サ・クラ奇譚 | ナノ




陸 (かえ)る場所
 空間がねじれるような感覚と共に、浮遊感に襲われる。
 気がつけば、咲耶は庭に座り込んでいた。
 のろのろと立ち上がり、頭を巡らせる。神域から戻ってきた事は理解していたが、その方法はさっぱり分からなかった。
 滝の如く降り注いできた、あの花弁が道を繋いだのだろうか。花に溺れるかと思ったのは初めてだ。
「雅翠!」
 今更のように彼の事を思い出し、身を翻す。ここはどうやら、咲耶が逃げ込んだ邸のようだった。
「雅翠! ――雅翠!」
 薄闇の中、雅翠を探してさ迷う。咲耶と一緒に彼も戻っているはずだ。どこにいるのだろう。
 簀子に上がった時、ひとひらの薄紅が視界をよぎった。導かれるように渡殿へと足を進め、ぼんやりと佇む雅翠を見つける。
 高欄を乗り越え、咲耶は庭に飛び降りた。
 着地した瞬間に膝が折れそうになったが、何とか踏み止まる。生気と霊力を著しく失ったせいか、思うように身体が動かなかった。
「雅翠!」
 驚いたように振り向いた雅翠へ手を伸ばす。彼がどこか遠く思えて、消えてしまわないかと不安になった。
 雅翠の胸に飛び込み、どこにも行かないように縋りつく。そのまま崩れ落ちそうになった身体を引き寄せられ、ぽんと背中を叩かれた。
「……どうした、咲耶」
 穏やかな声に、何でもないと首を振る。苦笑する気配が伝わってきて、これでは幼子のようだと恥ずかしくなった。
 けれど彼の腕の中は温かくて、得られる安心感は手放し難い。
「……誰かさんに生気を分けすぎて、身体に力が入らないのよ」
 ぼそぼそと呟いて、咲耶は雅翠に身体を預けた。顔を見られたくなくて、甘えるように頬をすり寄せる。
「雅翠は、何を見ていたの?」
 その問いに雅翠がああと呟き、咲耶の身体を引き離した。
 少しだけ名残惜しく思っていると、彼は一点を指し示す。
 促されるままに視線を向け、咲耶は息を飲んだ。
 そこに、桜の木が佇んでいる。
 まだ若い桜は雪を纏い、重たげに首を垂れていた。冬の名残を留めてはいるが、その一角で、ぽつりと春が芽吹いている。
 冷たい風が吹き抜け、木々をざわめかせる。
 とさりと落ちた雪に何かが埋もれかけている事に気づき、咲耶は足を踏み出した。
 膝をつき、手を伸ばす。
 拾い上げたそれは軽く、重たかった。
 小さな髑髏を抱きしめて、瞳を閉じる。
 術を使わずとも分かった。これはきっと、神が殺めてしまった少女のものだ。
 神を堕としてしまった少女のものだ。
 袂から何かが落ちた事に気づき、地へと視線を向ける。
 くすんだ飴色の櫛と髑髏を見比べ、咲耶は唇を噛んだ。
「咲耶、それは」
 雅翠を見上げて微笑む。なぜだか、泣きたかった。
「……あの神が、大切な人にあげたものよ。離れていく、大切な人に」
 櫛は「()し」に通じ、旅立つ者に己の分身として贈る事がある。
 きっとあの神は盲目の少女が大切で、常に傍にありたくて、この櫛を贈ったのだ。
 常に傍にありたかった、はずなのに。
 視界が滲む。やるせない感情が胸の中にはびこり、しばらくは抜けそうになかった。
 桜の根本に、髑髏と櫛を寄り添わせるように置く。
 少女は桜に宿る神を慕って、神は少女の傍にありたいと願った。
 だからきっと、この二つはこの場に、そして傍にあるのが正しいのだ。
 しばらく髑髏と櫛を眺めてから、咲耶は身体を伸ばした。倒れそうになるのを堪えて、雅翠を見上げる。
 二人の視線が絡んだ。一瞬の空白を経て、雅翠が手を差し伸べる。
「帰るぞ、咲耶」
 その手を取って、咲耶は微笑んだ。

 一筋の光が、髑髏と櫛を照らし出す。
 寄り添うように置かれていた櫛に、不意に薄紅色の炎が灯った。
 櫛を飲み込んだ炎は勢いを増し、髑髏をも包み込む。
 周囲のものを一切傷つけずに輝いたそれはやがて、髑髏と櫛を燃やし尽くした。


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