イグニアの盾アグリアの剣 | ナノ




Lament the helpnessless in the rain.2

 肌がじっとりと湿り、顎から汗とも水滴ともつかぬものが滴る。
 場は混戦状態に陥っていた。
 地上では水蒸気の為にほとんど互いの姿が見えない。さらにカメリアの合図によって、アグリアの遊撃隊だけでなくイグニアの援軍まで駆けつけたのだ。
 グラナートのブレスによって最初に見つけた補給部隊はほぼ全滅状態だったが、あのミュリエルという女性が曲者だった。
 イグニアの援軍が到着するまで、彼女と彼女のドラゴンが持ちこたえたのだ。彼女の命で荷車を外されたドラゴンは予想以上に素早く、短時間で目的を果たしてその場を去る事が出来なかった。
 どうやら彼女――ミュリエルは、生き延びる事に重きをおいているらしい。彼女と戦っている間に、補給部隊の姿は見えなくなった。命令に従って撤退したのだろうか。
 空中戦を繰り広げながらでは、地上の細かな様子を把握する事は出来ない。その為詳しい状況は分からなかったが、地上ではアグリアの遊撃隊とイグニアの援軍が激突していた。補給物資自体は、グラナートのブレスによってほぼ焼き尽くされている。補給ルートを断つという目的を果たしたのだから、これは一応アグリアの勝利になるのだろうか。
 視界の端で、虹色が輝く。
「グラナート!」
 余分な思考を追いやって、カメリアは対竜用の槍を握り直した。
 その瞬間に浮遊感が体を襲い、視界がぶれる。
 腿に力を入れて体を固定し、手綱を手放さないように左手に絡ませた。
 そうやって安定させた上半身をひねり、下方から迫る瑠璃色の巨体を確認する。
 鐙にひっかけた足に体重がかかり、天地がひっくり返った。
 素晴らしい機動力を発揮して水辺ドラゴンを避けたグラナートの横を、瑠璃色の巨躯が通過していく。
 虹色のきらめきが撫でるように通り抜け、その身体が生む風圧にグラナートの体があおられそうになった。
 次いで白銀の光がカメリアを狙ったが、それを手にした槍で絡め取るようにして弾く。カメリアの槍と剣では間合いが違う。弾かずとも傷つけられる事は無かっただろうが、万が一にでもグラナートが傷つけられるのは困る。
 そのまま相手の胸を突こうとしたが、さすがに間に合わなかった。
「下降して!」
 巨躯が通り抜ける前に指示を出す。同時に槍を手元に引きつけ、今度は瑠璃色の体を狙って突き出した。ガチリと堅い鱗に阻まれる感覚が肩に伝わる。ドラゴンが飛び立つ前に防御魔法を使っていた事を思いだし、カメリアは顔をしかめた。
 しかし、目的は傷を追わせる事ではない。
 カメリアの指示に従って、グラナートが一気に下降する。
 水辺ドラゴンの尻尾がぎこちなく動き、二人の残像を薙いだ。
 おや、とカメリアは水辺ドラゴンを見上げる。
 カメリアの攻撃は鱗を砕きはしなかったものの、それなりに効果があったらしい。グラナートが下降するまでの時間稼ぎになればと思って攻撃したのだが、そのお陰で新たな情報を手に入れる事が出来た。
 水辺ドラゴンは、飛行中に呪文の詠唱が出来ない。もしかしたら、魔法が切れかかっているのかもしれない。
「アズ!」
 ミュリエルの叫び声が降ってくる。
 頭上を仰げば、彼女はぎこちない動きを見せたパートナーを案じているようだった。
「大丈夫」
 大したことはないと告げる水辺ドラゴン――アズというらしい――の声を聞きながら、カメリアはグラナートの首筋に手を添える。
「一気に行くわよ」
 それだけを告げて、カメリアは槍を握る手に力を込めた。
 特別な指示も、指揮もいらない。
 ドラゴン達は自分の頭で考え、判断する事を知っているのだ。
 二対の翼が大きく広げられ、ガーネットの色味にも似た鱗がきらめきを放つ。
 淡い紅色の飛膜が風をはらみ、カメリアの髪を舞い上がらせた。
 一瞬で加速し、アズの真上まで移動する。
