを考えながら、少年の目線に合わせて身を屈める。随分と急いで走ってきたようだが、何か用事だろうか。
「なあ、マリア。マリアのうちの階段、上がってもいい?」
「え?階段って、ああ、裏の?別にいいと思うけど……、どうして?」
咄嗟に家の中の階段を思い浮かべてしまって、返事が一拍遅れた。裏階段のことかと思い当たったものの、返事を待つレオのきらきらとした目に、首を捻らずにはいられない。階段の先にあるのは、二階へ繋がったドアだけだ。ベランダでもあるのならともかく、男の子はおろか、人が見て喜ぶようなものは何もなかったはずなのだが。
 「あのさ、猫がいるんだよ!真っ黒な、あの本屋の猫なんだ」
 そんなマリアの様子に構わず、興奮したように答えられた言葉に、マリアは思わず目を見開いた。頭の中にぽんと、よく知った黒猫が浮かぶ。
「ノアのこと?」
「ノア?そういう名前なの?おれね、餌を持ってきたんだよ」
「餌?」
「そう、この前怒らせちゃったからな。仲直りしようと思ってずっと探してたんだけど、なかなかいなくて」
レオは話しながら、ポケットへ手を入れてビスケットを取り出した。何軒か先の駄菓子屋で売っている、ミルクのマークがついたビスケットだ。人間の子供用の菓子だが、もしかしたら自分の分を分けてやろうと取っておいたのだろうか。口の開いた袋を見てそんなことを思い、マリアは屈めていた体を起こす。
「階段なら、好きに上がっていいわよ。私もすぐに行くけど、先に行ってて」
「サンキュ!下で呼んだのにちっとも来ないから、上がりたかったんだ」
「え?」
「こっち来いって、何度も呼んでみたんだけどさ。なんかずっと、ドアに向かってカリカリやってるだけで、こっち見もしないんだぜ」
ノアがここまで遊びに来ているとは、思ってもみなかった。こちらを片づけてから一目見に行こうとワゴンに手をかけたマリアだったが、駆け出し際のレオの言葉にふと顔を上げる。
 ―――呼んでも下りずに、ドアを?
 ノアは、大人しい猫だ。レオを引っかいたというから大人しいだけではないのだろうが、店にいてもあまり自己主張をしない。いつの間にかいて、いつの間にかどこかへ行っている。そんな印象だった。その猫が、見知らぬ家のドアを開けたがるのだろうか。そう考えたとき、マリアの中にはっとするような予感が駆け巡った。
 「レオくん!」
 「え?」
 「やっぱり私も一緒に行く!」
 ワゴンを投げ出すようにして、マリアは家の横を通り抜けようとしていたレオを追いかけて駆け出した。偶然かもしれない。何のことはない、動物の気まぐれだと思う。だが、ノアは前に一度、マリアとジルについてきてこの家を知っているのだ。あの、星を空に返すのを見に抜け出した夜のことである。あのとき、マリアは裏階段から家へ戻った。
 「どうしたんだよ」
 「レオくん……、あのね」
 「ん?」
 「もし、ノアとの仲直り……、この次になっちゃったら、ごめんね」
 「え?」
 ノアがマリアについてきたのは、あの一回きりだ。あれ以降にもそれ以前にも、マリアはこの辺りでノアを見かけたことはない。もしも、偶然でないとしたら。ノアは、自分を探しに来たのではないだろうか。


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