イグニアの盾アグリアの剣 | ナノ




Lament the helpnessless in the rain.1

 しっとりと湿った空気が、ここがアグリアではない事を告げている。
 深い緑のマントを被ったカメリアは、周囲の木々に溶け込むようにして息をひそめていた。
 遠くから、ドラゴン達の雄叫びや怒号がかすかに聞こえてくる。爆発音や火薬の臭い、煙がここまで届いていた。
 原因は分かっている。今はイグニアとの交戦中なのだ。
 カースライドの水源のすぐ近くに広がる森の中で、カメリアはグラナートと共に待機していた。
 今回カメリアに与えられた役割は遊撃だ。騎士長のレダ・エーゲルシュトランドが予想したイグニアの補給ルートにそって、遊撃隊はいくつかに分かれて待機していた。
 自分と同じように緑の布を被ったグラナートを見上げ、首を傾げてみせる。
 これは、今回の作戦の際に二人の間で決められた合図だ。飛ぶ事に特化している彼は目が良い。カメリアは彼に、銀の鎧を見かけたら知らせるように頼んであった。
 ふるふると首を振る彼を宥めるように、その体に手を添える。普段とは違う手甲をはめられた手の感触に、彼は落ち着かない様子でカメリアを見下ろした。
 その眼差しに苦笑して肩をすくめる。戦いの最中なのだから仕方がない。いくら何でも、混戦が予想される中に防具をつけずに飛び込む勇気は無かった。
 鉄靴に覆われたつま先を見下ろして、小さく息をつく。上司や同期が戦っている中、ただ待機しているだけというのはなかなかに辛かった。前線で戦っていた方がまだ何も考えずにいられるのにと、遊撃隊に配置された事に不満を募らせる。
 ここにいたら、考えたくない事まで考えてしまうではないか。
 周囲にグラナートしかいないのを良い事に、カメリアは普段張り付けたままの微笑みを消して眉をひそめる。戦況が分からないというのは、思っていた以上に精神が追いつめられるものだった。
 アグリアの拠点に近い位置で待機している騎士ならば、戦況を知る事が出来るだろう。しかし、カメリアが待機しているのはイグニアの領地だ。戻って戦況を確認するわけにはいかない。
 敵側にドラゴンがいた場合、ドラゴンを伴っていない騎士では足止めする事さえ難しいのが現実だ。ドラゴンをパートナーとしている者ほど拠点から遠くに配置されたのには、それなりの理由があるのだ。
 ふ、と小さく息をこぼす。確かに自分達は多数を相手にしてもそれなりに戦えるだろうし、そもそもグラナートの特徴からして混戦向きだ。他の遊撃隊が駆けつけるまで持ちこたえる事はできるだろう。
「またあなたを利用してしまうわね、グラナート」
 風に溶けるほど小さな声音で、そう囁いた時だった。
 ぴんと空気が張りつめる。
 はっとしてグラナートを見上げれば、漆黒の瞳で遠くを見据えていた彼がこくりと頷いた。
 カメリア色の瞳を細めて、彼と同じ方向を見据える。遠方に瑠璃色のドラゴンを確認して、カメリアは呟いた。
「水辺ドラゴンかしら……」
 大きさからそう判断し、観察を続けるように合図をする。ドラゴンが一体だけとは限らない。
「一体だけ?」
 指を一本立てて首を傾げながらグラナートに問えば、かれは少しの時を置いてこくりと頷いた。どうやら、もう一度確認していたようだ。その上で彼が判断したのだから、本当にドラゴンは一体だけなのだろう。
 もしかしたら、イグニアも補給ルートを攻撃される可能性を考慮し、複数のルートに散らばっているのかもしれない。
 加勢が期待できない可能性もあると判断してから、カメリアはグラナートに合図を出した。
 グラナートが頷いた事を確認してから、槍を手に取る。
 手の中で柄を滑らせるようにしてその感覚を確かめてから、カメリアは間近に迫る補給部隊を眺めた。
 深く息を吸い込む。
「メリー」
 小さな声音で呼ばれる。カメリアは振り向くと、彼の胸元に額を押しつけた。
 身軽さを損なわないように、グラナートの鎧は最低限しかつけていない。
 剥き出しの鱗に触れればほんのりと熱を帯びていて、彼が戦闘態勢に入りつつある事が分かった。
 鞍に予備の槍がしっかりと括りつけてある事を確認してから、この言葉が彼に届かない事を承知で命じる。
「わたしがあなたに命令する事は、一つだけよ。
 ――絶対に死なないで、グラナート」
 そして、カメリアは地を蹴った。


