「どこにもいかないで」


わたしは幼い頃から身体が弱くていつも寝込んでいた。両親は仕事で忙しくて毎日ひとりきりで寝込んでいるしかできなかったわたしだったけれど、いつからか幼なじみの一人である要が一緒にいてくれるようになった。
息が苦しくて頭が痛くて…さみしくて。要は、泣き虫だったわたしをいつも傍で宥めてくれた。

"…かなめ、"
"どうしたの?なまえ。熱上がってきた?"

幼い頃の甘ったれのわたしは優しい要にいつも甘えてばかり。今思い返すとわたしはいつも要に迷惑をかけてばかりで、それでも要は嫌な顔一つせずにわたしに微笑んでくれた。

"どこにもいかないで"

お父さんもお母さんもいつもわたしが起きる頃にはいなくて。いつもひとりきりのわたし。ひとりきりで、不安で仕方がなかったわたし。幼い要の服の裾を掴んでそう言ったわたしに要はいつもどおり笑みを浮かべながら、わたしの頭をなでて言った。

"僕はなまえをひとりなんかにしないよ"

その時の要の言葉は、あれから今までわたしの胸の中から消えたことがない。そして今になってようやく、幼い頃からずっと胸にあまく渦巻いていた、要に対しての感情の正体を理解できるようになった。

***

「…ん、?」

目を開ける。その時目に飛び込んできた白い天井を見て、ああわたしは夢をみていたんだなあ、と呑気に考えた。白い天井に白いベッド。幼い頃から何度も見てきたもの。それを見て、自分が今保健室にいるということを認識した。身体を起こそうとするけれど、起き上がろうとした瞬間、みていた景色がゆらゆらと揺らいだ。頭を押さえた時にはもう遅くて、ふらりとベッドから身体が落ち、る…

「こーら、なまえ。」

…と、思ったけれど、わたしがベッドから転げ落ちる前にしっかりした腕がわたしの身体を支えた。それとともに聞こえてきた聞き慣れた声に、わたしはふらふらする頭を押さえながら顔を上げる。

「熱あるんだから、まだ横になってなきゃ。今日は保健の先生も出張だし、もっと酷くなったら困るでしょ。」
「…かな、め?」
「それ以外の誰に見えるの?」

聞き慣れた声の主、要は完全にぼけているわたしの言葉を聞いて、呆れたように笑いながらわたしの掛け布団を直す。そんな要の姿を最初は覚醒しない頭でぼうっと見つめていたけれど、少しずつ意識がはっきりしてきてわたしははっとして要に尋ねた。

「わ、わたし、熱が出て倒れたの…?」
「そうだよ。なまえ、朝から具合悪そうだったのに無理するから。光達も心配してたよ。」
「だ、だって、今日の授業はどうしても出たくて。」
「でも結局倒れて出れなかったでしょ。だから朝も聞いたよね、無理してない?って。なのになまえは大丈夫って折れないし…」
「う…」

要のちくちくと刺さる視線を受けながら、わたしは自分の額に手を当てた…あつい。どうりでぼうっとするし、ふらふらする筈だ。それでもめげずに微熱かもしれないなんて考えていたわたしを見透かすように、要が隣から38℃あったよ、とにっこりと笑みを浮かべながら体温計を差し出してくる。どうやらわたしが眠っている間に計ったようだ…抜け目ない。熱があるのにいっちょ前に悔しがっているわたしを見て、要は真っ黒な笑みから再び呆れたような表情を浮かべる。

「まったく…なまえはもう少し自分のことを考えて。僕だって心配したんだから。」

"心配した"そのたった一言だけで舞い上がってしまうわたしは、相当毒されていると自分でもわかっている。でもそれくらいわたしは…要のことがすきだから。なんて、本人の前でそんなことを考えていたわたしは改めてその恥ずかしさに気がついて、顔が熱くなってくる。そんなわたしのことなんて知らない要は、俯いているわたしに具合悪いの?なんて言いながら近づいてくる。へいき。たった一言わたしがそう言う時間もなく、つい先程まで空いていたわたしと要の間はすっかり縮まっていた。

「か、かなめ、わたし…」
「なあになまえ?授業出たい、とかはダメだよ。やっぱり熱、上がってるし。」

わたしのどもった言葉はなんの意味もなく。こつん、わたしと要の額がくっつく。わたしはそれくらい近い距離に要がいるだけでおかしくなりそうなのに要はというとけろっとした表情でわたしを見つめてくる。

「なまえ、」

お願いだからそんな近い距離でわたしを見つめないで。わたしのなまえをよばないで。そんなわたしの心の声はもちろん届くわけもなくて、わたしは泳ぐ視線を誤魔化すように必死に頭を働かせて会話を続けた。

「か、かかかかなめ、」
「ん?どうしたの、なまえ?」
「あ、あのね。さっき、ゆ、夢をね、みたの。」
「へえ、どんな夢?」

わたしはなにを言ってるんだろう、ぼうっとしてるからってそれはないでしょう、わたしの馬鹿…!頭ではそう思っていたけれど、でも、わたしの口はどうしようもなくぺらぺらと勝手に動く。

「ずっとずっと前に、わたしが熱出た時のゆめ。」
「なまえはいつも熱出してない?」
「ち、ちがうの!そういうなんでもない日の夢じゃなくて、あの日は特別な…」

"ひとりになんかしない"
幼いけれど、芯の通った優しい声。わたしの耳から離れない声…ぼうっとしていることを理由にわざわざあんな昔のことを振るなんて、今日のわたしはなんだかおかしい。昔のまま馬鹿で弱虫なわたしは、ひとりで話を振ってひとりで不安になって隣にいる要の顔をまともに見ることができなくなった……あんな昔のことなんて、忘れてるに決まってる。

「あの…やっぱり、なんでも、」
「…"僕はなまえをひとりなんかにしないよ"」

なんでもない、そう言おうとしたわたしの声を遮ったのは、要の声だった。まるであの時となにも変わらないかのようにさらりと言ってみせた要に、先程まで不安でいっぱいだったわたしの胸はすうっと楽になる。

「僕も覚えてるよ、あの日のこと。だって、僕の大事ななまえと大事な約束をした日だから。」

わたしは、俯いていた顔をゆっくりと上げた。わたしの目に映ったのはいつもどおりにっこりと笑う要。"僕の大事ななまえ"…そう言われるのは嬉しい。けれどそんな顔で言われたら、要にしか恋をしたことのないわたしには、どう捉えていいかわからないの。
甘ったれのわたしは、全部全部自分のいいように捉えてしまう。

「…じゃあ、これからも要はわたしのことひとりに、しない?」

頭がくらくらした。それはいつもどおりの慣れた感覚の熱のせいではなくて、もっともっと甘い感情のせい。わたしの問いかけに要は一瞬目を見開いた後、再び笑って口を開いた。

なめらかな愛執

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