CHAFTER | ナノ




金の彼と始まりの記憶
 それは、突然の出来事だった。

 不意に体が引っ張られる様な感覚に襲われて、気付けば彼の体は縮んでいた。
「……は?」
 低くなった目線に一瞬だけ混乱し、彼はそこが「自分の世界」である事を確認する。
 間違いない、ここは「自分の世界」だ。
 枯れる事が無い花に、柔らかな調子で歌う鳥達。深さが分からない程に澄みきった泉に、光が差し込む度に泉を彩る水底の宝石。
 そして、唐突に現れてはふわふわと宙を舞う花の妖精達。
 ただ一つだけ、花の妖精達の声にに紛れる微かな嗚咽だけが知らないものだった。
 背中にある羽を広げるとふわりと浮き上がり、彼は視線を巡らせる。
 どこだ。
 きっと、嗚咽の主が彼の体を縮めた原因なのだ。
「おいお前ら」
 呑気に歌い踊る花の妖精達に、彼は声をかける。
 常にこの辺りを飛び交っている彼女達ならば、嗚咽の主について知っているかもしれない。
 もちろん彼女達こそが原因であるという線もあるし、気が乗らないのだが、仕方がない。
 花の妖精達は彼を見てきょとんとした後に、「小さくなってる!」と騒ぎながら近寄って来た。
「なあに?」
「わたし達に、何か御用?」
「お誘いかしら?」
「舞踏会?」
「素敵、素敵! ティターニア(妖精女王)に会えるかしら?」
 どうやら彼女達は、原因ではない様だ。
 好き勝手な事を言いながら盛り上がる彼女達を見て、彼は嘆息する。
 これだから、花の妖精とは話したくないのだ。
「……舞踏会なんてねえし、ティターニアだって、てめえらに構ってる暇なんかねえよ」
 その途端に、きゃらきゃらと騒いでいた彼女達は一斉に頬を膨らませた。
「えー!?」
 不満そうに叫ぶ花の妖精達を眺めてある事に気付き、ふと彼は瞬きをする。
 ……足りない。
「派手頭はどうした?」
 どの妖精達よりも甲高い声で騒ぎ立てるルビー・ピンクの頭が見当たらない。
 からかいがいのあるかの妖精は、いつもならば必死に彼女達の後を追って宙をかけているのだ。
 それなのに、今日は見当たらない。
「ああ、あの子?」
 彼の言葉に、花の妖精達が困った様に顔を見合わせた。
「いないの」
「いなくなっちゃったの」
「人間の所に行っちゃったのかしら」
「見つからないの」
 口々にそう訴える彼女達を見て、彼は嘆息する。
 あの妖精はまだ幼いのだが、大丈夫なのだろうか。
「てめえらが面倒見ねえからだ」
 彼女が常日頃からからかわれていた事を思い出して彼が言えば、彼女達は頬を膨らませた。
 透き通る羽をプルプルと揺らしながら、口々に訴える。
「何よお」
「だって悔しいんだもの」
「あんなに綺麗な髪、見た事ないんだもの」
「ちょっとくらいからかったっていいじゃないの」
「限度があるだろうが」
 彼の指摘に、彼女達は気まずそうな表情を浮かべると口を閉じた。お互いを肘でつつきながら責任転嫁を始めるのを見て、彼は身を翻す。
 彼女達と話していても、埒があかない。
 これは、自分で探した方が早そうだ。
 絶えず聞こえてくる嗚咽に耳をすませて、聞こえてくる方へと向かう。
 少しして見えた嗚咽の主に、彼は嘆息した。
「……やっぱりな」
 枯れる事の無い花畑に座り込んでいたのは、人間の少女だ。
 全体的にぷくぷくとした体つきから考えれば、まだ幼いのだろう。柔らかそうな金茶の髪と丸っこい手で隠されて、面差しは見えない。ふんわりとした生地のドレスに埋れている様に見えて、何だかおかしかった。
 近くに妖精の姿が無い所から考えると、アンシーリーコート(悪い妖精)の悪戯にでも遭ったのだろうか。彼らは人間を攫っては放置したり、食べたりする。
