境界線なんてなくなればいい。


右か左。0か1。白か黒。

それだけが世界の全てじゃないと、僕は思う。いや、思いたいんだ。

ねぇ、黒と白を混ぜれば灰色になるみたいに、僕らはまじりあうことはできないの?

白でも黒でもない新しい関係を、作ることはできないの?



善とか悪とか。





どうでもよくは、ならないの?













「はぁ………」


憂鬱な二酸化炭素を吐き出しながら、僕はキーボードをカタカタと叩く。

どんなに心が沈んでようと、1日は巡る。気落ちしてても仕事をしなければ僕は生活できない。貧乏な正義の味方なのだから。


「……緑川さぁ、まだ引きずってるわけぇ?」

「……………」

「………シカトかよ」

「おい、桃城!」



赤星さんの諫める声が小さく響く。そんな中、僕は後ろでコピー機を使用している桃城さんの、ジットリとした視線を感じていた。

それでも何も言わない僕に対し、向かいのデスクからも、もう一つ同様な視線がなげつけられる。

何も言わないが、何か言いたそうに瞳を揺らす黄戸くん。

嫌だな。ああ、嫌だ。嫌だ。


部屋にいるみんなの沈黙と視線が重いよ。青木さんはいないけど、3人分のそれは僕には耐えきれそうにないよ。



ねぇ、その視線の含有物は、心配?同情?それとも呆れ?


どうせ馬鹿だと、思っているんだろう。敵と、しかもその親玉と親密になったあげく、利用されていただけだと、みんな思っているのだから。

でも、違う。違うんだよ。

『ごめん』

あの時囁かれた言葉が、頭から離れないのは、僕が信じているから。

あの人を。黒瀬、さんを。

僕の、好きな人を。





「…………なんなんですか。引きずってたら、ダメなんですか」



零れた。それはずっと言いたくて、でも『仲間』だと言ってくれたみんなには言えなかった言葉で。



「僕はあの人がっ………、あの人と、いたかったんです!敵とか関係なかった!」

「てめぇ、まだそんなこと言ってんのかよ!いい加減目ぇ覚ませ!」



バンッと桃城さんが僕のデスクを叩く。口調の変わった桃城さんに苛立ちを感じた。怒ってる。でも、僕は止まらない。止まれない。

会いたいと、寂しいと、それに知らないふりをするには、この恋は大きすぎたんだ。


知らず知らずのうちに俯いていた顔を僕はキッと真横にきた桃城さんへ向け、歯向かうように立ちがある。


気持ちは、張り裂けそうでどうしよもない。



「僕はあの人が好きだったんですよ!」



その言葉に、桃城さんが目を見開く。



「は………それ、正気かよ、お前…」

「僕は、冗談や酔狂であの人に会ってたわけじゃなかった!」

「お前は馬鹿か!あいつは悪!俺達は正義なんだぞ!」

「それがなんですか!それがそんなに大切ですか!」



ほら、また。

正義とか、悪とか。

また、そんなことをみんな気にするんだ。



「――――……正義とか悪とか、そんなもの関係なかったのに、あんた達が、それを勝手に壊したんじゃないですかっ!いつもいつも僕を空気扱いして、役立たずって思ってるくせに、どうしてこんなときだけ構うんですか!放っておいてくれればよかったのに!ずっと、どうでもよく思ったままでいてくれれば!」


「緑川!」



怒鳴るような赤星さんの声、それが聞こえたと同時に頬に感じた一瞬の痛み。

パシン、と乾いた音がした。


「どうでもよくなんか……!」


そっと手を這わせた頬は熱を持っていて、ああ、叩かれたんだと僕はぼんやりと痛みを認識する。



「どうでもよく思ったことなんて……ないっ!」



どうしてか、目の前にいる僕を叩いた桃城が、僕よりも痛そうに顔を歪めていた。


「心配したのが、そんなに悪いのかよ!じゃあ心配させんなよ!俺達に心配させないように、しっかりしろよ!」



涙声で怒鳴られたその言葉に、僕はガツンと殴られたような気分になる。


僕はたしかに、ずっとずっと憂鬱で悲しくて、それを隠しもせずにいて。だから、みんなが心配するのは当たり前で、構ってほしくないなら普段通りでいればよかっただけで。

結局、僕はただ甘ったれだっただけで。



正義とか悪とか関係ないなんて言いながら、正義の味方をやめるわけでもなく、曖昧な立ち位置でずっといたわけで。

それは、黒瀬さんも、同じで。

彼も、悪のままでいた。

だから、こんな結末。



「………すみません、でした」


謝罪は、誰に向けてか。

自分にもわからないほど、僕の胸は罪悪感にみちていた。


だけど、小さく芽生えたものもある。


「心配、してくれてありがとうございました」


ぎこちなくそう言うと、桃城さんは不機嫌そうに目をそらし、赤星さんはほっとため息をついていた。

黄戸くんがやれやれというように肩をすくめていたのが目の端に移り、年下の彼に、みっともないものを見せてしまったなぁと申し訳なくなる。



「僕、ずっと不安だったんです」



俯いて、内心を吐露するのは彼らに罪悪感しかないから。

でも、仲間だから、言いたい。


僕の本音。



「僕はやっぱり正義の味方で、だから、それにずっとこだわってて、僕から正義の味方っていう要素がなくなるとそれは僕じゃないっていうか、そんな、感じにずっと思ってて……」



