黒く塗りつぶされた空。昼間はおしゃべりを楽しむ住民から任務に向かう忍まで様々な人で賑わう木の葉の里も、すっかり日が沈んだ夜のこの時間帯は鳴り響く虫の声しか聞こえない。
一週間に渡って続いた潜入任務が無事終了したわたしは、虫の声だけが響く道を歩きながら帰路に着いていた。くたくたになった体に鞭を打ち、なんとか辿り着いた小さなアパート。決して立派な場所ではないけれど、幼い頃からずっと母と二人で暮らして来たその場所はわたしにとって特別な場所だった。そんなアパートの前には、小さな街灯に照らされた一本の立派な木がある。春には薄桃色の美しい花を咲かせていたこの木はすっかり青々とした緑を茂らせ、春が終わったことを告げていた。

「…母さん、」

母が大好きな桜の花が満開だった春のあの日から、母は真っ白な病室のベッドで眠ったまま目覚めない。母の容態を聞くために病院には定期的に通ってはいるが、あの日を最後に病室へは足を踏み入れていない…現実を知るのが怖いという自分勝手な理由で。今まで女手一つで大切に育ててもらったのに、なんて薄情な娘なのだろう。自嘲するように思わず笑みを浮かべたわたしだったが、久しぶりに母の名を呼んだことが引き金となったのか、危険な潜入任務中にどんなに恐ろしい目にあっても緩まなかった涙腺が一気に緩み、わたしの目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。どんなに目をこすっても涙は一向に止む気配はなく、込み上げる嗚咽も抑えられずに、わたしはまるで子供のように泣きながらその場にしゃがみ込んだ。
しばらくの間みっともなくそうしていたわたしの肩に、ふとあたたかい手が乗せられる。はっとして後ろを振り向くと、そこには見慣れた人物が大層呆れた表情で立っていた。

「もう…こんなとこで何やってんのよ。」

美味しそうな匂いを漂わせる鍋を抱えながら、わたしの良く知る人物…サクラさんは、溜め息混じりに言葉を吐いた。

***

「ほら、まずはあったかいものでも食べて落ち着きなさい。」
「…ありがとう、ございます。」

サクラさんお手製のあたたかい肉じゃがを皿によそってもらったわたしは、久々に口にする温かい料理に気持ちまであたたまりながら、肉じゃがを次々に口に運んでいた。思えば任務中はろくな食事もしていなかったし、疲れた体でみっともなく泣けばお腹もすくだろう。
そんなわたしをテーブルの向かい側で見ていたサクラさんは先程のように呆れたような表情を浮かべながらも、口元には笑みを浮かべていた。

「どうやら、食欲だけはあるみたいね。」

サクラさんの言葉で自分の行動に少々恥ずかしさを覚えながら、わたしは皿いっぱいによそってもらった肉じゃがを完食した。手を合わせるわたしの前でサクラさんが鏡を指さすのでそのまま傍らにあった鏡で自分の顔を確認すると、口元には大量の食べかすが付いていた…やっぱり恥ずかしい。
サクラさんはわたしの父であるうちはイタチの弟、サスケさんの奥さんだ。彼女はわたしが幼い頃からいつもわたしのことを気づかってくれて、とても優しい人だ。一人っ子のわたしにとって、優しいお姉さんのような存在。

「…あの、サラダは…」

肉じゃがを完食し、次にわたしの頭に浮かんだのは、サクラさんの一人娘である可愛い少女…サラダのこと。妹のような存在である彼女のことを思い返しながら自然と不安な気持ちを募らせるわたしに対し、サクラさんはわたしの心配を吹き飛ばすかのようにはきはきと答えた。

「とっくに寝てるわよ。それに、早いものであの子も半人前と言えど忍者だしね…今は、アンタの事の方が心配だもの。」

年下のサラダよりも心配されていると聞いて、わたしは改めてとてつもなく情けない自分に呆れながら、サクラさんに向けて謝罪の言葉を述べた。そんなわたしの言葉を聞いたサクラさんは、つい先程まで浮かべられていた笑みを少しずつ消していき、その場に俯いてしまう。

