祭りの始まりを待つように、楽器の音が絶え間なく流れていた。準備をする人々に交じって多くの弦楽器や打楽器、笛がそれぞれに自由な練習を繰り返しているせいで、音楽は野生の音のように纏まりなどなく森を満たしていた。けれど不思議と嫌な心地はしない。鈴の音が聞こえる、こんな騒々しい中で、と思って振り返れば、数人の大人たちに囲まれた幼馴染の少女が目に入った。
 「シャティ」
 薄く、蜻蛉の翅のような衣装を身に着けた彼女は長い髪を下ろして化粧を施し、心なしかいつもより大人びて見えた。慣れない様子でぎこちなくこちらを見上げた彼女の、貝のような瞼から影を落とす睫毛に、鱗粉のような光が降り積もっている。常夜草の花を擦って滲ませた藍色が、澄んだ目許を縁取って綺麗だった。
 「あとは髪飾りを付けるだけだな」
 片側に立って祭りの篝火に使う大樹の枝を用意していた叔父が満足そうにそう言い、彼女の母が抱えていた白い布を広げる。中には葡萄の房が五つと、蔓や花がたくさん入っていた。瑞々しい香りが漂うそれを、大人の女性が三人がかりで彼女に飾り付けてゆく。
 「重いわ」
 「それは仕方ないわよ」
 居心地悪そうに苦笑いして呟いた彼女に、母たちは笑って作業を続けた。それとなく手の足りなそうな場面で手伝いながら、僕も彼女の呟きに内心で同意する。彼女を飾っているのは葡萄の他に、両手首や足首、首、耳と至るところで音を立てている金環だ。さぞかし重いだろうと思うのだが、彼女は気丈にも手首を上げてみては、三つ並んだその金環が肘へ落ちてきらきらと鳴るのを眺めていた。ドレープに包まれた腰の金環に、蔓を通して葡萄を一房飾る。髪を飾っていた女性たちも、ようやく終わったようで一斉に手を離した。
 わあ、と誰からともなく感嘆の声が漏れる。淡い栗色の髪を絡ませて葡萄は鮮やかな赤紫を放ち、深い緑の葉と蔓と、白い花に包まれた彼女がそこにいた。大人たちと同じように声を上げたつもりだったのだが、僕のそれは声にならなかったらしい。
 目が合うと、彼女は微かに笑ってこちらへ歩み寄り、小さく訊いた。
「……似合う?」
内緒話のような声に、僕はようやく呼吸を取り戻して答える。
「うん、すごく」
それを訊いた彼女は今度こそ深く微笑んだ。

 そして祭りの始まりを告げる笛の音が鳴り渡り、鈴の音がそれを三度追いかけ、音楽が始まる。篝火を持った家長たちが降り出した霧雨の中を歩き始め、今年も祭りは例年通りだ。この祭りは必ず、秋の長雨の薄れた午後に行われると決まっている。
 これはその昔、村を日照りが襲った夏の終わりに、どこからか傷だらけで迷い込んできた娘が倒れていたのを介抱したという記録に基づく祭りであり、伝承によれば彼女は自分の名前さえ明かさなかったというが、穏やかで歌の上手い娘だったという。彼女を介抱したのは村の老婆で、ある晩その老婆は眠りについた彼女の身体が仄かに輝くのを目にしたそうだ。歳のせいか目がおかしくなったとばかり思ったのだが、その翌朝に部屋を開けると彼女は居らず、探しにゆこうと外に出れば、数カ月ぶりの雨が降り出したという。柔らかな雨は不思議に輝いて老婆を濡らさぬように降り、辺りの土地を潤して、干からびた時間を取り戻すように植物を成長させた。
 これはそんな古の伝承に基づく、雨乞いの祭りなのである。そしてその主役、雨を司るとされる娘を今年演じるのは、紛れもない僕の幼馴染なのだ。
 俄かに、雨が強くなった。広場を沸き立たせる歓声に、ゆっくりと瞼を持ち上げる。
 シャティだった。麦を交ぜた花束を両手に抱えて観衆へと配りながら進む女性たちの中心で、鳥の巣を模し枝を編んで作られた小舟に乗り、近しい血縁者に担がれて広場の中央へ向かってくる。初めは遠くてよく見えなかった姿も、近くなるにつれてはっきりと目にすることができた。
 穏やかな笑みに、驚く。柳の枝のようだった彼女の中に、名も知らぬ雨を司る娘を垣間見た気がした。金環が幽かな光に煌めく。僕の飾った葡萄が、下で担いだ人々の歩みに合わせて揺れている。
 祭りの衣装に身を包んだ彼女は葡萄と共に霧雨に叩かれ、紫の氷砂糖のように、微かに輝いて見えた。長い髪に括られた花が、淑やかに頭を垂れる。その花が一輪、地面に落ちて彼女が緩やかに両腕を挙げ、雨を受けるように指を組んだとき、僕はこれまでになく心から彼女を美しいと思った。


紫水の子




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