8.対話と未知
「よっ!そんな所でなにやってんだ?」
彼女にしては大袈裟に跳ねた両肩。恐る恐る、といった調子で振り向いた少女は、獅郎の笑顔を見るや否やその場を逃げ出そうとした。
「っとぉー、今回はそうはいかねぇぞ」
素早く脇に手を差し込んで、子供をあやす様に持ち上げる。メフィストの二の舞にならないようにできるだけ体を離して意地悪く笑えば、少女は諦めたように体から力を抜いた。
もう逃げないよ、とでも言うように獅郎の手を軽く叩く。抵抗しないのはありがたいが、諦めが良すぎて逆に怪しい。獅郎はこの体勢のまま話をすることにした。
「少しだけこのまま話を聞いてくれないか」
数秒ほど間を置いて、少女は頷く。
「ありがとう。あのさ、正直お前に避けられて俺は多少なりとも傷付いてる訳だけど」
黒のパンプスを被った少女の足先が揺れる。ああよかった。話は通じるらしい。
「でも、お前がなんで俺を避けるのかとか、あの言葉はどういう意味だとか、そういうのは聞かない」
お前が話してくれるのを待つ。と、告げた。
「お前から俺がどう見えてんのかは知らねぇが、俺はお前を傷付けないし、お前のことを否定するつもりもない。お前は俺のこと付き纏ってくんなとか思ってるかも知れないけど、俺はお前のことを知りたい。お前はどうだ、少しでも興味があるか?それとも俺が嫌いか?そんなに怖いのか?話すのも耐えられないほど?」
――庭に、長い静寂が訪れる。
うんともすんとも言わない少女に、獅郎はダメか、と肩を落とした。今まで避けていた割に随分おとなしく聞いてくれるし、はっきりした反応もあったから、それだけ期待は大きく、落胆も激しかった。
溜息を吐きたい気持ちをぐっと堪えて、少女をゆっくりと地面に下ろす。疲れた腕を揉みながらその場を立ち去ろうとした。
「悪かったな。急に持ち上げて」
「…………別に、」
聞き間違いかと思うほど、弱くか細い声。反射的に振り向いた獅郎の目を、少女はしっかりと捉える。
「嫌いじゃ、ない」
――なんだ。ちゃんと生きてるじゃないか。
失礼な感想を抱いて、獅郎はほくそ笑んだ。随分手前勝手なことを言った自覚はあるが、そんな獅郎を睨むでも蔑むでもなく潤みもしない平坦な瞳で『嫌いじゃない』などと宣った朔に、俄然興味が湧いた。
なんとなく気になる、なんて暖簾に腕押していた昔の自分、喜べ。こいつは、当たりだ。
「……で、朔は何やってんだ?つか悪魔見えたのか」
獅郎は少女が先程までじっと見ていた黒い塊を見た。ぐちゃぐちゃ蠢いているそれはそれはまさに『黒い塊』と形容するに正しい見た目をしていて、よく見ると目や耳や触覚が幾つも塊の中や表面を這っている。要するに、そこには気持ち悪い光景が広がっていた。
朔は首をゆるりと振り、スカートを膝に折って丁寧にしゃがむ。
「さっき」
それだけ言って、また口を閉ざしてしまう。さっき見えるようになったばかり、ということだろうか。
推理を立てた獅郎は早くも行く先不安に陥った。彼女とスムーズに意思疎通できる日は果たして来るのだろうか。
そんなことを考えている間も、朔の視線は黒い塊に注がれている。作り物めいた横顔はこちらをちらりとも見向きしない。あれ、俺いなくてもいいんじゃね?なんて思った日には最後本当にそうなってしまう気がしたから、獅郎は浮かんだ考えを振り払うようにぶるりと首を振って、朔の隣にしゃがみ込んだ。
「で、それはなん……ん゙!?」
「………」
「ちょ、待てっ……はあ!?何してんのお前!?」
「……うるさい」
貴重な四文字を頂いたが、獅郎はそれどころではなかった。朔は、指を突っ込んでいたのである。黒い塊に。悪魔の塊に。魍魎蠢く巣窟に、なんの躊躇いもなく、人差し指を。
「蝶」
一体どうしたのかと問う前に、獅郎はあんぐり口を開けた。朔が口を開いた途端、魍魎達が塊を崩して散ったかと思うと、また違う形を形成したのだ。それはどこからどう見ても、真っ黒なアゲハ蝶そのもの。
「うさぎ」
また塊がパッと霧状になって、今度は黒ウサギが姿を現す。薔薇、銀杏の葉、スミレなど、黒い造形物の種類は多岐に渡った。朔が単語を綴る度、彼女のの指先から作られる植物や動物達。時には庭の草花を指して「じゃ、あれ」と適当に指してみたり、彼女が魍魎達に指示をしているのは誰の目から見ても明白であった。
「……飽きた」
魍魎が馬の頭を形どってから全く動かなくなった。朔がいくつか単語を呟いて反応が無かったのを見るに、飽きたのは魍魎達の方のようだ。黒い塊に戻った魍魎を朔の指が掻き回す。ゆっくりと、何周も同じ所をなぞる行為は、魍魎と遊んでいるようにも、優しく撫でているようにも見えた。
──なんだァ、そりゃ。
使い魔でも元神様でもない悪魔と意思疎通を図るなんて獅郎でも滅多にしないし、それも魍魎なんて低級中の低級、自我を持っているかも知れない奴等、誰も相手にもしない。そもそも思い付かない。……ユリ・エギンでもしなかったことだ。
仮に一方的であっても意思疎通が可能だったとして、そいつらが列を作って生き物の形に並ぶなんて技術……──いや、できるのか?菌に憑依し、全ての『モノ』に纏わり付く彼等だからこそ。自我を持ってさえいれば、可能なのではないか。
だとしたら、それに気付き、干渉不可能とまで言われた小さな悪魔を侍らせたこいつは……
「プッ……にゃっはっはっは!お前すげーな!」
獅郎が笑って朔の頭を撫でようと手を伸ばせば、するりと逃げられてしまう。
「相変わらずガード堅いにゃー……」
「……嫌いじゃないし、怖くない」
突然長文を述べる朔に獅郎がおぉ、と声を漏らす。何を言ってくれるのか、なんだかワクワクしてきた。
「朔でいい」
朔は黒い塊から指を抜いた。ゆるりとした動作で腰を上げ、もう用はないとばかりに獅郎に背を向けて。
「……人間は、弱い」
独り言のように残された拒絶が、獅郎には何故か、彼女の発した言葉の中で最も温度が伴っていたように思えた。
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