CHAFTER | ナノ




金の彼と始まりの記憶
 ふとルーナの事を思い出したのは、数日後だった。
 花の妖精達が定期的に売り出す、金色の砂糖を手に入れた時の事だ。
 なぜだかふと彼女の泣き顔が思い出されて、何となく気になってしまったのだ。
 自分も好んで使っている砂糖の小瓶をつまみ上げながら、彼は思いを馳せる。
 あのぷくぷくとして丸い人間は、今も老犬を探しているのだろうか。
 それとも、落ち込んでいるのだろうか。
 縋る様に伸ばされた小さな――しかしその時の彼よりは遙かに大きい――手を思い出して、彼は嘆息する。
 これだから、お人好しだとオベロンやティターニアに笑われるのだ。
「……様子を見るだけだ」
 そう自分に言い聞かせながら、彼は自分の世界と人間の世界を繋いだ。
 ルーナの事を考えながら、境界をくぐり抜ける。
 これは、自分の為だ。
 様子を見るだけだ。彼女がまたアンシーリーコートの標的にされ、自分の世界に迷い込まれては迷惑なのだ。
 心の中で言い訳をしながら人間の世界に降り立ち、彼は周囲を見渡した。
 ルーナは、この近くにいるはずた。
 ここはどうやら、屋敷の庭らしい。
 綺麗に手入れされているのだろう庭は、一面が銀色に染まっている。それを見て、人間の世界が冬である事を理解した。
 柱の彫刻はあまり華美ではないが、細部までこだわって作られたのだろう。柔らかな色合いの屋敷に自然に溶け込み、何とも言えない温かみを持っている。
 温室だけは、新しく作られたのだろうか。張り出したその中で、何かが揺らめいた様に見えた。
 そこまでを確認して、彼は自分の体が縮んでいない事に気づく。
 珍しい事もあるものだ。
 かつては信仰されていた彼らも、いつの頃からか信仰は薄れ、それと同時に人間の世界との繋がりも弱まった。大きな姿で人間の世界に降り立つ事は、ほとんど不可能だ。
 リン、と鈴の音がする。
「……アデル?」
 不意に温室から、しっとりとして柔らかな声音が響いた。
「アデル? ……妖精さん、なの?」
 落ち着いた、温かな声音だ。子供のものではない。
 まさか、という思いを抱えて、彼は声の主を見る。
 「彼女」は、温室の扉を開け放ち、そこから真っ直ぐに彼を見ていた。
 柔らかそうな金茶の髪が、すらりとした体にまとわりついている。ショールを掴む手は細く、そして以前よりも大きい。
 栗色の瞳だけは、記憶している物と同じだった。
「お前……」
 思わず呟きを零した彼に、彼女は――どこから見ても大人の女性にしか見えない彼女は、苦笑する。
「ルーナよ。イヌのアデルを追いかけて、『変なの』のいたずらにひっかかった、ルーナ」
 栗色の瞳が、懐かしむ様に細められた。
「あなたは、あの時の、アデルなのね。――十五年ぶり、かしら」
 その時の何とも言えない衝撃を、彼は忘れられない。