 放っておいても良いのだが、多分彼女が自分の体を縮めた原因だろうし、さすがに良心が咎めた。
 しばらく様子を見ていた彼は再び嘆息して、それからふわりと少女に近寄る。
「……おい」
 顔の前で声をかけると、手の隙間から栗色の瞳がのぞいた。
 少女は瞬きをした後、おそるおそるといった様に手を下ろす。
 栗色の瞳を見開いて、少女はじっと彼を見た。
「おい、迷子か?」
 その瞳が、次の瞬間にうるうると潤む。
 ぎょっとして見ていると、少女は声を上げて泣き出した。
「何で泣くんだよ!?」
 慌てて少女の手を軽く叩くと、少女はさらに激しく泣き出す。
「へんなのまだいるー!」
「変なのだぁ!?」
 何とも失礼だ。
 一瞬だけやはり放置しようかと考えて、彼は「まだ」という言葉に思いとどまった。
 少女はきっと、自分をこの世界に迷い込ませた妖精と自分を同一視しているのだ。
 蹴飛ばしてやりたいという衝動を抑えて、彼は少女を宥める事に徹する。
「おいガキ」
「へんなのいやー!」
「変な……いやそれはもう良い、とりあえず泣きやめこのガキ!」
「ガキじゃないもんー!」
「ガキだろ! お前絶対ガキだろ!」
「もう6さいだもん!」
「やっぱりガキじゃねえか!」
 思わず叫び返してからはっとして、彼は少女の様子を窺う。
 ぷっくりとしたほおを膨らませている様子からは、泣き出す気配は見られない。
 安堵の溜息をついて、彼は口を開いた。
「泣き止んだか、ガキ」
「ないてないもん」
 彼の言葉にさらにほおを膨らませる少女を見て、彼は苦笑する。
「……泣いてねー事にしといてやるよ。
 おいガキ、お前、どっから来た」
「ガキじゃないもん。ルーナだもん」
「……じゃあルーナ、どっから来た」
 ようやく会話らしくなってきたのだが、彼の言葉に少女――ルーナは不満そうにさらにほおを膨らませた。
「だめなの」
「……は?」
 意味が分からずに彼が首を傾げると、丸っこい手が伸びてきて彼を鷲掴みにする。
「おい殺す気か! 羽が折れるだろ馬鹿!」
 慌てて羽をしまって抗議した彼に、ルーナは真剣な顔で口を開いた。
「へんなののなまえは?」
「名前?」
 唐突な質問に面食らって聞き返せば、ルーナはこくりと頷く。
「なまえをきいたらね、しぶんもなまえをいうの」
 だから名前を教えろ、と言うルーナに、彼は困惑した。
「俺に名前はねえよ」
 気がつけば存在しているのが、彼らなのだ。名前がある方が珍しい。オベロン(妖精王)やティターニアと面識がある事から「ナイト」と呼ばれる事もあるが、それは彼の名ではない。
「なまえないの? なんてよぶの?」
「『変なの』以外なら好きに呼べよ」
 そう答えれば、ルーナは彼をまじまじと観察して、それから笑みを浮かべる。
 何となく、嫌な予感がした。
「じゃあ、へんなのは、アデル!」
 どんな珍妙な呼ばれ方をするのかと構えていた彼は、意外とまともな名前が出てきた事にほっとする。
「……アデル、な。それで良いから放せ……」
「おやしきのね、いぬとおんなじなの!」
 その言葉に、脱出を試みていた彼はピタリと動きを止めた。
「……犬?」
「きんいろのね、ふわふわのね、いぬ! おじいちゃんなの!」
 老犬と同じ名前を付けられた彼は、がくりとうなだれる。
 何だそれは。
 落ち込むな、彼女との出会いも一瞬の出来事なのだ、アデルと呼ばれるのは今だけだ。
 そう自分に言い聞かせて、何とか立ち直る。我ながら長い時を生きているとは思うのだが、短時間でここまで気力が削がれたのは初めてかもしれない。
