夢 | ナノ
世界の為の佐野万次郎





 ぱたぱたと来客用のスリッパを鳴らしながら勝手知ったる他校の廊下を歩く。5年3組と掲げられた教室の中を覗き込み、俺は首を傾げた。

「なんだ、春千夜いねーの?」

 ずかずかと教室内に立ち入り春千夜の机に腰掛け、つま先を揺らす。ポケットから取り出した飴の包みを剥がし口に含んでいると、何度か挨拶を交わした覚えのある春千夜のクラスメイト達が揃って顔を見合わせたあと、おずおずと口を開いた。

「あ、明司くんなら授業終わってすぐ呼び出されて」
「呼び出し?誰に?」
「えと、隣のクラスの――」
「マイキー」

 クラスメイトと話していると、人が疎らな教室内に俺を呼ぶ声が響く。振り返りそちらを見るれば、頬を腫らした春千夜が立っている。机から降り、ロッカーからランドセルを取り出すその顔を覗き込んだ。

「春千夜お前、そのほっぺたどうした? 喧嘩?」
「ああ、うん、まあね……」
「相手は? 七小のマイキー様がシメてやろうか?」
「いいよ、俺も殴ったし。師範の指導のおかげで、最近俺も強くなったんだよ?」
「バァカ、一発貰ってる時点でよえーんだよ。そんなんじゃまだまだ俺の背中は任せられねぇな」
「はは……だよね」

 ころりと口の中で飴を転がし、行くぞと春千夜の肩を叩く。教室を出る瞬間、ひどく物言いたげな視線を向けてくる春千夜のクラスメイトの存在が少し、気になった。


「……春千夜、またいねーの?」

 数日前と同じように、春千夜の教室を覗き込み首を傾げる。ぐるりと教室内を見回すと、先日話した春千夜のクラスメイトの一人と目が合った。そいつは俺と目が合うなりこちらに駆け寄り、不安気に口を開く。

「あの、明司くんには秘密にしてって言われてたんだけど――…」

 校門の脇に停めていたホーク丸に跨り、断片的な情報を元に割り出した場所へと急ぐ。
 春千夜のクラスメイト曰く。ひと月ほど前から春千夜は隣のクラスの男子と些細な事が原因でトラブルになっていたらしい。初めは口論だったが、やがて殴り合いの喧嘩に変わり、相手が友人を巻き込み一対一から多対一へ。あの日春千夜が負っていた怪我は、複数人を相手取り勝利した証だったらしい。
 そしてプライドを傷付けられたその男子は、あろうことか暴走族に所属する兄を頼った。小学校へ乗り込み春千夜を連れ去った兄が着る特攻服の背中に書かれていた文字は。

「罰漢……」

 聞き覚えの――見覚えのあるチーム名だった。記憶の中の紙面上、小学5年生の佐野万次郎が総長を倒した暴走族。まさか、黒龍ではなく春千夜経由でその名前が出てくるなんて。
 ぐっとハンドルを握りしめ、原付の出せる最大速度で罰漢のアジトだという廃屋へ向かった。


 §


 硬いもの同士をぶつけ合う鈍い音、うめき声に下卑た笑い声。たどり着いた廃屋の中から聞こえるそれらに舌打ちを落とし、錆びた扉を思い切り蹴り飛ばす。

「――小学生相手によってたかって恥ずかしくないの? おっさん達」

 屋内を見回して、自然と眉間に皺が寄る。罰漢と書かれた特攻服に身を包む10人以上の青年たちの手には鉄パイプや金属バット。そいつらの中心にしゃがみ込む小さな体。口元を手で覆う春千夜の足元に転がるのは――

「刃物持ち出すのは流石にダサすぎない?」

 赤い液体の付いたナイフと指の隙間からぽたぽたと滴り落ちる血に、遅かったかと拳を握る。罰漢と、春千夜の傷。情報はあったのにそのふたつをイコールで繋げなかった、俺の落ち度だ。
 乱入してきた俺に男たちは春千夜から離れ、怪訝そうに首を傾げた。

