2.寂しくて死んじゃう


僕に与えられた部屋は、白とピンクを貴重にした、庶民には勿体ない広さを誇るファウスト邸の一室。

天蓋付きのベットにごろりと寝転ぶと、視界に入るのは部屋の隅の勉強机。その本棚スペースに数冊の本が入っていて、なんとなく、そのうちの一冊を手に取った。なんとなく。


肩を叩かれて、はっと本から顔を上げた。誰かが飛び退く気配と、虫が踏み潰されたような叫び声。
本人より驚いてるなんて。いきなり動いたのが悪かったのかもしれない。

「まったく、いきなり動かないでください!」

ぷんぷん、という効果音が聞こえてきそうな表情のメフィスト。前から思ってはいたのだが、彼は、いちいちコミカルな言動を取り入れないと生きていられないのだろうか。

「何度も呼んだのに……」

私、怒ってます。と言わんばかりの拗ね顔である。
それをすべて無視して、僕は本の表紙に目を落とす。以前──前の世界でも聞いたことのあるような、ないような、珍しくもない作家名。どこにでもありそうな文庫名。少年視点で描かれた学生生活は、ありふれた題材。
面白いかと言われれば、そうでもなかったと思う。かといって、別段つまらない時間でもなかった。窓から差す日光の移ろいが、僕が本を読み始めてからかなりの時が過ぎたことを指し示している。
自覚はなかったが、相当熱中していたらしい。

「おや、お気に入りですか」

メフィストの普段の顔。にやり、と口端を上げた道化の笑み。少し迷って、頷く。

「本がお好きなので?」

意表を突いたその質問に、思わず瞬きを繰り返す。

好き──好き、なのだろうか。

前の世界では本や漫画に触れることは多かった。ほとんどの時間を書庫で過ごしてきたから、その影響で。自然と、小さい頃から親しんできた物ゆえ、好き嫌いで判断することはなかった。
ただ物語に浸かる時間は、楽しかった、ような気がする。
今まで考えたことはなかったけれど。

好きってなんだろう。嫌いじゃなければ、好きでいいんだろうか。なんて考えながら曖昧に首肯した僕の部屋には、翌日、物語本のぎっしり詰まった大きな本棚が設置されていた。

どうやら、あの悪魔はとことん僕を飼い慣らしたいらしい。
思わず溜息を吐いてから、お望み通りメフィストの覚悟と執着が痛いほど伝わる本達を手に取った。読破してやると意気込んで挑んだ。この世界に来てから最もやる気を出した瞬間である。実際にはベッドでごろごろする手慰みに読書が選ばれただけであったが、それでも僕が唯一能動的に取り組んだ事象には違いない。

ところが、どうだ。次の日、例の本棚には、読みかけの本が片付けられ、代わりに少年漫画がずらりと並んでいたのである。
世にも奇妙な話だ。夢と希望がたくさん詰まった素敵な本棚の完成だ。漫画も好きな僕は、読みかけの本を少し未練に思いつつ海賊漫画を読み始めた。新たな冒険が始まる予感。

また翌日、本棚に詰められていたのは図鑑類。
世にも奇妙な……以下、略。もはや、何がしたいのかわからない。とりあえず興味の湧いた分厚い海洋生物図鑑を適当に捲って、海の生き物を眺める。悪魔図鑑の、たぶん本格的なやつも混ざってたけど、これは読んでいいものなのだろうか。

次の日になると本棚は綺麗さっぱり無くなっていた。勉強机の上は、埃一つ、塵一つ、本一冊見当たらない。以下、メフィストの供述である。

「本ばっかじゃなくて私にも構ってください!! 寂しくて死んじゃう!」

折角本を用意したのに片付けるのは忍びなくて、ジャンルが違えば興味を失うと思った、と。
まったくこの小悪魔は。言ってくれれば僕だって……

……僕だって?

いま僕は、何を考えようとしていたのだろう。



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