CHAFTER | ナノ




金の彼と始まりの記憶
 次に会ったのは、彼の感覚では半年程経った頃だ。
 ふらりと散歩をしていると、不意にリンという音が響いた。
「……ん?」
 今まで鳴る事が無かった鈴を取り出して、彼は首を傾げる。
「あら?」
「あらあら?」
 その途端に、花の妖精達が彼に近寄って来た。
「人間のものね」
 その中の一人が彼の掌に降り立って、鈍く輝く小さな鈴を眺める。
「……おい、触んなよ」
 きらきらとした眼差しで鈴を見つめる彼女に声をかけると、彼女はぷくりと頬を膨らませた。
「分かってるわよ。あの子のお友達に頼んで、貰うから良いもの!」
「あの子?」
 その言葉に、彼は首を傾げる。
 花の妖精達はぱっと顔を輝かせて、口々に彼に告げた。
「そう、あの子」
「素敵な髪の、あの子」
「人間とお友達なのよ!」
「美味しいお茶の、お友達」
「それと、こわーい犬!」
 そう言えば、と彼は、ここ最近はルビー・ピンクの幼い妖精が顔を出していた事を思い出す。
 ルビー・ピンクの妖精は、今は人間の茶園で暮らしているそうだ。
 土産と称して彼も一度紅茶を貰ったが、あれは美味しかった。
 礼として人間の世界には無いハーブを持たせたのだが、届いただろうか。
「道理で、最近は人間の世界が近づいているのか」
 ここ最近になって頻繁に迷い込む人間が現れたので、不思議に思っていたのだ。
 ふと、掌の鈴を見下ろす。
 小さく鳴り続ける音は、まるで彼を呼んでいる様だった。
「人間のお友達がいるの?」
「呼んでるの?」
「行ってあげなきゃ」
「人間、すぐに死んじゃうんだもの」
 口々に言い募る彼女達に、思わず苦笑する。
「……しょうがねえな」
 微苦笑を浮かべた彼を見て、花の妖精達は不思議そうな顔をした。

 久しぶりに降り立った人間の世界は、どこか空気を変えた様な気がした。
 またもや本来の大きな姿でいられる事に驚きながら、彼は羽をしまう。
 今だに鳴り続ける鈴を取り出すと、どこかに引かれる様な感覚に襲われた。
 その感覚に逆らわずに歩を進めると、見覚えのある温室に辿り着く。
 その時になって、彼はどうしたものかと思案した。
 彼が人には見つかりにくいとは言っても、無断で屋敷に踏み入るのは礼儀の面からあまりよろしくない。
 かと言って、人間に見える様にしてルーナを正面から訪ねるのも、取り合ってもらえない気がする。何せ彼女は人妻なのだ。耳の尖った若い男が訪ねてきたら、怪しまれるだろう。
 その時だった。
 とん、と足に何かがぶつかった。
「ひゃっ」
 小さな悲鳴に、彼は足元を見下ろす。
 途端に、栗色の瞳と目が合った。
 栗色の瞳の持ち主はころりと地面を転がり、瞳と同じ色の髪が緑の芝生に広がる。
 両手足を動かしてぷくぷくとした丸っこい体を起こし、きょとんとした表情で彼を見上げた。
 そして、彼を指差して叫ぶ。
「へんなのー!」
 既視感を覚えて硬直していた彼は、その言葉に脱力した。
「……おい」
「へんなの、へんなの、へんなのー!」
 柔らかそうなドレスの裾を握りしめて興奮した様に叫ぶ少女は、もう片方の手で彼の服をしっかりと掴んで叫ぶ。
 ひどく楽しそうだ。
「おい、放せガキ」
 少女の頭を軽く叩きながら言い聞かせていると、背後から微かな笑い声が聞こえた。
「お客様を困らせてはいけないわ」
 記憶にあるものよりも僅かに低い声音が、少女をたしなめる。
 何となく、予感はあった。
 彼は声の方に顔を向け、口を開く。
「ルーナ、か?」
 そう問えば、ゆったりとした仕草で目の前まで歩いて来た彼女は柔らかく笑う。
 きちんと結い上げた白い髪と、筋ばって水気を失いつつある首筋を見下ろして、彼は自分の予想以上に時が経っていた事を悟った。
 長い時を重ねて皺を刻んだその面差しは、それでも華やいだ微笑みを浮かべる事で若々しさを垣間見せる。
「……ええ」
 彼女が栗色の瞳を細めれば、小皺が目立った。
「何十年ぶりなのかしら。……久しぶり、アデル」
 彼の目の前で、白髪の貴婦人が優雅に礼をした。

