イグニアの盾アグリアの剣 | ナノ




A littele confession at midnight

 広がる血溜まりの意味が、理解出来なかった。
 涙を流す彼らから、目が離せなかった。
 怒りと悲しみをはらんだ眼差しが、少女を見た途端に憎悪の炎を宿らせる。
 ここにいるのは、何だろう。
 ぼんやりと、そんな事を思った。
 兵器なら、涙を流さない。怒りや悲しみを持たない。
 では、イグニアの言うように神聖な友なのだろうか。
 しかし、そう思えない程には、目の前に広がる光景は残酷だった。
 パートナーたるドラゴンによって引き裂かれ、もはや原型をとどめていない両親の姿。転がってきた腕が、立ちすくむ少女の足にこつんとぶつかって止まる。鋭い爪が備わった足が、二つの頭蓋骨を踏みつぶした。まるで熟れた果実のようにぐしゃりとはじけ、中身が溢れ出す。
 兵器達は持ち主に牙を向き、一瞬で両親を屠ってしまった。
 その場に凍り付いたまま、少女は考える。
 ここにいるモノは、何なのだろう。
 目の前に爪が迫る。
 避ける事など、出来なかった。
 一瞬で平衡感覚が失われる。
 左腕から肩や胸元が急激に熱を帯び、体中が軋むような感覚に襲われた。
 溶岩に覆われた地に背中を打ち付け、息を詰まらせる。冬でも高い温度を保つ地表は、先程炎を吐かれた事によってさらに温度を上げていた。
 特殊な加工を施した靴以外の箇所で触れるのは、焼き鏝を押しつけられているのと何ら変わりがない。
 背中を焼かれる痛みに悲鳴を上げる。息がつまり、呼吸さえまともに出来なかった。
 ただ逃れたいと願い、思うように動かぬ四肢に絶望する。
 間近に迫った死の匂いに、少女は瞳を閉じた――。