「……えっ」
 驚いたように一人と一匹を見上げたミュリエルの顔を、カメリアは無表情で見下ろした。
「頼むわよ」
 ぽつりと呟き、左手から手綱を、鐙から足を放す。
 槍を下方に向けて両手でしっかりと構えてから、カメリアはグラナートから滑り落ちるようにして飛び降りた。
 騎乗の際にカメリアが使う槍は、対竜専用だ。ドラゴンに乗った状態でも攻撃ができるように、刃の部分は大きく、柄も長くなっている。
 そしてドラゴンに対して効果的な攻撃が与えられるように、丈夫に作られていた。
 虹色の鱗が、視界いっぱいに広がる。
 触れた部分の鱗が割れ、その下の皮膚を露出させた。
 何も迷わずに、カメリアは翼の付け根に槍を突き立てる。
 鱗を破壊した刃が、ずぶりと肉に食い込んだ。
「アズ!」
 振り向いたミュリエルが悲鳴を上げる。
 その瞬間に、アズの体が傾いだ。滑落していく体はそれでも賢明に羽ばたこうとするが、翼を傷つけられたのだ、安定して飛ぶ事は叶わない。
「アズ! アズ!」
 取り乱したようにパートナーの名を叫ぶミュリエルの声を聞きながら、カメリアは握りしめた槍ごと宙に放り出された。露わになったアズの傷口から、血の霧が生まれる。
 何とか体を捻ったところで、血よりも濃いガーネット色の体躯が視界に広がった。
 グラナートだ。
 落下するカメリアを待ちかまえていた彼が、鋭い鉤爪でカメリアの肩当てを掴んだ。
「メリー、けが?」
「無いわ。あなたは?」 
「無い」
 手短に互いの無傷を確認し、瑠璃と虹色の輝きを放つ巨躯を追う。水辺ドラゴンは治癒や防御の魔法を得意とする。意識を失っていない限り、安心する事など出来ないのだ。
 地に伏した瑠璃色の体躯に、カメリアの足が触れるか触れないかという高さまで下降する。
 ぐったりと力を失って倒れ伏したアズの上で身じろぎをした亜麻色の頭を認め、カメリアは鉄靴に覆われた片足を突きだした。
 カメリアの動きから目的を察したグラナートが、彼女へと急接近する。
 深紅の体躯と接近する羽ばたきの音に気づいたミュリエルが、はっとしたように体を起こした。
 金とカメリアの瞳がかち合う。
 その手が握りしめた剣を持ち上げようとする前に、カメリアは彼女を蹴りつけた。
 グラナートの加速によって勢いを増した足が、胸当てを直撃する。
 彼女はアズの上から降りようとしていたらしい。
 固定されていなかったミュリエルの体が宙を舞ってドラゴンの上に落ち、そのまま地に滑り落ちる。
 勢いのままに地を転がる彼女を視界に収めながら、カメリアは高度を上げようとしていたグラナートの足を軽く叩いた。
 再びグラナートが下降する。
 地面まで一、二メートルほどの高さになったところで、彼はカメリアの肩当てを放した。
「待機しつつ、ドラゴンの様子を見ていて!」
 そろそろ彼の滞空時間も限界を超える。一度どこかに着陸させなければ体がもたない。
 膝を曲げ、腰を落として着地する。鉄靴が地面を抉り、短く線を描いた。
 抜き身の剣で体を支えるようにして、ミュリエルが体を起こす。ぎこちないその動きに舌打ちをして、カメリアは槍を深く地に突き立てた。対竜用の槍はドラゴンにも通用する強度を持つが、その代わりに重い。対人戦で振り回すのには向いていないのだ。
 左腰に吊した剣に手を当て、一気に引き抜く。ロングソードと呼ばれる、騎兵の間ではごく一般的な片手剣だ。交戦の度に血を啜っている両刃の剣が、鈍い輝きを放つ。
「アズ……!」
 悲痛な声を上げてパートナーに駆け寄ろうとしたミュリエルの前に、カメリアは立ち塞がった。
「あなたはもっと状況を見るべきね」
 金色の瞳がのろのろとカメリアに向けられる。
 彼女がカメリアの存在を認識する前に地を蹴った。
 はっと見開かれた瞳が間近に迫る。
 剣の刃が擦れる、耳障りな音が響いた。
 カメリアの攻撃を何とか受け止めたミュリエルの頬から、一筋の血が流れる。