「あのガキは、孫か?」
 以前よりも柔らかな光に満ちた温室で、彼は口を開く。
 庭を走り回る少女を眺めながら、ルーナが頷いた。
「ええ。……昔のわたしに、そっくりでしょう?」
 どうぞ、と渡されたティーカップを見て、彼は僅かに顔をしかめる。
 彼の仕草に気づいたのか、ルーナはむっとしたような表情を浮かべた。
「失礼ね、あれから何十年経ったと思っているのかしら?
 ……今は、美味しくいれられるようになったわ」
 その言葉に恐る恐る口をつけてみれば、くっきりとした渋みと、繊細な香りが広がる。
「……酸っぱくはねえな。そういえば、あのガキも俺の事を『変なの』って言ったぞ」
「あら、そんな所まで似たのね」
 ほっとしてカップをソーサーに戻すと、様子を見ていたルーナが目を細めた。
「懐かしいわ。わたしにとっては、もう遠い昔の出来事なのよ」
 どこか遠くを見る様な眼差しに、時の隔たりを強く感じる。
「子供だったわたしはおばあさんになってしまったのに、アデルは初めて会った時のままなのね」
 穏やかな声音はどこか哀愁を含んで、物悲しく響いた。
「もう会えないかもしれないと、思っていたのよ」
 わたしは人間だもの、と穏やかな声音が紡ぐ。
「会えて、本当に嬉しいわ。きっと、これで、最後だから」
 言いたい事は、何となく分かった。
 彼とルーナに流れる時は、違う。
 彼が次に人間の世界に降り立った時、ルーナは亡くなっている可能性が高い。
 人間とは、そういう生き物なのだ。
「あなたにとって、わたしとの思い出なんて一瞬の出来事で、いつか忘れてしまうのだろうけれど。
 わたしにとってアデルに会えた事は、とても大切で、素敵な事なのよ」
 柔らかな声音に、何とも言えない感情か込み上げるのが分かった。
「……仕方ねえから、また来てやる」
 気がつけば、そう口にしていた。
「え?」
 不思議そうに首を傾げたルーナに、彼は続ける。
「美味い紅茶に免じて、ばあさんになったルーナが旅立つ前に、餞別をやる。
 欲しいものがあったら、言ってみろよ」
 枯れる事の無い花も、人間の世界では見られない程細かな刺繍が施された布も、手に入れる事が出来る。
 人間が見た事がないだろう、きらきらと輝く石も、月の光を閉じ込めておける小瓶も手に入る。
「それなら、一つだけ、欲しいものがあるの」
 ルーナの声に、彼は彼女の顔を見た。
「……金色の、砂糖を。
 前にわたしにくれた、金色の砂糖が、欲しいわ」
 その言葉に、彼は首を傾げる。
「そんなもので良いのか?」
 そう問えば、彼女は穏やかな表情で頷く。
「それが、良いの」
 幸せそうに、笑った。
「アデルと同じ、温かくて優しい金色の、あの砂糖が大好きなの」
 陽だまりに溶けてしまいそうな、温かな笑顔だった。
「……分かった」
 端的に答えて、彼は席を立つ。
 確実に忍び寄る別れに、胸の奥がわずかに痛んだ。
 彼女の様に彼を不思議な気持ちにさせる人間とは、きっと、もう会えない。
 人間と同じで、死したものは戻らないのだ。
「お前は勘違いしてるぞ」
 伝えまいと思っていた事を伝えたくなって、彼はルーナに歩み寄る。
 ルーナが腰をおろしている椅子の前でひざまずくと、不思議そうに名前を呼ばれた。
 その声には答えずに手をとると、告げる。
「妖精にとっても、人間との出会いはあんまりねえんだ。特に、大人になっても俺達を信じられるやつとの、新しい出会いは」
 妖精にとって時は無限であり、人間は儚いものだ。
 最近では妖精の存在は希薄なものになり、そこにいても認識される事すらない場合もある。
 それでも妖精達が人間に関わろうとするのは、その理由は。
 敬愛の証に、手の甲に唇を寄せる。
「レディ・ルーナ、約束だ。俺はお前に、また会いに来る。金色の砂糖を持って」
 その一瞬の時の中で、忘れる事が出来ないほど強く輝くからだ。
 その強い光は、圧倒的な存在感でもって彼らの記憶に焼きつく。彼らに、様々な感情を、思い出を与える。
 彼が見た中で、ルーナは一番綺麗に笑った。
「ありがとう、アデル。――また会えると、信じているわ」

 約束の結末を、彼はまだ知らない。

<終>

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