8.僕はただのマルでできてる

男は仰向けに寝転んでいた。だが、どうして自分が大の字で青い空を眺めているのかはわからなかった。砂漠地帯といってもオアシス都市の地面はそれなりに固いし、身体中がずきずきと痛むこの状況でなぜこんなところに横たわっているのかはわからないが、ただ─――負けたのだと、頭のどこかで理解していた。

「お兄さん、大丈夫?」

まるで天使のように可愛らしく、幼い声。顔を見ればなるほど、天使のように無垢な瞳をしている。ただその色は血潮のように真っ赤で、自分に仕出かしたことと髪の色も合わせればまるで悪魔のような風貌だけれども。あ、そうか、思い出した。

「俺はお前に負けたのか」
「そうだよ」

男を剣で打ち負かした少年はにかっと笑った。白い歯が眩しい。案外良いところの出だろうか、と考えるほどの余裕が男にもできつつあった。

「強いな坊主」
「お兄さんも強かったよ。いい決勝だった」
「こんないい歳したおっさんを捕まえて『お兄さん』か」
「まだまだ若いよ」
「そう言ってもらえるとうれしいねぇ……あたた、体起こせねえや」
「あらら、打ち所が悪かったか。ごめんねお兄さん、お兄さんが中途半端に強かったから手加減できなかったみたいだ」

気取った様子のない少年を見るとどうやら本心から出た言葉らしい。褒められているのか貶されているのか分からず、男は反応に迷った。迷った末にとりあえず体を起こして貰おうとしたが、それも格好がつかないので「……そーかよ」と開き直って寝返りをうつことにした。

「賞金は貰っていくね」
「もうお前の金だ。好きにしやがれ」
「じゃあお兄さん、お大事に」

男が気を失っている間に賞金は受け取っていたのか、少年の足音が男の周りを右往左往することはなかった。路上で眠ってるバカを待つとは変わったやつだ。遠ざかっていく足音を聞きながら、男はもう一度目を閉じた。







たまたま路傍で行われていた剣闘試合に乱入した結果、参加者を全員昏倒させて優勝をもぎ取った紅燭は、賞金で手に入れたラクダを走らせていた。
頭にはターバン、足元は平たい靴、男物の服に砂よけマント。紅燭は今、『旅の少年』に扮装している。最初切ろうとした長い髪は、ギリギリで紅覇が悲しむと思い直し、纏めてターバンに突っ込むことにした。あわや皇女としての尊厳を損なうところだったということに彼女はまだ気づいていない。

チーシャンを出発し、やがて中央砂漠を出て、それから暫くの旅路に特筆すべきことはない。夜は賞金の残りで宿をとり、日も出る前に朝食を食べ、休憩と軽食を挟みながら馬で移動をし、都市がない場合はそこらで野宿をすることもあった。練紅燭のことを知る者が聞いたら真っ青になるような生活である。

紅燭には急がなければならない理由があった。それは、彼女の妹である練紅玉がバルバッドの国王の会見をするのに付き添うことである。
まだ前国王が国を収める頃に、紅燭はあそこの第一王子を見たことがある。それはもう酷い豚だった。贅肉に包まれた見た目だけでなく、性質までもが丸々と太った豚なのだから救いようがない。紅玉には申し訳なくてそのことを話せていないが、せめてもの罪滅ぼしにと、紅燭は彼女の結婚相談に乗ることを約束していた。

バルバッドまでの地図を確認した紅燭は、会見の数日前には目的地に着くだろうと目測して安堵の息を吐いた。むしろ飛ばしすぎたのかもしれない。1日ぐらいはゆっくりしてもいいよね。そう考えて普段より遅めに起きてきたある日、彼女は宿裏の柵に括りつけたラクダ用の紐がずたずたに切り裂かれているのを見つけた。

「……黙ってたバチが当たったのかなあ」

愛馬ならぬ愛駱駝を失ったことはそれなりにショックだったが、まあここが砂漠で奪われたのがラクダなら誰が盗んだにしても重宝されるか、元気でやれよ、とラクダにエールを送るくらいに彼女は能天気だった。
ラクダとの絆にはここで一旦区切りをつけて、紅燭は新たな足を探しに行くことにした。しかしよく考えると残りの資金も心もとない。リンガをしゃりしゃりと齧りながらデリンマーの都を当ても無くさ迷っていた少女は、本日二度目の不運────いや、最初の幸運に見舞われることになる。

「モルジアナの奴、まさか、あの盗賊のところに行くなんて!」
「まだそうと決まったわけじゃないわ。でも、もし本当にそうだとしたら、彼女は帰郷する前に奴隷になってしまうかも……」
「……くそっ!!」

紅燭の耳に不穏な言葉が飛び込んできた。気の強そうな女の子と大人しそうな褐色肌の女の子。傍らに構える大きな荷車と何匹も繋がれたラクダを見る限り、二人共隊商(キャラバン)の人間のようだ。髭を蓄えた隊長らしき老人は強面の男と共に、ガタイのいい集団の先頭に立つ男性と話し込んでいる。

「おいおい冗談だろ爺さん、俺達に盗賊を倒せってか?傭兵ってのはァ普通護衛に雇うモンだぜ、警吏隊じゃないんだよ」
「倒して欲しいとは言わん。ある少年が一人、それからうちの娘も一人捕まってるかもしれないんだ、その子たちさえ助けてくれればいい」
「つってもな……相手は国軍でも敵わない凶賊どもよ。流石に割に合わねえ」
「そこをなんとか……」
「俺からも頼むぜ、傭兵さん」

明らかに面倒事だ。行き会ったのが正義感溢れる迷宮攻略者の少年なら迷わず声をかけたのだろうが、生憎ここにいる少女にとって自国の者以外の人間は路傍の石ころ同然だった。故に後ろめたさなど皆無。1ミリも悩むことなく他人の不幸に背を向けた紅燭は、ふと、思い立ってくるりと反転した。

「ちょっとちょっと、そこのお姉さんたち」

聞こえた声に隊商(キャラバン)の女性二人――ライラとサアサは振り向いた。立っていたのは笑顔の少年。ターバンから覗く赤い髪と赤い瞳は、今正に窮地に陥ろうとしている力強い友人を彼女達に連想させた。

「どうやらお困りのようだね。ところでボク、傭兵より強くて安いトコ知ってるんだけど、どうする?」

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