「んだよ、このチビ」
「背の低いの金パの小学生……まさかコイツ、最近噂になってる初代黒龍総長の弟の――」

 言葉の途中で助走をつけて飛び上がり、一番偉そうなやつの顔面を蹴りつける。倒れたそいつの腕の刺繍を確認して、俺は残った奴らに名乗りを上げた。

「俺が、七小のマイキー様だ。お前たちの総長は俺がノシた。……文句ある奴はこい」

 暴走族に入るような振り切った不良がその言葉に怖気づくわけも無く。じりじりと近付く男たちに俺は足を振り上げた。

 最後の一人、副総長と書かれた特服を着た男の頭を踏みつけて、俺は死屍累々と転がる男たちから視線を上げる。

「春千夜、帰ろ。帰って傷の手当を――…」

 顔を上げた先で、春千夜がふらりと立ち上がり足元に転がったナイフを拾って握りしめた。その口端の傷からは絶えず血が流れている。その表情に、俺は思わず息をのむ。
 ずりずりと片足を引きずりながら歩いた春千夜は、俺が倒した一人の男のそばにしゃがみ込むと、不意に両手を高々と振り上げた。差し込む日光に照らされてナイフが煌めく。

「……はる、ちよ?」
「ムカつくんだよ、弟の喧嘩に手ぇ出しやがって。挙句マイキーまで巻き込みやがって。弱虫? ……俺が?」

 それは、薄い膜越しに見たように現実感の無い光景だった。緑色の瞳が、ギラギラと殺意に光る。ドス、という鈍い音と共に倒れ込んだ男が弱々しく呻く。……そうだ。俺たち三人は仲が良いのに、記憶の中の東卍創設メンバーには場地の姿しか無かった。春千夜と俺が幼馴染なんて記載は、どこにも無かった。いつだかに、イザナが言っていた言葉が脳裏をよぎる。

「なら、お前はウジ虫野郎だ。……死ねよ」

 梵天の未来での春千夜が、目の前の姿に重なる。顔の下半分を真紅に染めた春千夜は、狂気にまみれた笑みを浮かべ、握ったナイフの柄をぐちゃりとひねり上げた。


 §


 縁側に寝そべり、空を見上げる。青空の下を流れる雲を目で追っていると、砂利を踏みしめる音が庭の方から響く。起き上がりそちらに目をやると、春千夜が俯き立っていた。その瞳にあの日のような狂気は無い。言い辛そうにたっぷり沈黙を挟んだ後、彼はようやく口を開く。

「…………マイキー、俺さ」
「ウン」
「遠くへ行くことになったんだ」
「……ウン」

 先日行われた春千夜の少年審判。行方知れずの武臣の代理として出席した真一郎から、春千夜の今後の事は聞いていた。情状酌量の余地ありで少年院送致にはならなかったが、今の家庭環境が劣悪だと判断され保護観察処分が妥当だと判決が下ったと。

「……ドコ?」
「鹿児島の、遠い親戚の爺さんのとこ」
「九州か……流石に会いに行けねーな」
「うん」

 俺の言葉に一つ頷き、春千夜は縁側で揺れる俺のつま先をじっと目で追う。

「……その爺さん、師範ぐらい強いんだって。ジゲン流? だかの、剣術道場やってるって」
「へぇ」
「――だから、だからさ」

 そっとガーゼに覆われた口端の傷を撫でてから、春千夜は言った。

「俺、強くなる。二度とこんな傷付けられないくらい、強く。バジにも負けないくらい強くなる、から。……帰って来たら。マイキーの傍に、戻ってきてもいい?」
「うん、イーヨ」

 間髪入れず返した俺にハッと顔を上げ目を見開いた春千夜に笑いかける。

「……ずっと待ってる。春千夜の事」

 事件の後、真一郎は断片的な情報しか知らなかったのだから仕方がないと俺を慰めた。
 だけど。イザナの助言、罰漢の情報、春千夜の異変。俺が気付かないだけで周りにヒントはたくさん転がっていた。俺がもっと周囲に気を配っていれば今回の悲劇も、回避できたはずだった。
 春千夜の犯した罪が消える事はない。以前のような気弱な春千夜に戻る事も、きっとない。
 変わってしまった春千夜に俺が出来る事はただ一つ。帰って来た春千夜に今まで通り接して、望むなら傍に置いてやる事。
 それが俺の唯一出来る、贖罪だから。





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