関係ないなんて言って、一番こだわってたのは、僕自身。

彼はきっと気付いていた。だから彼は、あんな別れ方を選んだんだ。

僕を『正義の味方』のままでいさせるため。

あの居酒屋で黒瀬さんと飲んで、笑いあうただの『緑川』という青年にさせないため。



「だから、正義とか悪とかどうでもいいって、最初に言ったのは彼だったのに、僕がずっと線をひいてたんです」



思い返せば、彼はずっと僕にサインを送っていたのだと思う。正義とか悪とかどうでもいいと、最初に言ってきたあの時から僕にそれにこだわりすぎるな、と。

気付かなかった。いや、僕は気付きたくなかったんだ。



「境界線をなくしてしまえば、僕は僕でなくなる。僕の価値がなくなる。…………無価値な僕に、彼が一緒にいてくれるのか、僕は不安だったんですよ」



正義の味方としてしか、彼と話せなかった。彼との話題なんてそんなものしかなかった。それ以外何を話せばいいのか分からないから。


今ならわかる。彼はあの別れ方を選んだのは、自分と僕を、加害者と被害者にしたかったんだ。きっと。


僕が正義の味方にこだわっていたから。



「本当は、正義とか悪とか関係ないなんて、僕が言えたことじゃなかったんです。……僕が一番こだわってた。彼は、だから悪のままでいてくれたんだ」



言い終えると、桃城さんが僕を鋭く見据えていた。



「………お前は、無価値なんかじゃないと思うよ」

「……え…、あ、ありがとう、ございます?」

「それは、みんなも思ってることだから」


それだけ言って、不機嫌そうに桃城さんは事務所を出ていく。受付に戻ったのだろう。けれど、不貞腐れて出ていったたようにも見えた。


黄戸くんが、ため息をつく。


「お前、結局あいつのことは諦めらんねぇのか」

「………うん、そうだね」

「そうかよ」


そうして、彼もまた席を立つと事務所から出ていこうと、唯一の出口へ向かう。


「お前がそんなに主張すんの、初めてだよな。いっつも流されて、自己主張なんてしなかったのによ」

「……ごめん」

「いいんじゃね。別に。相手が悪の組織っつーのは、たしかに心配だけどよ。こんだけ言って、ダメなら、お前もう諦めねーんだろうし、俺はもう止めねぇ。境界線なんて、何本でも飛び越えちまえよ、馬鹿野郎」

「え……」

「ただ、マジでどうしようもなくなったら、戻ってきたっていい。文句なんか絶対、言わねぇって約束してやる。あいつがお前をまた裏切ったら、今度こそ会った瞬間に俺がぶん殴るから安心しとけ」


パタン、と扉が閉まる。僕は呆然とそれを眺めてしまった。


みんな、何を言ってるの?

赤星さんがそんな僕の肩をポンと優しく叩く。


「正義の味方じゃなくても、お前は俺達の仲間だ!……そう言いたかったんだよ、あいつらは」

「赤星さん……」

「悪かったな。お前がそんなに本気で相手を思ってるなんて、わからなかった。お前が傷つけられるんじゃないかって、それしか俺達は考えなかった」


赤星さんはハの字に眉を下げ、情けない顔で笑う。


「俺もお前の立場、考えてみた。俺も……たとえ誰もが反対しても、どんなに痛い目にあうんだとしても、青木と一緒にいてぇって思うわ。だから、もうお前のこと、俺は止めない。でも、ずっと待っててやる。いつでも帰ってきてもいいから。黄戸も、桃城も、そう言ってんだ」


赤星さんは、兄のような人だと思う。

こうして僕の背中を押してくれて、僕の帰りを待ってくれようとしてくれるのは、彼しかないないじゃないか。


だから僕は、兄のようなこの人に対して泣きながら頷くしかなかった。

はい、と涙混じりに返事をするしかなかった。






黒と白は、それだけじゃ灰色にはなれない。

混ぜ合わせてくれる筆があるから、灰色に変われるんだ。





正義とか悪も、きっと、同じ。


END


 

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