「…ナルトから聞いたわ。アンタ、あの日…なまえさんが倒れた日からずっと休みなしで任務に出てるんでしょ?」
「…」 
「そんなことしてたらいつか倒れちゃうわよ!大体こんなアンタ見たら、なまえさんだって心配す…」
「……心配なんて、するの、かな。」

サクラさんの言葉を遮って弱々しく発言したわたし。そんなわたしを戒めるようにサクラさんはわたしの名前を呼んだけれど、その声さえも今のわたしの耳には届いていないものと同然だった。

「…だって母さん、あの時。」

わたしの脳裏に巡るのは…母が倒れた日のこと。あの日はいつか母と二人で花見をした時のように桜が満開で、桜の薄桃色の花びらは母を美しく彩っていた。今にも消えてしまいそうな母とわたしの儚い時間に、写真でしか見たことのない父は突然滑り込んだ。
薄桃色の花びらが舞い散る桜の木を見上げながら、そっと目を細めた母。

「イタチ。」

長い眠りに落ちる寸前、母が最後に紡いだのはわたしの父…うちはイタチの名前だったのだ。

「…あの時母さんが呼んだのは、父さんの名前だった。いつだって、母さんの一番はわたしじゃない。母さんは父さんが一番なの。母さん、このままわたしの事なんて忘れて父さんのところに、」
「…違うと思う。」

感情を吐き捨てるように続けていたわたしの言葉を、今度はサクラさんが遮った。今までとは明らかに違う真っ直ぐ声色で、きっぱりと言いきったサクラさんの翠色の瞳は静かに細められている。その瞳からは母と同じような空気を感じた。母に対してあまりに酷いことを口にしたわたしは当然怒られると思っていたので、少々拍子抜けするように口を閉ざす。

「私は…アンタがお腹にいた頃からなまえさんを見てた。だから私は知ってる。なまえさんがどれだけアンタの事を大切に思ってるか。それに…きっとイタチさんも。」
「……父さんも?」
「一番だとか、一番じゃないとか…そんなの関係ない。二人は子供のアンタを誰よりも愛してるわ。」

サクラさんの言葉を聞いてわたしの中に浮かぶのは、母と二人で過ごした日々。母は弱音の一つも吐かず、一人でわたしをここまで育ててくれた。あまり父のことを話さなかった母は、時々思い出したように父のことを口にした。

「父さんのお供えものっていつも甘いものだよね。好きだったの?」
「ふふっ、そうなの。甘いものが好きでね。お団子とかよく食べてた。」
「そうなんだ!他には?」
「…あ、そうそう。おにぎりでは昆布が好きなのよ。」


「どうしたの、母さん。わたし、何か付いてる?」
「…ううん。あなたはなんだか、あの人そっくりだなぁと思って。」


「母さん、どうして春になると毎日花瓶に桜の花を入れるの?」
「…あの人がね、言ってくれたの。私には、桜の花がよく似合うって。」


父の話をしている母はいつも幸せそうに笑っていたことを思い出した。共に一緒に花見をした日に、母の見知らぬ横顔を見て感じたことも思い出す。
今も昔も…私は、もうとっくにこの世にいない癖に母を笑顔にさせる父を憎たらしく思っていた。そして本当は父……うちはイタチという人をもっと、もっと知りたいと思っていた。
あの男が母の心に残り続ける理由を知りたい。どうして母があの男を選んだのかが知りたい。何故、深い眠りにつく寸前に母がイタチの名前を呼んだのか…知りたい。

「…ねえ、サクラさん。」
「なあに?」
「わたし、母さんの事は今までずっと一緒にいて知ってるけど…父さんの事はよく知らないの。」

父さんって、どんな人だったのかな。

居間の脇にある少し古ぼけた写真立て。幸せそうな笑みを浮かべている若い頃の母の隣に寄り添う黒髪の男。その男…うちはイタチに視線を向けながら尋ねたわたしに、サクラさんはようやく安心したように、けれど少しばかり呆れるように翠色の目を細めたのだった。


夜をまとった

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