1.拍子はトロット、僕の手を取れ

大陸一、二を争う大国、煌帝国の中でも「ド田舎」と言っても然程差し障りのない辺鄙な地域にある農家の次男坊に生まれた俺がなぜ国の首都の、その中央に在る宮廷にいるかといえば、ついこの間実家の跡継ぎ争いで優秀な兄に大敗し、このまますごすご引き下がれるか!必ず大成して見返してやる!と負け犬根性全開に目一杯去勢を張り意地を張り半ば涙目になりながら受けた宮人の面接に、合格してしまったからに違いなかった。

いくら巨大な国の末端で細々と暮らし畑弄りに勤しむ農家の息子が他職に比べると幾分か情勢に疎いとはいえ、一市民として国を治める皇帝ひいては次期皇帝の名前くらいは覚えていて当然である。常識中の常識だからな。

練紅とく様……――ん゙んっ、漢字がわからない。

待って、これは俺がバカだとか勉強不足だとかそういう問題じゃなくて、なかなか王様の名前を字面で見る機会が無いだけだから。たぶん『徳』だろ、練紅徳様だろ、オーケー分かってる。
もう一つ言い訳を連ねるならば、この国では現皇帝よりも、次期皇帝の名前を聞くことが多いからだと言わせて欲しい。

練紅徳の第一子、その名は練紅炎。

3つの迷宮を攻略し、その類稀なる武力と知力を以て、煌帝国西征軍軍総監督として西方侵略まで任されているらしい。一般市民としては雲の上の存在すぎて足元どころか靴底すら見える気がしない。

そんな王の体現者とも呼ばれる彼が、曲がり角から姿を現したら、「ぴっ」と変な声を上げてしまうのだって当然だと思う。

赤い髪と髭。整えられた愁眉。虎も怯む鋭い眼光。筋肉質ながら上背がある逞しい恰幅。
間違いない、第一皇子だ。おい誰だ「第一皇子は顔がこけし」って言ったの滅茶苦茶精悍じゃねーか。
その精悍な顔付きの第一皇子が何故だかきりりとした顔でこちらを見てくる。なんだよこっち見んな!とか言って向こう側の景色見てたりするんだよねわかるわかるー。
少し退きながら傅く。ところが第一皇子の視線は小市民の俺を追ってきた。なんだなんだ。

「今の聞いた?紅炎」

第一皇子の背後からぴょこんと飛び出した影。そこでやっと俺はもう一人の存在に気付いた。丸みを帯びた輪郭にくりくりと動く大きな瞳。あまり外に出ないのだろう白い柔肌と華奢な体躯が、『少女』と呼ぶに相応しい見目をしていた。
悪戯な光を宿した茜色の瞳が俺を見上げる。ぷくく、と頬を膨らませ口を抑える少女は一層幼く見えた。

「ぴっ!だって。随分可愛らしい小鳥だね」
「ヴッ」

聞こえてたのかよ!いや聞こえてても聞いてないフリしろよ!
思わずぴくりと動いた眉にぷすーと人を馬鹿にしたような音を立てて笑う少女は見た目天使でも中身は小悪魔らしい。というか今この娘、第一皇子のこと呼び捨てにしなかったか。

「あははっ!紅炎、今度こそ聞いたよね。いやーこのお兄さんは多才だ!」

ぐっ、と堪えた。多分ここで反応したらこの娘を喜ばせるだけだ。子供の空言に付き合って職場初日から第一皇子に目を付けられたくはない。クールに行こうぜ俺は大人。ソービークール。

「図体は大きいのに鳴き声は可愛いんだね」

なんなのこの子?なんなのこの子??超煽ってくるんですけど。俺ってばこんなに沸点低かったんだなもう耐えらんねえわ

「失礼します」

――よろしい、ならば戦争だ。
ぎゅっと握った拳を緩める。表情は朗らかに……唸れ俺の表情筋!小さい子供にやりたい放題させて知らぬ振りをする第一皇子へ一言断って顔を上げ、開いた手の平を少女の頭にぽんと乗せた。

「お嬢さんはどこから来たのかな。このお方は本来君のような子供(ガキ)が顔も見ることができない、尊い御人だから、君も呼び捨てにしちゃいけないよ。さ、お兄さんと一緒に向こうに行こう」

ぽかん、と抜けた顔は存外可愛らしいな。ずっとそのままでいいのに。アホの子みたいで。
大人な俺はにこにこ笑いながら少女の手を掴み、立ち上がる。フッ勝った……そのまま立ち去ろうとして、くん、と裾が引っ張られる感覚。少女が掴まれた方とは別の手で俺の服を握っていた。まだ何かあるのかと思えば、先ほどまでのイタズラっ子の表情とは違い、少女の笑顔は無邪気そのもので、キラキラと輝いている。

「ちょっとちょっと、お兄さんおもしろすぎ!」

は?何言ってんの?

「なんだか不憫で不幸なにおいがすると思ったら、加えて勘違いと失敗を繰り返す愚鈍さも兼ね備えてるんだね!」
「はぁ?」
「紅炎、この子貰ってもいい?」
「……構わん、好きにしろ」

はああぁ〜??なんだかよく分からないけど物凄く悪口言われてるのは分かった。ヨォーシ殴る。まあそれは流石に不味いからデコピンな。
大人の尊厳虚しく少女の額に指を近付ければするりと逃げられてしまった。チッ勘のいいガキめ。マジで何者だよ。

「やったあ!兄様大好き!」
「…………」
「俺もだ」
「………にい、さま?」

なんだか第一皇子から衝撃的な言葉が聞こえた気がするがスルーだ。問題はそこじゃない。いやそこも十分問題なんだけども。

――……まさか、まさかまさかまさか。

顔から血の気が引くのを感じながら、第一皇子にハートを飛ばす少女の格好を改めて見下ろしてみる。
長い髪を高い位置で二つに結んだ珍しい髪型。第三皇子とお揃いだと思われる特徴的な黒の服。肩に羽織るは、見ただけで上物だと分かる赤黒の羽織。あまり主張をしない牡丹の上から散りばめられた薄桃色の花はなんと言っただろうか、どこか遠い国のものだと聞いた気がする。
ひやり、背筋に冷たい汗が伝った。

この国では皇帝より第一皇子の名前を聞くことが多い。
――が、その奇抜さ故、次期皇帝よりも周りの目を惹き、国民の噂の種になる方がいる。

「やっと気付いたみたいだよ。兄様」
「……紅燭、俺は愚鈍な奴が嫌いだ。飼いたいなら俺の目の届かないところにしろ」
「善処します」

どうして気付かなかったのだろう。その戦乱の炎のごとき髪と瞳こそが王家の血筋を引く証ではないか。

煌帝国一の変わり者。
その者の名は、第一皇女――練紅燭。

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