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戦略的撤退!!

おかしい。

そう思いはじめたのはこの数日だった。

いつもは私にまとわりついてくる駄犬こと黄瀬涼太がこの数日の昼休み、私の元へ全く姿を見せないのだ。
今まで昼休みは勿論、授業合間の休み時間も二回に一回は私のクラスに来ていたのに…
勿論一緒に帰るし、その時には手をつないだりキスをしたりする。
けれど、どーもおかしい。

「最近来ないねー、あんたの旦那」

友達の揶揄にさえ反応してしまうほど、気になってしょうがない。
さあ、知らないと返したものの、少し不安になる。

「気をつけなよー、あいつ顔だけはいいからねー」

そんなことは分かっている。
駄犬の癖に、スポーツになった瞬間なんでもパーフェクトにこなし、雑誌で見かける彼の顔は作られたものとは言えど、やっぱりかっこいいわけで。
もやもやとした不安が抑えられないほど心に広がっていくのが分かった。
そんな私を見ていたからか、

「あー、私教科書忘れた。だからあんたの貸してよ」

友人はそう言ってひょいと私の机の上にあった教科書を取り上げた。

「へっ?ちょっと…」

「早くしないと授業遅れるよ?」

完璧な笑顔を浮かべ、パチンとどこぞのモデルさながらのウインクを一つ。

「あんた、楽しんでる?」

そう問えば

「まあね、でも、なんとなく理由は分かるから」

ほら、早く行った行ったと笑った。

時計を見ると、次の時間が始まるまであと五分。
私は立ち上がって三つ先の教室へ向かった。
少し、心が踊るのを感じながら…

だが、それは呆気なくぶち壊される。

「きゃー、黄瀬くん!!」

「ねーねー、どんなお菓子がすき?」

「好きな映画は?」

沢山の女子に囲まれ和気藹々と話す駄犬を発見。
イライラする。
本当に見ててイライラする。
でもこの調子じゃあ教科書は借りられそうにない。
しょうがない、さつきちゃんに借りてくるか。
ため息を一つ零して帰ろうと踵を返すと

「あー、名前ちんだー」

頭上からの間延びした声が私のあだ名を呼んだ。
そんなあだ名で私や皆を呼ぶ人を、そもそもそんなに高いところから私の名前を呼ぶ人を私は一人しか知らない。

「あ、紫原」

眠そうにお菓子を食べている彼は相変わらず何を考えているのかよく分からない。
いや、多分お菓子とバスケのことくらいしか考えていないと思うけど。

「ちょうどよかった、ねえ紫原英語の教科書貸してよ」

「えー、俺持ってねーし。黄瀬ちんに借りれば?」

そう言って、私が止める前に黄瀬ちーん、と大きな声で呼んでくれたもんだから、私に注目が集まる。
あー、もう最悪だ。
こいつの事をあてにするんじゃなかった。
そう思いながら、軽く恨みのこもった目を紫原に向けたがシカトされた。
ふざけんな。

「名前っちー!!」

語尾にハートが付きそうな勢いで駄犬が飛んで来たから、抱きしめようとした手を避けてやった。
あ、ドアとこんにちはしてる。
でも私の知ったことじゃない。

「ちょっ、なんで避けるんスか!?」

「知らない。自分の胸に聞いてみれば?」

ああもう、こんな筈じゃなかったのに。
もっと可愛く教科書を借りて戻る予定だったのに。
こんなのただの嫉妬深いめんどくさい女じゃないか。

じわりと涙が浮かんだ気がしたが、知らないフリをする。

「名前ちん、教科書借りに来たんだってー。でも黄瀬ちん囲まれてたから、俺に貸せってー。でも俺持ってねーし。」

ああ、この男は一体なんなのだ。
人の知られたくないことをペラペラと…
俯いて唇を噛む。

「え、もしかしてヤキモチ?」

羞恥に顔が染まる。
恥ずかしい。
嫌われたらどうしよう。
頷くことも逃げることもできずに、ただぎゅっとスカートを握りしめた。

「名前っち…」

低い涼太の声に目をつむると…


「かっわいいーーー」

ぼふっと今度はしっかりと抱きしめられてしまった。
ぎゅうぎゅうと抱きしめられて少し苦しい。

「俺待ってたんスよ、ずっと。名前っちに自分から会いに来て欲しくて。でもなかなか来てくれないからもうそろそろ限界だったっス」

すりすりと私の首筋に顔を埋める涼太。
本当、まるでわんこだ。

「私のこと、嫌いになったわけじゃないの?」

確認のためそう尋ねると、嫌いになるわけないじゃないっスか、と返された。

「押してダメなら引いてみろってやつッスかね。まあ、戦略的撤退ってことっスよ」

私を離して笑う涼太はそれはそれはかっこよくて…

顔が染まって恥ずかしくて…

ぐるんと、踵を返して自身の教室へ向かって走り出した。

「ちょ、名前っち!?」

後ろで驚いたような声がしたから

「戦略的撤退!!」

と叫んでやった。


ああ、なんで素直にかっこいいって言えないんだろ…

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企画「君よ、愛しき馬鹿であれ!」様に提出

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