 カメリアに気づいた騎士が声を上げる前に、槍を繰り出す。手の中を滑るように動いた槍は、狙いを違わずに騎士の胸元に吸い込まれた。
 刃が肉に食い込む感覚に、マントの陰で顔をしかめる。いくら前線で敵を屠っても、この感覚だけは慣れる事ができなかった。
 素早く槍を引き抜き、柄の部分を騎士の首筋に叩きつけて馬から落とす。血の粉が舞い、その匂いに怯えた馬が嘶いた。
 思った通り、彼らは前線では考えられないほどの軽装だ。胸当てに阻まれるかと考えていたが、それも無い。
 驚いたように振り向いた二人目に向かって、カメリアは地を滑るように移動した。
 槍を横に振るう。
 相手が構えていた弓の弦が切れ、見当違いの方向へと矢が飛んだ。
 驚いたように目を見開いた相手に向かって、槍をくるりと回転させて突き出す。
 相手の顎を強打するはずだった石突きはしかし、滑り込んできた白銀によって進路を反らされた。
 深追いはせずに、すぐに槍を引き戻す。
 数歩下がって間合いをとれば、金色の瞳が向けられていた。
「撤退しなさい!」
 カメリアと対峙する亜麻色の髪の女性が、間合いを測りながら補給部隊に命じる。どうやら彼女が、この部隊を指揮しているようだった。
「ミュリエル殿、しかし……」
「良いから撤退しなさい! 死んだら意味がないのよ!」
 その命令に戸惑った様子を見せる騎士達に、彼女はカメリアから視線を外さずにまくし立てる。
「遊撃兵が一人だけのはずがないでしょう! 囲まれる前に撤退するのよ!」
 彼女の的確な判断を聞きながら、カメリアはさらに数歩下がった。ばれているのならば、早く行動するにこした事は無い。
 背後の森に飛び込むようにして身を隠す。すぐ近くの木に、弓が突き立った。
 一瞬だけ背筋に冷たいものが走るが、構わずに腰に手をやる。
 剣帯に下げていた袋から綿を押し固めたものを取り出し、カメリアは素早く両耳に詰めた。
 そしてやはり剣帯から火薬を仕込んだ筒を外し、頭上を扇ぐ。
 ぽっかりと開いた木々の隙間から見える空に顔を向け、カメリアは唇を動かした。
「良いわよ、グラナート」
 その瞬間に、補給部隊の頭上に影が落ちる。
 彼らがはっとしたように振り仰ぐが、カメリアの陽動に引っ掛かっていた時点でもう手遅れだった。
 紅蓮の炎が地を染め上げる。
 ちりちりと肌を焦がすようなその熱に目を細めながら、カメリアは手に持った筒をその中に投げ込んだ。
 すぐに目を閉じて耳を塞ぎ、補給部隊に背を向ける。
 その瞬間に、爆音と閃光が広がった。
 交戦の際に仲間を呼ぶ為の閃光弾だ。一時的なものではあるが、まともにくらえば視覚と聴覚が失われる。
 目を閉じているというのに視界が白く染まり、爆音に耳が痛んだ。
 すぐにグラナートを遠ざけたのは正解だったと、今更のように胸を撫で下ろす。いくら耳栓をしてあるとはいえ、彼にこの光と音は辛いだろう。
 じわりと痛む目に涙を浮かべて、カメリアは補給部隊の様子を窺った。
 閃光弾が破裂する前に消火を試みたのか、周囲には水蒸気が立ちこめている。
 その中でゆらゆらと揺れる人影を確認し、思わず舌打ちをした。
 気絶してくれれば、戦わずに済んだものを。
 ぎゅっと手に力を込め、手に馴染んだ槍の感覚をもう一度確かめる。
 痛みの治まってきた目に強い光を宿して、カメリアは白くけぶるその場に飛び込んだ。






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