13.想われる


「おやおや……困った子ですねぇ」

時の悪魔が落とした言葉は静寂に染み込んだ。困った子、そう呟く声は意味に矛盾して弾んでいる。

すうすうと寝息を立てる彼女を見るのは初めてではないが、自分の普段使っている椅子に腰掛けているのは初めて見た。「自分のものだ」と言わんばかりに机に突っ伏している姿もなかなかに度し難い。

両腕に埋められた顔を覆っている黒髪をそっと耳にかけて、シミ一つない頬をするりと撫で、メフィストは伏せられた瞼にそっと口付けを落とした。

「期待してもいいんですかね」

目に入れても痛くないこの子を獅郎に預けたのは試す意味もあった。誰かしらと仲良くなっても目移りしてしまわないか。いや、目移りは構わない。結構結構。本当は自分だけを見ていてほしいというあまりに普通の男が抱くような独占欲もあるが、メフィストは心が広いのだ。目移りしても、どこかに出かけても、私の元に帰ってきてくれればいい。その瞼を閉じる最後に私を映してくれればいい。──そう、思っていたのに。

「私だけを選んで欲しい、なんて」

なんて、浅はかな欲望なのだろう。あまり楽しくもない会合から帰って机に臥せっている彼女を見たとき、メフィストは心底驚いて、抱いた感情に恐怖を抱いて、心臓をこの手で直接掻きむしりたい気持ちになった。

少し離れているだけでこれだ。自分は彼女に相当入れ込んでいるらしい。──その事実がメフィストを苛む。快楽主義者がなんてことだ。楽しめれば良かったはずなのに、甘酸っぱい青春の1ページさえ楽しめるはずだったのに、こんなに、苦しいはずがなかったのに。

メフィストは晒された柔らかい首にその爪を押し当てた。これを断ち切れば、きっとメフィストは元に戻ることができる。寝ている彼女は抵抗しない。痛みも苦しみもなく安らかに逝くだろう。それがメフィストにとっても、いつか痛みや苦しみで死んでしまう人間にとっても良い選択だ。彼女の目は開かない。さあ、今だ。切ってしまえ。さあ、早く。はやく、はやく、

「……」

メフィストは鋭い爪ではなく、そこに指のひらで優しく触れた。どく、どく、何も知らず緩やかに鳴る鼓動が、こんなにも忌々しく、愛おしい。はやく目を覚ませ。その桜色の瞳が輝くのを見たい。

「重傷、ですね」

悪魔の王の一人が小娘一人になんてザマだという話である。メフィストは諦めと呆れの溜息を吐いて彼女の首から手を離した。先程と反対の瞼に唇を落とそうとして、かさ、と紙が擦れたような音を拾う。彼女が握っている白いもの。そこには丁寧な字で『奥村燐くんへ』と書いてあって、

「……この浮気者」

キスの代わりに、メフィストは額を指先で弾いた。



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