 日中に比べれば幾分か和らいだ、それでも熱を帯びた空気が風を運ぶ。
 寝台の上で勢いよく体を起こしたカメリアは、呆然とした面持ちで部屋を見回した。
「夢……」
 震える手で掛け布を握りしめ、自分自身に言い聞かせる。
 背中を汗が伝い、夜着がじっとりと湿っていた。首筋もしっとりとして、それがたまらない不快感を催す。
 ぎゅっと眉をひそめて、カメリアは寝台から抜け出した。
 窓を閉め、扉にも鍵がかかっている事を確認してから乾いた布を取り出す。
 体に張り付く夜着を脱ぎ捨てて腰まである黒髪を持ち上げれば、細い背中が露わになった。
 そこにあるのは白くなめらかな肌ではなく、赤く引きつれた痕が目立つ肌だ。
 髪を持ち上げる左腕の上腕から肩にかけては、白く浮き上がる傷跡が走っている。
 一生消える事が無いだろうその傷は、幼い頃にドラゴンに殺されかけた痕だった。
 手早く体を拭き、少し迷ってから制服に腕を通す。悪夢のせいか、眠れる気がしなかった。どうせ明日は非番だ。たまには夜更かしをしても許されるだろう。
 花瓶に活けられていた花を一つだけ取り出し、適当に水気を切って弄ぶ。壁に掛けていた剣帯と剣を身につけ、耐火加工の施されたブーツに足を通した。
 音を立てないように注意しながら、廊下へと通じる扉を開く。
 所々に明かりが灯された廊下は、物音を吸い込んでしまったように静かだった。
 カメリアの立てるかすかな物音も、すぐに静寂に溶けていく。昼間は騒がしいはずのその場が、どこか知らない場所のように思えた。
 談話室を通り過ぎ、ようやく外へと通じる扉へとたどり着く。
 扉を開け放った途端に流れ込んできた空気の匂いに、カメリアは息をついた。
 起きた時には気づかなかったが、眠っている間に雨が降っていたらしい。踏みしめた地面は少しだけ柔らかく、しっとりとした空気が体にまつわりついた。
 濡れた草の匂いを胸に吸い込み、カメリアは歩き出す。
 明かりはほとんど無かったが、よく知っている場所であるし、雲間からこぼれ落ちる月光のおかげで視界は明るかった。
 危なげのない足取りで目的地に向かう。
 厩番に声をかけてから、カメリアは巨大な建物――竜舎へと足を踏み入れた。
 敷き詰められた干し草の匂いが、わずかに漂っている。
 いくつにも区切られた竜舎は驚くほど天井が高く、風通しも良かった。
 自分が思っていた以上に過ごしやすそうなその環境にほっと息をつき、カメリアは自分のパートナーが眠っている房を目指す。
「……グラナート」
 ぽつりと声をかければ、房の中で微睡んでいたドラゴンがのろのろと頭を持ち上げた。
 わずかな光に反射してガーネットのようにきらめく、暗い赤の鱗。腹部はやや白みがかっている。二対の翼を鳥のように縮めて房の中に横たえられた大木に留まっていた彼は、カメリアを見て不思議そうに首を傾げた。
「メリー?」
 人間の言葉を片言しか話せない彼は、カメリアを愛称で呼ぶ。かつて両親に呼ばれたそれは、今はパートナーであるグラナートだけに許された呼び方だ。
 手に持った花を差し出しながら、カメリアは口を開く。
「……眠れなくて」
 今日は昼間に訓練があった。きっと彼も疲れている。
 それは分かっていたが、つい来てしまったのだ。
「メリー」
 擦り寄せられた頭に手を添え、カメリアは瞳を閉じる。
「夢?」
 その言葉に黙って頷けば、グラナートの巨躯が強ばった。
 夢。ドラゴンに両親を殺された時の記憶。
 それはカメリアの体だけではなく、カメリアとグラナートの心にも影を落としていた。
「分かっているわ」
 小さく呟き、彼の頭をなでる。
「あれは、わたし達人間が悪かったのよ。分かっている」
 騎士団に所属していたカメリアの両親は、薬を使用してドラゴンを服従させていた。薬の効果が切れて我に返った彼らによって、両親は原型を留めないほどに引き裂かれてしまったのだ。
 当時まだ幼かったカメリアには、何が起きたのか理解できなかった。
 心を閉ざし、ただドラゴンを恨んだ。ドラゴンはパートナーを平気で殺すような生き物なのだと思いこみ、親しくしていたグラナートすら遠ざけた。
 ドラゴンは戦闘の道具。人間に使われるもの。
 そう思いこもうとした。ドラゴンを殺し尽くしてしまいと願った。
 そんな時に、ふと疑問に思ったのだ。
 それならば、幼い日に自分に懐いたグラナートは何なのだろうか。あの時涙を流したドラゴン達は、何なのだろうか。道具というものは、薬を使って服従させなければいけなかっただろうか。
 そして、なぜ両親は薬を使用してまでドラゴンをパートナーにしていたのだろうか。
 どこかが狂っていて、何かがかみ合わなかった。
 だからカメリアは、知りたくなったのだ。
 騎士団に入団すれば、両親の考えが分かるかもしれないと思った。 
 けれど。
「……ねえグラナート、わたし、まだ分からないわ」
 名前と同じカメリア色の瞳で彼を見つめ、問いかける。
「わたしはイグニアのように、ドラゴンを神聖なものだとは思えない。でも、グラナートは道具じゃないわ。あなたは道具じゃない」
 道具ならば、会いたいなどと思わない。
「薬なんか使わなくても、パートナー関係の人達はたくさんいるわ。その人達だって、ドラゴンを道具だとは思っていないはずよね」
 けれど、ドラゴンは戦闘の道具として戦場に駆り出される。
「それにね」
 何よりも分からない事は。
「……ドラゴンが神聖な友だというのなら、どうしてイグニアはドラゴンを使ってわたし達と戦っているのかしら?」
 この世界は思った以上に複雑すぎて、ますます分からなかった。
「ねえ、グラナート。わたし、たくさんの人とドラゴンを殺したわ」
 血にまみれて、戦って、かつての両親と同じように戦場でドラゴンを駆るようになった。
 分からない事は増える一方で、カメリアは迷いながらも手を汚し続けている。
「メリー」
 何かを言いたそうに、グラナートが名を呼んだ。
 しかし、彼はそれ以上は何も言わない。ただ黙したまま頭を擦り寄せる。
 だからカメリアは、彼に囁く事しかできないのだ。
「ねえ、グラナート。わたしはどうしたら良いのかしら?」
 唇から問いがこぼれ落ち、静寂に広がる。
 彼に体を擦り寄せて、カメリアは瞳を閉じた。
「わたし、また人を、ドラゴンを殺すわ」
 小さく呟いてから身体を離し、彼の漆黒の瞳を見つめて告げる。
「わたし、また、あなたを利用するわ」

 しっとりと重苦しい空気が、二人を包み込む。
 小さな声音で紡がれた懺悔は、夜の闇に溶けて消えた。

<了>

イグニアの盾 アグリアの剣」へ寄せて。
(一部、キャラクターをお借りしています)



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