「あなた、本当は大きかったのね」
 クスクスと笑う声が、温室に響き渡る。
 自分を見上げる穏やかな眼差しが落ち着かなくて、彼は視線をさまよわせた。
 部屋の隅ではどっしりとした作りの暖炉に火が灯り、時折パチパチと薪が爆ぜる音がしている。
 温室の中央に据えられたテーブルには生成色のクロスがかけられ、テーブルと同じ意匠が施された椅子の上には柔らかなクッションが置かれていた。
 テーブルの上には青いシンプルな模様が描かれたティーセットが広げられ、少量のスコーンやビスケット、クロテッドクリームやジャムが添えられている。
 どうやら、ティータイム中だったらしい。
 ルーナが優雅な仕草でティーポットを持ち上げ、彼の為に用意したティーカップに紅茶を注いだ。
「丁度良かったわ、今日はほとんどの人が出かけているの。羽の生えた男の人なんて見たら、みんな驚いてしまうもの」
 その言葉に肩をすくめて、彼は羽をしまう。
 普段ならば体が縮んでしまう上に人間に見つかる事が無いからか、すっかり失念していた。
「あら、しまえるのね」
「まあな」
 感心した様に目を丸くする彼女に、彼は苦笑する。初めて彼女に会った時も羽を出したりしまったりしていたのだが、忘れられてしまったのだろうか。
 はい、とルーナに渡されたティーカップとソーサーを受け取り、口をつける。
 何も考えずに一口すすり、――むせた。
 手に持っていたカップとソーサーを取り落としそうになり、慌ててカップとソーサーをテーブルに戻す。
 口を押さえて、彼はルーナを睨んだ。
「おい、何を入れたんだよこれ!」
「何って……紅茶よ?」
 信じられない思いで、彼はルーナをまじまじと見る。
「何でこんなに酸味があるんだよ! すっぺえ!」 
 思わず顔をしかめてしまうほどの酸味だ。
 どうやったらここまで酸っぱく出来るのだろうか、教えてもらいたい。
 彼の正面でルーナは首を傾げて、紅茶に口をつけた。
 涼しい顔でカップをソーサーに戻してから、彼女は口を開く。
「生まれて初めていれた紅茶だから、味の保証はしていないのだけれど……酸っぱいわね」
「それを早く言え!」
 彼の怒声が、温室に響き渡った。
「ごめんなさい」
「お前な……」
 その言葉に嘆息して、彼は背もたれに背を預ける。
 そして、怒鳴られたにも関わらず、嬉しそうに自分を見上げてくるルーナの視線に首を傾げた。
「何だよ」
 彼女が嬉しそうにしている理由が分からない。
 彼の表情からそれを読み取ったのか、ルーナが柔らかな笑みを浮かべた。
「懐かしくて」
 目を細める様子に、人間にとっては長い時が流れていた事を改めて実感させられる。
 ぷくぷくとした印象など、もうどこにも無かった。
「あの時は何も分からなくて、アデルにも迷惑かけたのよね」
 クスクスと笑う度に、金茶の髪が揺れる。
「『変なの』って言ったし、小さなアデルを思い切り掴んじゃったし、もう死んでしまった犬のアデルに会いたい、なんて言うし」
 過去を懐かしむ様な眼差しに、落ち着かない気分にさせられた。
「……俺にとっては、数日だけどな」
「そうなの?」
 思わず呟いた彼に、ルーナが目を丸くして首を傾げる。
「まあな」
「……もしかして、心配してくれたの?」
「別に」
 そう返したが、ルーナは理解しているのだろう。
 「大丈夫よ」と彼女は穏やかな笑みを浮かべた。
「あの後もしばらくは、犬のアデルを探したけれど、きちんと理解したわ。犬のアデルは戻ってこない。そして、あの時のわたしはアデルの――妖精達の世界に迷い込んでいた事も、今は知っているわ。昔はよくある事だったみたいね」
「……そうか」
 彼の呟く声に頷いて、ルーナが再び口を開く。
「夢かおとぎ話だと思っていたの。アデルが目の前にいるのにね、今も半信半疑なのよ。
 アデルと会った時から、不思議なものが見える事があったの。今も、本当にたまにだけど、見える事があるわ」
 不思議ね、と笑って、ルーナは自分の腹部を撫でる。
「結婚した頃から、少しずつ、見えなくなってきたのよ。子供が出来てから、もっと見えなくなった」
 臨月が近いのだろうか大きく膨らんだルーナの腹部に目をやって、彼は呟く。
「……もう、大人。母親だからな」
 現実を見続けなければ、人間の世界では生きていけないという。
 人間は成長する度に少しずつ、無意識に彼らの存在を忘れていってしまうものなのだ。
 子を宿しているのにも関わらずに自分を見る事が出来る、ルーナの方が珍しい。
 そう告げると、ルーナは苦笑を浮かべた。
「知っているわ」
 彼女はショールを探り、小さな鈴を手に取る。
「もう一度アデルに会いたくて、あの後、色々と調べたのよ。たくさんたくさん、おまじないもしたわ。妖精が好きだというハーブクッキーを焼いて窓辺に置いてみたり、魔除けのナナカマドを屋敷から無くしたり」
 掌で鈴を転がして、ルーナが笑う。
「子供心を忘れたら見えなくなってしまうと聞いたから、アデルに会った時の服をとっておいたり、小さな頃から好きなものを、こんな風に肌身離さずつけてみたりしたの。
 会えたから、効果はあったのかしら」
 色々と間違っているが、本来の大きな姿で再会出来たのだから、一概に効果が無いとは言えない。
「どうだかな」
 明確な返答を避けて答えてから、彼は立ち上がった。
 その時になって、自分が金色の砂糖を持ってきている事を思い出す。
 再会の印に、土産として置いていくのも良いかもしれない。
「アデル?」
 不思議そうな表情を浮かべたルーナに近づき、彼はその手から鈴を取り上げる。
 そして、代わりに小瓶を落とした。
「ただの砂糖だけど、お前にやるよ。結婚と、出産祝いだ。」
 唐突な彼の行動にルーナは瞬きをして、それから幸せそうな笑みを浮かべる。もしかしたら彼女は、知っているのかもしれない。
「ありがとう、アデル。……鈴と、交換ね」
 その言葉に、彼はようやく笑みらしきものを浮かべる。
「……おう」
 こみあげてくる感情には、気づかないふりをした。

***

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