5.悪趣味


「メフィスト、入るぞ」
「はーいどうぞ☆」

悪魔祓いの任務を恙無くこなした獅郎が、度重なる任務に疲弊した体を引き摺ってやってきた上司の執務室。そこで彼が見たのは、のんべんだらりとソファに寝転びながらPSPをいじる、浴衣姿のメフィストであった。

「うぉおら!」
「いだだだだっ!ギブ、ギブ!!」

すかさず腕ひしぎ固めをかました獅郎は、弱々しい威力で腕を叩くメフィストの苦しそうな顔を見て多少の溜飲を下げる。今回獅郎が行った任務は日本支部長直々の命令であり、報告書を届ける旨も既に伝えてあったはずだ。だから恨みがましい目でこっちを見るな。疲労困憊の俺の視界で暇ぶちかましてたお前が悪い。そう獅郎は息巻くが、残念ながら割と暴論である。

「なんですか入ってそうそう!私のハイスコアをどうしてくれるんですか!」
「ハァ〜こっちはお前のせいでクタクタだっていうのによ〜」
「私だって仕事終わらせて今休憩入った所ですが!?人をパワハラ上司扱いしないでもらえます!?」
「人を勝手に聖騎士(パラディン)に仕立てあげた時点でパワハラだろうが」
「昇進に尽力してあげただけじゃないですか。最近の若者はすーぐパワハラだのカスハラだのって……」
「その台詞だいぶジジくせーぞ。ほれ、こないだの報告書」
「誰がジジくさいですか、貴方こそ加齢臭や抜け毛を気にした方が良いのでは?用事が終わったらさっさと出てってください、ハ〜忙しい忙しい」

執務机に報告書を叩きつければ、集るハエをしっしっと追い払うように手を振るメフィスト。画面に視線を戻す彼は見ていなかったが、そのとき獅郎は卵焼きに入ってた卵の殻を噛み砕いてしまったときの様な顔をしていた。
怒りやら呆れやらの入り交じった溜息を吐いて、獅郎は今さっき入ってきた扉に爪先を向けた。メフィストの相手をまともにしていたら日が暮れてしまうと思ったのだ。ところが、

「チッ、あの男、わざわざ私の仕事を増やしに来て……休日まで会いに来るなんてどれだけ私のことが好きなんでしょう?やれやれ、ありがた迷惑とはこのことだ」

誰が好き好んで休日出勤するか。テメェのムカつく面なんてこっちも見たくねぇんだよ!
聞くな聞くな、と自身に言い聞かせながら獅郎は震える腕で扉に手をかける。しかし、メフィストの言葉は続いた。

「なんですかその目。仕事しろって?いや何にも考えてないのか……?」
「………」
「……あーあ!可愛らしい少女に上目遣いで「お兄ちゃん頑張って」なんて健気に応援されたら!やる気が出るかもしれなーい!」
「………」
「冗談ですよ。やればいいんでしょうやれば。職務を全うした上でフルコンボを叩き出すのが真のゲーマーだもの〜」

「おいメフィスト。お前、誰と話してる?」

メフィストの視線の先はソファの足元。それも丁度獅郎の死角。
獅郎は戦闘力と人を見る目において、メフィストに絶対的な信頼を置いている。その彼の領域内(テリトリー)にいて油断していたことを加味しても、獅郎が他人や悪魔の気配を察知できなかった、などといったことは絶対に、万が一にでも有り得ない。

藤本獅郎は、正十字騎士団の頂点に君臨する、世界で唯一の聖騎士である。

だから、この場において彼がメフィストと己以外のモノを認識していないのは、室内にいるのが2人──正確には1匹と1人──のみだという、確かな証拠なのだ。

──なら、彼と話しているのは、一体()だ。

「ああ、まだ紹介してませんでしたね」

未知の存在への警戒から戦闘態勢に入った獅郎に、メフィストがあっけからんと告げる。ぽん、と拳を手の平に乗せて。まるで、今思い出したとでも言うように。

いや、しかし……――と、獅郎は眉間にきつく皺を寄せた。

なぜなら、『あっけからん』と、『今思い出した』と言うには、彼の顔に浮かぶ悪意はその存在をあまりに主張しすぎていた。

「紹介します。彼女は神代朔。私が手違いで異世界から呼び出してしまった、ある実験の被害者です」

にやにや、にやにや。愉悦に歪ませた口元をもはや隠しもせず、メフィストがその少女を抱き上げる。

緩やかな曲線を描く頬。すっと筋の通った小ぶりの鼻。光の輪を掲げる黒髪。黒いワンピースから覗く肩や足はするりと細長く、幼い体型の割に気だるげな雰囲気が危うさを持つ。陽に焼けることなど忘れた柔肌は、名匠の陶磁器のように高尚な美しさを持っていた。
そのあまりに完成された容姿に獅郎は目を丸くし、それから、ああ、と感嘆や情欲とはまったく別の吐息を漏らした。
それは安堵と、把捉。
聖騎士にすら気配を感じさせかった予想外の事態に、それを10代前半に見える小さな少女がした不可解な事象に、彼は納得した。

「そして、私の大切な姫君だ。どうか、丁重に」

少女がゆるりと獅郎を見る。戸惑いも恐怖も好奇心も宿ることのない、無感情な眼差しで。虚ろな視線に当てられ、獅郎は徐ろに瞼を閉じた。それは恵まれて育った人間が直視するには酷すぎた。少なくとも、日々を過ごす中で自分が恵まれていると自覚している彼には、あの空虚な光は耐え難かった。

行き場のない焦燥というか疲労というか、とにかく重い何かを吐き出すように溜息をついて、獅郎はじろりとメフィストを睨め付ける。ニタニタと笑うピエロは獅郎の反応をとことん楽しんでいるに違いない。本当に、彼は悪趣味だ。

横たわる沈黙に「目を逸らすな」と言われているようで、加えてメフィストの思い通りには絶対ならねぇと執念じみた想いもあり、獅郎は正面から少女を見据えた。少女は何も考えていなさそうな顔で床を見つめていた。知らないおっさんなんて眼中にないらしい。傷付いた。

「……えー、あー……はじめまして。藤本獅郎だ。よろしくな」

獅郎は、彼女の気配を読めなかった。恐らくどのような達人でも彼女の存在を測ることなどできないだろう。それも当然だ。他人に認識できるほど、彼女の存在は輪郭を伴っていない。


少女からは、生者の気配というものが、まるで感じ取れなかったのだから。



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