絶えず私は吐き出し続けなければならない。この手のひらから、意識の内から、心の海から。突き刺さるように美しく、目映く大切なものたちをひとつ、またひとつとビイズの海に投げ出すのだ。壊れてゆく様を見ることがないように。ものの終わるその瞬間というのは、総じて虚しく、抉られるように寂しい。
 ならば、見なければいい。
 元より手に入れるのも自由だったものたちなのだ。手放すのが強制であるも自発的であるも、自由なはずである。選択の権利は私にあり、彼らは皆文句を言うこともない。ただ黙って、傍らに置き続ける幸福感と引き換えに末永く傍観するための気の長い別れを受け入れて、ビイズの海へと沈んでいった。私はその色取り取りの海ごと、彼らを愛する。幼い頃から習慣化していったその日常的な儀式は気づけばだんだんと拡大して、クッキーの空き缶ほどだった海は、今となってはこの部屋ひとつである。水嵩は常に増し続ける。私が生活を続けてゆく限りは。
 日曜日、午後三時。今日も私は大切なものとあり続けるために、大切なものを手放す。カチ、コチ、と手の中で動き続けるそれを見た。毎日枕元で朝を知らせる、古びた目覚まし時計。近頃音が小さくなった。息が止まってしまう前に、ここで綺麗な化石に変えよう。
 私は屋根を登って天窓を開け、眼下のビイズの海を見下ろした。ミリ単位でさざめくビイズが午後の光にきらきらと反射して、本物の海のように眩しい。そのカラフルな波間から、見覚えのあるものたちがいくつか顔を覗かせていた。茶色い絵本、革のブックカバー、銀の手鏡、兎の縫いぐるみ、ガラスの飴。どれもこれも、私の愛する大切なものたち。底にはもっとたくさんの思い出が埋まっているはずだ。今は見えなくなっているが、例えば五年前の夏の貝殻、偽物の紅い石。姿が見えなくなるのは残念だけれど、そんなのは私が記憶をしっかりと握り締めておけば良いのだ。失ってしまったら、壊れてしまったら二度と戻らない。そこにあると分かっていれば、会いたいときにはいつだって、ずっと。
 日曜日、時刻は三時を少し過ぎてしまった。私は手にした目覚まし時計を一度、きつく胸に抱いてビイズの海へ投げる。ざ、と音を立ててそれは部屋の中央近く、やや左寄りに落ちて重みで半分ほど埋まった。揺蕩うようなその静けさに、一人、満足感と虚脱感に襲われて膝を下ろす。
 絶えず私は吐き出し続けなければならない。この手のひらから、意識の内から、心の海から。突き刺さるように美しく、目映く大切なものたちをひとつ、またひとつとビイズの海に投げ出すのだ。壊れてゆく様を見ることがないように。依存、と、ある医者はそれを称して私に言った。失うことを想像して、怖れるあまり安全な場所へ追い込み、自分の手さえ簡単に触れられないところで存在し続けることを望む。また別の医者には、生きているものを愛するという感覚はあるのだろうかと問われた。答えを無理に出すことはないと諭され、それについては今となっても完結していない。
 ただ、ひとつ。分かることはといえば、私は絶えず何かを得て、そして失い続けているということだ。そしてそれは、常にこの手の中に、より深くこの手のひらの中に。守ろうとするほど近く、届かない場所へ離してしまう。好きなのに、傍に置いておくという選択ができない。私の手が、足が、もし彼らを壊してしまったらどうしよう。時間を戻せない私には、硬い床と歩き回る生き物である自分がある空間に、彼らを置いておくことが恐怖で仕方ないのだ。だからいっそ、触れることはできなくてもそこに存在してくれればと、この部屋にビイズを敷き詰めてすべてを埋めることにした。別れの決意と微かな寂しさが塵のように長い時間をかけて積もってゆく、そのパラフィンのような薄暈けた疲弊に目を瞑って。
 心の地底で、何かが爆ぜた。
 日曜日、時計を埋めてしまったから時刻は分からない。眼下の部屋は物心ついた頃から流し続けたビイズで満ちて、ドアノブを隠してしまっている。外へ繋がるのは天窓しかない、その小さく大きな海を見つめて、私は足元の窓枠を蹴った。空気が、外の澄んだものから晴れた日の屋内独特の、白い木の匂いに変わる。ワンピースが舞い上がり、剥き出しになった素足に引きずり込まれた風が絡んで熱を浚った。瞬きをする暇もなく、視界に鮮やかな色が迫ってくる。ざ、と何度も聞いてきた音を立てて、今までで一番大きなものを私は投げ込んだ。
 手足に飛沫のようなビイズが触れる。そっと起き上がれば上には開いたままの天窓が見え、絵に描いたような青空と白い雲が眩しかった。視線を下ろして、辺りを見回す。記憶に囲まれたように、懐かしいものがそこかしこに見えた。足を動かせばさらさらと流れ落ちるビイズの中に、ずっと埋もれていた思い出をまたひとつ見つけることができた。薄れかけていた記憶の姿と何ら変わらないそれを抱き、私はどこからか聞こえてくる時計の音が心地好く遅れていくのに微笑みながら、鮮やかなビイズに沈んで眠った。


宝 石 箱 に 溺 れ る 魚



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