サ・クラ奇譚 | ナノ




弐 かなし、かなし
 頭が重い。身体が思うように動かない。
 霊障だろうかと、ぼんやりとする頭で考える。穢れに深く関わった為、体調を崩してしまったのだ。
「お目覚めですか、咲耶様」
 身じろぎをすれば、耳に心地よい声が降ってきた。うっすらと目を開けば、淡い青色の瞳が咲耶を見下ろしている。
「月草……?」
 掠れた声で名前を呼び、咲耶は顔をしかめた。ひどく喉が渇いている。
 月草の手を借りて身体を起こし、渡された器に口をつける。冷たい水が喉を通り抜ける感覚に、ほっと息をついた。
 引き寄せられた脇息にもたれ、視線を巡らせる。
 咲耶が伏せっていたのは、自分の対屋(たいのや)だった。
 格子が上げられているのか、吹き込んだ風に御簾が揺れている。身体には(ふすま)がかけられ、火桶では炭が赤々と燃えていた。
 咲耶が記憶を手繰っている間にも、月草は甲斐甲斐しく動き回っている。火桶に炭を足してから咲耶の肩に袿をかけ、今は髪を梳く為に櫛箱を手にしていた。
「……心配かけて、ごめんなさい、月草」
 小さな声で謝罪すれば、ため息が返ってくる。
 怒気を漂わせる月草を見て、咲耶は掌を握りしめた。
 月草は涼暮の式で、彼の命で咲耶の世話をしている。名前の通り月草の精で、人の姿を取る事が出来るモノでもあった。涼暮の血と霊力によって生き長らえる脆弱な存在であり、一人では邸の外に出る事もままならない。
 肩で切り揃えた月草色の髪を揺らしながら、月草は咲耶の髪を梳く。
 奈良に都があった頃の装束を纏う彼女は、儚い雰囲気の持ち主であると同時に、とても有能な家事の担い手でもあった。
 咲耶にとっては、母のような存在だ。
 髪を梳き終えたのか、月草が手を止める。
「咲耶様」
 衣擦れの音と共にかけられた声に、咲耶は顔を上げた。
 視界いっぱいに、美しい月草色が広がっている。
 白く細い指が頬に伸ばされ、張り付いていた髪を丁寧に払った。
「わたくしの言いたい事は、分かっていますね?」
 柔和な面差しに険を滲ませて、彼女は問いかける。
「……ええ」
 唇を噛んで、咲耶は頷いた。
 逢魔時には出歩かないようにと言われていたのに、咲耶はそれを破ってしまったのだ。
 見鬼ではない者――徒人(ただびと)が巻き込まれなかったとは言え咲耶はモノに襲われ、涼暮や雅翠、月草に迷惑をかけている。言いつけを守っていれば、このような事にはならなかったはずだ。
「ごめんなさい」
 謝罪の言葉を絞り出す。月草が表情を緩め、深々と嘆息した。
「……反省は、していらっしゃるのですね」
 その言葉に頷けば、彼女は瞳を細める。
「では、咲耶様を叱るのは涼暮様にお任せしましょう」
 不意に、月草の面差しが歪んだ。泣きそうな顔で彼女は微笑む。
「……咲耶様がご無事で良かったです」
 その途端に、視界が滲んだ。心の奥で凍りついていた感情が溶け出し、瞳から零れ落ちる。
「月草……」
 彼女の袂を掴んで、咲耶は声を震わせた。涙が頬を伝う。
 労るように頭を撫でられ、堪えきれなくなった咲耶は手を伸ばした。月草の身体に縋りつく。心の奥にまで染み渡るような、清々しさを残した香りが広がった。
「怖かったですね」
 そう囁かれ、月草はまぎれもなく涼暮の式だと理解する。彼女も涼暮と同じように、咲耶の心の中を見透かしてしまうのだ。
 心が張りつめた時に、欲しかった一言をくれる。
 強がる咲耶に寄り添って、泣く場所を与えてくれる。
 それを心地良く感じてしまうから、咲耶は彼女に弱いのだ。
 月草の言葉に、黙したまま頷く。
 怖かった。術を使うたびに消耗する身体も、恐ろしい姿のモノも、何もかもが咲耶にとって初めてだった。モノに襲われる事が、こんなに恐ろしいなど知らなかった。
 あのまま助けが来なかったら、自分はどうなっていたのだろう。体力と霊力を根こそぎ奪われ、動けなくなったところを喰われていたのだろうか。
「もう大丈夫です、咲耶様」
 背を撫でられる。涙が止まるどころか、余計に溢れだした。
 嗚咽をこらえることも出来ずに、ぼろぼろと涙をこぼす。
 咲耶が泣きやむまで、月草は抱きしめていてくれた。



[*prev] [next#]
[しおり]
[ 9/44 ]
back




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -