参 すれ違い揺れ惑う 「咲耶は一人だけ生き残っていた。咲耶には目眩ましの術がかけられていて、咲耶の家族が咲耶を庇うように、咲耶を隠すようにして倒れていた。
……彼らはどうしても、咲耶を守りたかったんだろうね」
「涼暮様」
思わず口を開く。なぜだろうか、ひどく喉が乾いた。
きっとこれは、緊張の為だ。
「咲耶が守られたのには、理由が……?」
たとえば咲耶が一人だけ特殊な力を持っていたら、サクラの民にとって特別な存在だったとしたら。
そうしたら、彼女が生き残った理由にも説明がついてしまうのだ。
咲耶が特殊な力を持つサクラの民の、その中でも特に大切な――選ばれた存在として守られたのだと。
視線を落とす。
自分達の横で眠る少女は
義妹と呼び慈しんできた存在なのに、急に遠く感じられた。
雅翠の言葉に、涼暮が不思議そうな表情を浮かべる。
しばらく首を捻っていた彼は、合点がいったように「ああ」と小さく呟いた。
「そういう意味じゃない。幼かったという事もあるだろうけれど、咲耶は『サクラ』としての能力だけならば、むしろ劣っていた方だ」
彼の答えに、詰めていた息を吐き出す。
安堵している自分がそこにいた。
内心で首を傾げる。
なぜ、咲耶が特別ではない事に安堵しているのだろう。どのような力を秘めていても、何者であっても、咲耶が大切な存在である事は変わらないというのに。
「咲耶は特別じゃないよ、雅翠」
静かな声で、言い聞かせるように繰り返される。
切なさと愛おしさが混ざったような眼差しで、彼はどこか遠くを見ていた。
「情が深い人達だった」
やがて囁くようにそう呟いて、涼暮は雅翠を見据える。
そして、ふと悪戯を思いついた童のような笑みを浮かべた。
「ねえ、雅翠。もし咲耶が徒人で危険な目に遭っていたら、どうする?」
唐突で意図の読めない問いをぶつけられる。
「どう、とは?」
彼の言いたい事が分からずに、雅翠は問い返した。いきなりどうしたのだろう。
「徒人である咲耶を助けるか、それとも見鬼である自分の身を優先して咲耶を見捨てるかという事だよ」
与えられた選択肢に顔をしかめる。彼は何を言っているのだ。
そんなもの、考えるまでもない。
「咲耶を助けるに決まっています。大切な妹なのですから」
「咲耶が徒人であっても?」
「当たり前です。見鬼だとか徒人だとかは、関係ないでしょう」
微かな怒りを込めてそう答えれば、涼暮がふっと顔を緩める。
「そういう事だよ」
それが自分の問いに対する答えであった事に気づき、雅翠ははっとした。
守られた事に理由など無い。咲耶は力の有無に関係なく、純粋に存在そのものを愛されていた。だからこそ、家族に守られたのだ。
「……すみません」
当たり前の事すら失念してしまう、自分の浅はかさが恥ずかしい。
俯いて声を絞り出せば、涼暮が苦笑した。
「雅翠を責めているわけじゃないよ。そう考えてしまうのも仕方がないくらい、サクラの民は特殊な存在だったからね」
それに、今はそんな事に時間を割いている場合ではない。
言外にそう告げられ、無言のまま顔を上げる。
胸の中に巣くう感情を追い出し、雅翠は涼暮を見据えた。
「まあ色々な事情があって俺は咲耶を引き取ったけれど、咲耶はサクラだ。笑えないほどモノが引き寄せられるし、どこぞと知れぬ神までひょいひょいと降りて来る。
当時の咲耶はまだ体力も無いし霊力も弱かったから、すぐに霊障や神が降りた影響で身体を壊していた」
「だから邸に、こんな強力な結界を張っているのですね」
ずっと疑問に思っていた事の答えを、今になってようやく知る。モノや呪詛から身を守る為だとは理解していたが、この邸に張られた結界は強力すぎる程だった。
「俺が咲耶に与えた守りはそれだけじゃないよ、雅翠」
続けられた言葉に頷いて、雅翠は口を開く。
「勾玉、ですね」
咲耶によって「魔除けである」と明言されたのは、つい先程の事だった。
「……やっぱり、気づいていたんだ」
さして驚いた様子を見せずに、涼暮が頷く。もしかしたら、彼は雅翠が「知っている」事を察していたのかもしれない。
「結界のお陰で邸の中は安全だけれど、ずっと籠もっているわけにはいかないからね。
あの勾玉は魔除けであると同時に、サクラとしての力を抑える役割も果たしていたんだ。
それを俺は、家族の形見だと偽って身につけさせていた」
砕けてしまったけど、と彼は呟く。
「サクラの力が抑えきれないほど強くなっていたのか、あのモノが強すぎたのか、もしくはその両方だろうね」
本当に無事で良かったと呟く彼に頷いて、雅翠は咲耶の元へ駆けつけた時の事を思い返した。
あの時は、理由もよく分からないまま対屋から引きずり出され、咲耶の身に危険が迫っていると聞かされたのだ。駆けつけた先では咲耶が真っ青な顔で座り込み、呆然とした面持ちで自分を襲うモノを見つめていた。
縋るようにしがみついてきた咲耶の、怯えきった表情を思い出す。
その途端に、腹の中で何かどす黒いものが渦巻いた。
「雅翠」
名を呼ばれ、我に返る。
涼暮が、何かを危ぶむような眼差しを向けていた。
頭を振って、思考を切り替える。
逢魔時の事を思い返して、雅翠はふと首を傾げた。
「……そういえば、なぜあのモノは退いたのでしょう?」
雅翠達が結界を強めなければならない程の力を持っていながら、あの時、モノはあっさりと退いたのだ。
涼暮が目を眇める。
「……
大神実命」
ぼそりと呟かれたその言葉に、雅翠は咲耶の好物を思い出した。