11.悲しませたくないという気持ちを抱いたとき

――バルバッド王国。

国面積は大陸一小さく、国というより都市と呼ぶべきほどだ。しかし、それはあくまでもこの大陸においてのみ(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)の話である。

バルバッドは首都こそ大陸に置くが、その実態は、大小数百もの島々を支配する大海洋国家なのだ。

バルバッドは、北のオアシス都市群、北東の小国群、西のパルテビアの中心地とあって、古来より交易によって栄えてきた。様々な人種、文化が混じり合い、周辺国とは違った雰囲気を持つ国なのである。

「――……って、聞いたことあるよ」
「ほう、レンくんは物知りだな」
「だからこんなに海辺が賑わっているんだね!いろんな人がいるし見たことない食べ物もたくさんあるよ!」
「ええ、建物の構造もよく見ると隣同士で違ったりしますね」
「ここは代々、サルージャ一族という王族が治めて盛り立ててきた国なのだよ。しかし先王が亡くなられてからは――」

「……国が乱れているようだね」シンドバッドはちらりと遠くの壁に目を遣った。『先王打破』と書かれた石造りの壁に、身なりの貧相な男達がもたれかかっている。
こうなったそもそもの原因はバルバッドの王族に取り入った煌帝国にあるのだが、シンドバッドのある意味図星をつく発言にも紅燭は平然としていた。紅炎が煌帝国の領地を広げやがて世界の玉座に就くために多少の犠牲は致し方ないのである。
まあ自分ならもっと上手くやるけど、とは思っていた。

「でも、ここなら安全だよ。俺もいつも泊まっている国一番の高級ホテル!」
「おー!」

シンドバッドが三人を連れて来た豪奢なホテルに紅燭は感嘆の声を上げた。いそいそと入ろうとするシンドバッドと紅燭に対し、アラジンとモルジアナは不安げな顔だ。

「でも、宿代が心配だわ……。私は半年間隊商(キャラバン)で稼いだお金があるけれど、多くはない……」
「僕もだよ……」
「なーに、心配いらないよ。宿代は俺が出そう。助けてもらった礼だ。お金は、先にここに来ている俺の部下が払うから……好きなだけここに泊まっていくといいよ」
「……」

パッと表情を明るくした純粋な二人に、「最初からそのつもりだった」とは言えない紅燭であった。





ホテルの従業員に連れられてアラジンたちは絢爛な廊下を進む。
パッツンパッツンの服を着たシンドバッドがホテルの入り口で不審者扱いされる事件があったが、駆けつけた彼の部下が助けてくれたので問題はなかった。

「(いや、問題はあったな。シンドバッドの部下二人……あの顔は確か、ジャーファルとマスルールだっけ。あっちは私に気付かなかったみたいだけど)」

肉体労働担当のマスルールはともかく、シンドバッドの右腕とも呼ばれる文官筆頭のジャーファルに顔を見られたなら正体がバレるのは時間の問題かもしれない。戦争が起きるような下手な真似はしないだろうが、一方的に相手を知っているこの状況はかなり楽し……一旦別れて後々にバレた方がおもしろ……いやいや、何かと警戒されたり絡まれたり面倒事に巻き込まれるのは目に見えていた。

「ここがお部屋でございますよ」
「わあ〜〜〜!!ゴージャス!!」

我先に飛び出したアラジンはきゃっきゃと部屋を奥へ突っ切ってベッドにぽふっと飛び込んだ。この上ない笑顔でゴロゴロする彼は大きくてもふもふのベッドに大興奮だ。モルジアナも無表情ながら心做しかうきうきした表情で部屋の探索をし始めるし、生憎新鮮さのない紅燭はスッと菩薩顔になった。尊いって言葉はこういうときに使うらしい。

「何かわからないことがあれば、なんでも仰ってくださいね」
「それじゃあおねえさん、一つききたいことがあるんだけど……」
「はい、なんでしょう?」
「アリババくんって人を知らないかい?僕の友達なんだ」

そう言った途端、彼女の手からお盆が滑り落ちて床を叩いた。乗っていた果物も尽く放り出される。慌ててしゃがみこむ従業員の女性に、アラジンが怪訝な顔をした。

「……どうしたんだい?」
「失礼しました。その名前に少し驚いてしまいました。よく考えれば、そう珍しい名前ではありませんでしたね」

ぎこちなく笑う彼女の額には汗が伝っていた。果物を拾うため紅燭が膝を曲げると、「あっ、おやめくださいお客様!」「ボクがやるから、話の続きをしてあげて」有無を言わさぬ笑みを形どった少年に、後ろ髪を引かれる思いで頷く。

「……あなたのご友人と同じ名前の者が今、この国では有名なもので……」
「有名人?」
「今、『バルバッドのアリババ』といえば、指すのはただ一人……怪傑アリババ、その人でございます」





アリババくんと『怪傑アリババ』は別人だよね!と不穏な空気があっさり通り過ぎた後、ウーゴくんがモルジアナに触っても緊張しないように二人を打ち解けさせよう、という話になった。

「うわーーい!!」
「すごーーーい!!!」
「わ、」

ぼふんぼふんと青の巨体が飛び跳ねる。アラジンはウーゴくんが乗っても壊れない丈夫なベッドに大興奮で、紅燭は相変わらず物理法則を無視したウーゴくんと笛との大きさの違いに大興奮で、ウーゴくんの腕に抱き着いたモルジアナは自動で体が浮く感覚を楽しんでいた。

「む……たのしい」
「ねえ、それどうなってるの!?どうなってるの!?解体させてー!!」
「解体はダメー!」
「じゃあ魔法陣研究させてー!一見何の変哲もない五芒星なのにどんな魔法がかかってるのそれ!」
「レンくんは魔法がわかるの?」
「魔法陣研究第一人者だよ!ルフの動きもわかるからアラジンくんがマギってのもわかるよ!ねーだからお願い!」
「いまあっさり重要なことをいったよね!?いつから気付いてたの!?」
「最初から」
「えっ」
「まーまー、気にしない気にしない!」
「むぅ……レンくんもおいでよ!」
「行ってもいいけどこうなるよ」

とことこと近付いてきた紅燭。彼女がちょん、とウーゴくんに触れた途端、ウーゴくんは身体を真っ赤にしてカチコチに固まってしまった。放り出されたモルジアナが宙で一回転して床に着地。見事な技に拍手を送る紅燭は呑気なものである。

「え、な……え!?」
「ウーゴさんが動かなくなってしまったということは……」
「もしかして、レンくん……女の子!?」

返事の代わりに少年は頭のターバンを外した。結びもせず纏めて突っ込んだだけの長い髪がばさりと落ちてくる様子を、アラジンとモルジアナはぽかんと見送った。「びっくりした?」心做しか彼女は得意げな顔だ。

「はー、レンくんはレンちゃんだったんだね」
「でもどうして変装なんか…… 」
「女の一人旅はいろいろ危険でしょ?だからアラジンくん、モルさん、これでおあいこ(・・・・)ね」

人差し指を立てて片目を瞑った少女に、二人はきょとりと顔を見合わせると、同時にぷっと吹き出した。

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