「アデルー?」
 彼女の中で彼が「アデル」である事は決定事項になったのか、ルーナが首を傾げて彼を覗き込む。
 ルーナの手が緩んだ隙に何とか脱出を成功させた彼は、再び羽を出して宙に浮く。パタパタと羽を動かしてみたが、異常は無い様だ。
 すると、再びルーナの手が伸びてきた。
「俺を掴むな!」
 慌てて彼女の手が届かない高さまで浮かぶと、ルーナはそれでも気になるのか、両手を伸ばしてから背伸びをし、そしてぴょこぴょこと飛び上がる。
 その際に長いドレスの裾を踏みつけている事に気付いた彼は、慌てて口を開いた。
「おい、こけ……」
 遅かった。
 ルーナはドレスの裾を踏みつけて、両手をあげたまま大地と抱擁を交わす。
 びたん、と情けない音が響いた。
「おい、大丈夫か!?」
 地面に降り立って彼女の髪を軽く引っ張れば、目に涙を溜めたルーナがむくりと体を起こす。
 そして両手を伸ばし、今度はそっと彼を包み込んだ。
「いかないで!」
 その言葉にどこか切実な響きを感じ取って、彼はルーナを見上げる。
「いぬのアデルも、アデルじゃないへんなのも、ルーナをおいていったの」
 だから、アデルは行かないで。
 そう必死に訴える声音に、彼は何となく理解した。
 アデルという老犬は、きっと、もう生きていないのだ。
 少女はそれを理解出来ずに探し回り、そして、アンシーリーコートのいたずらに遭ったのだろう。
 「どこか」に行きたい、帰りたいと願う人間は、違う世界に迷い込みやすい。
 加えて彼女はまだ幼い上に、妖精が好む金髪だ。
 何が何だか分からぬ間にこちらに連れ込まれ、そして放置されたのだろう。
「アデルじゃないへんなのは、いぬのアデルにあわせてくれるっていったのに、いなくなっちゃったの」
 そう言って、ルーナはぽろりと涙をこぼす。
「いぬのアデルにあいたい」
「無理だ。犬のアデルには、会えねえよ」
 彼が言うと、ルーナはぎゅっと彼を掴んだ。
「あえるもん、アデルがきっと、会わせてくれるんだもん」
 無理なものは無理だ。死したものは戻らず、言葉を交わす事も出来ず、そして再び会う事も出来ない。
 長い長い時を生き、人間から不思議な存在と見なされる彼らにとっても、それは変わらない。
「会えねえよ。犬のアデルに、お前はもう会えねえんだ。『変なの』に何て言われたのかは知らねえけどな」
 その言葉に、ルーナの瞳からまた涙がこぼれる。
「でも、あえるって、いったもん。へんなのが、いったもん」
「そんなの嘘に決まってるだろ。会えねえんだよ」
 何度彼が言っても、ルーナは納得する様子を見せなかった。
「あえるもん! あえるんだもん!」
 横に首を振って、聞きたくないとでも言うかの様にぎゅっと目をつぶる。
 その様子を見た彼の中で、ぷつりと何かが切れた。
 一体何なのだ、この聞き分けのない人間は。
「会えねえったら会えねえんだ、いい加減に聞き分けろ!」
 いきなり大声を上げた彼に驚いたのか、ルーナの手から力が抜けた。
 その手をすり抜けて浮かび上がると、彼はびしっとルーナを指さす。
「そんでもって、お前はさっさと帰れ!」
 扱い辛いルーナに辟易して忘れかけていたが、そもそも本来の目的は、彼女を帰す事だ。
 話を聞いて宥めてやる必要など、無いのだ。
 人間を元の世界に帰すのは、彼にとって簡単な事だ。
 この世界から「拒絶」すれば良い。
 ふっと目の前からかき消えたルーナに、彼は嘆息する。
 疲れが一気に襲って来た様な気がした。

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