参 すれ違い揺れ惑う 対外的に、咲耶は涼暮の実子という事になっている。
それ故に、雅翠が咲耶の出自や彼女を拾った経緯を聞くのは初めてだった。
「その一族は『サクラ』と呼ばれていた」
紡がれた言葉が、静寂に染み込むように広がる。
「彼らは、自分達でも『サクラの民』と名乗っていた。理由は簡単だ」
問うような視線を向けられる。深く考えずとも、予想は付いた。
「……彼らは『サクラ』そのものだから、ですか?」
「そうだよ。サクラは先天的に憑坐の資格を持っている一族だった」
その言葉を頭の中で反芻し、雅翠は息を飲んだ。
憑坐の資格を持つ一族。その身に神を降ろす事が出来る、神降ろしの一族。
その力がどれだけ稀少なものであるか、知識としては知っている。
神降ろしの力は、見鬼の中でもごく一握りの者しか持ち得ない力だ。それ故に、彼らは祀り上げられたり、崇められたりする。
涼暮は、咲耶をサクラの民の里で拾ったと言った。彼女は先天的に憑坐の能力を持つが故にモノに狙われたのだ、とでも言いたいのだろうか。
「けれどサクラの力は、それだけではない」
彼の言葉に、思考を途切れさせる。
「どういう事です?」
首を傾げて問えば、涼暮は何とも形容し難い表情を浮かべていた。
そこに嫉妬と羨望が込められている事に気づき、息を飲む。
「サクラの民は神降ろしの一族だけれど、サクラの力はそれだけじゃない。
彼らは神を鎮める事も、その身に神を――神の子を宿らせる事も出来るんだ。
雅翠には、この意味が分かる? 邪な考えを持つ輩にとって、サクラの民は喉から手が出るほど得難い存在なんだよ」
霊力を持ち、神をその身に降ろし、鎮め、間に子を成す事さえ出来る。
たしかに、手に入れようとしても易々と得る事は叶わない力だった。
「神を鎮める事は陰陽師や神祇官にも出来るよ。神をその身に降ろす事も出来る。
でも、それは難解な手順を踏んで、身を清めて、霊力を高めて、命をかけて、そうして一部の者がようやく成し得る技だ。
けれどサクラは違う。俺達が命をかけなければ出来ない事が、簡単に出来てしまう。
だからこそ、色々なものに狙われるんだ」
その力を喰らって我が物とする為に、利用する為に。
あるいは、嫉妬と羨望に駆られて。
だから涼暮はあんな表情を浮かべたのだと、今更のように気づいた。
咲耶は、涼暮や雅翠が手に入れる事の出来ない力を手に入れられる。その資格を、生まれながらにして持っている。
拾った時から覚悟はしていたんだけどね、と彼は苦笑する。
「サクラの民は滅びてしまった。多分、モノか堕ちた神に喰われたんだろうね。俺が駆けつけた時には、咲耶しか生き残っていなかった」
「……だから涼暮様は、咲耶を拾ったのですね」
いつだったか、咲耶は涼暮に拾われた理由を都合が良かったからだと言った。
たしかにそうだったのだろう。涼暮は後継者を求めていたし、咲耶は自分に手を差し伸べてくれる存在が必要だった。
しかし、それだけではないのだ。
「生きたいと必死に願った咲耶を、俺が見捨てられるはずがないだろう?」
穏やかな眼差しで咲耶を見つめる涼暮の瞳には、確かに愛情がある。
「それに、咲耶は『姫』の娘だからね。――咲耶の事を頼まれていたんだよ」
その言葉に、雅翠は弾かれたように顔を上げた。彼から女人の話が出る事はめったにない。
涼暮をまじまじと見つめれば、彼は居心地が悪そうに体を揺らす。
「……あのね、俺だって若い頃には恋の一つや二つくらいはしたんだからね」
想い人だったのか。
ぽかんと口を開けて、雅翠は涼暮を眺めた。
彼にも若い頃はあったのだ。それは分かっているが、今まで一度も色恋関係を匂わせなかった彼からは想像がつかない。
「話を戻すよ」
あまり追求されたくないのだろうか、涼暮が話題を戻す。
唇を引き結んで、雅翠は頷いた。彼の女性遍歴は非常に気になるが、今は咲耶だ。
「俺は昔から、サクラの民の事を知っていた。彼らが俺にはどう頑張ったって身につける事が出来ない力を持つ事も、様々なものに狙われている事も知っていた」
彼の話は、徐々に昔話の体を成していく。
「サクラの民は閉鎖的だった。彼らにとっては人もモノも驚異になるから、基本的に誰も寄せ付けないんだ。俺だって彼らの存在を知ったのは偶然だし、頻繁に会っていたわけじゃない。その頃にはすでに出仕していたしね」
だから、と涼暮は続けた。
「俺はすぐに気づく事が出来なかったんだ。サクラの民が何者かに襲われたのを知ったのは、助けを求められてからだった。
俺は知るのが遅すぎて、何も、本当に何も出来なかったんだよ」
涼暮が駆けつけた時には、もう、里は滅びていたという。
荒れ果てた里を探し回り、唯一見つけた生き残りが、咲耶だった。