「あなた、わたしと戦っているのよ」
 その言葉に、金色の瞳がゆらゆらと怒気を放った。
 彼女が自分の剣にもう片方の手を添える。
「よくも……」
 手に力を込めたのか、カメリアの剣と彼女の剣がカタカタと音を立てた。さすがに片手では押さえきれないと判断し、カメリアも両手を添える。
「よくも、アズを……!」
 血を吐くような叫びと共に、さらに力が込められた。
 地を擦るように右足を斜め前に出す。その右足に左足を引きつけながら、カメリアは彼女の剣をさばいた。
 たたらを踏む彼女の軸足を鉄靴で思い切り蹴りつける。そのまま彼女の背に剣を振り下ろそうとしたが、彼女はもう片方の足で地を蹴り、前方に飛び込むようにしてそれを避けた。
 その際にかすめた亜麻色の髪が、一筋だけ宙に舞う。
「ドラゴンが傷つけられた事を怒っているの?」
 すぐに体を起こして剣を構え直した彼女に向かって、カメリアは剣を構えながら問いかけた。
「それが戦いというものでしょう?」
 金色の瞳が激情にきらめき、亜麻色の髪がなびく。
「あなた達が!」
 急に素早さを増した彼女の暫撃を受け流し、カメリアは後方に飛び退った。
 追いすがる彼女の暫撃がマントの胸元を掠め、留め具を弾き飛ばす。
 舌打ちをしながらマントに手をやり、彼女の視界を覆うように広げた。
 分厚い布がミュリエルの剣にまとわりつく。彼女の動きがわずかに鈍った。
 その隙に体勢を立て直し、地を抉る勢いで踏み込む。
 カメリアの剣を、彼女の剣がしっかりと受け止めた。
 金色の瞳がカメリアを睨みつける。
「あなた達が、ドラゴンに酷い事をするから! 大陸への進攻なんて考えるから、戦いが起きるんじゃない!」
 その言葉には答えず、鎧に覆われていない彼女の鳩尾に手甲に覆われた拳を叩き込んだ。一瞬だけ力が抜けた瞬間を見計らい、カメリアは剣筋から体を外す。同時に手首を返した。
 下から突き上げるように、剣の柄で手首を殴りつける。鈍い音がし、ミュリエルが小さな悲鳴を上げた。
 剣を取り落とした彼女は飛び退り、打撃を免れた方の手で刃物を取り出す。あれはダガーか。
 ミュリエルが口を開く。
「――――」
 耳慣れないその言葉を聞いた瞬間に、カメリアは一気に距離を詰めた。
 彼女が呪文を紡ぎ終える前に、剣を閃かせる。それを何とかダガーで受け止めた彼女の瞳は、闘気を失っていなかった。
 ミュリエルは衝撃に顔をしかめて言葉を詰まらせたが、すぐに呪文の詠唱を続けようと口を開く。
 だからカメリアは、動きを止めなかった。
「――あなただって」
 空いている方の手を腰の後ろに伸ばす。
 そこにあるものを掴み、カメリアは振りかぶった。
 刺突専用の短剣――スティレットに気づいたミュリエルが息を飲む。
 避けようにも、カメリアの剣を受け止めている彼女は動けないのだ。
「あなた達だって、ドラゴンを使って戦っているじゃない!」
 カメリアの左手に、刃が肉を貫く感触が伝わる。
 肩にスティレットを根本まで刺されたミュリエルが悲鳴を上げた。
 間髪を入れずにスティレットを引き抜き、再びその肩を穿つ。骨が砕ける感覚が手に伝わった。
 ダガーを取り落としたミュリエルに向かって、躊躇なく剣を振り下ろす。切っ先がよろめくように後退した彼女の肩を掠め、裂けた服にじわりと血の染みが浮かび上がった。
 剣を振り下ろした勢いのままに踏み込み、体を回転させる。勢いをつけて放たれた回し蹴りが彼女の首を捉えた。
 地に薙ぎ倒されたミュリエルの肩を踏みにじる。
 痛みに歪む彼女の顔を見下ろしながら、カメリアは両手で剣を持ち直した。
 逆手に握った剣を振り上げ、金色の瞳を見て呟く。
「ごめんなさい」
 そして、無防備に晒された白い喉へと振り下ろした。






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