「もっとちゃんとみて」


「今日お父さんとお母さんお仕事でいないから、泊まりに行ってもいい?」

まるで女友達にでも言うように、あっさりと笑顔で紡にそう言ってみせた幼なじみのなまえ。彼女の言葉に少しばかり動揺した紡だったが、幼い頃から大学生になった今まで変わらないきらきらしたなまえの笑顔を見て、彼の頭を回っていた断りの言葉はあっという間に消え去ってしまった。

「…ああ。今日こっちも誰もいないし、いいよ。」
「ほんとう?一人で家にいるの不安だったからよかった。」

邪な気持ちなど一ミリもないであろうなまえ。しかしそんななまえに対し、なまえに対して"恋愛感情"を持っている紡の胸の中は不安定な想いが渦巻いていた。

***

一つ屋根の下で年頃の男女がふたりきり。そんなシチュエーションはドラマや漫画の中だけだと思っていた紡だったが、そういえば今自分となまえがそんな状況だということに気がつき、こんなことは実際にもあるのだと呑気に考えていた。ドラマや漫画の中では二人が一夜の間違いをしてしまうだとか男が女に手を出してしまうだとか、盛り上がるようなシチュエーションになる所だが、紡となまえの間にはそんなドラマのような雰囲気は全くない。昔から紡の家に出入りしているなまえが今までに夕食を作っていくことも何度もあったし、幼い頃はよく互いの家に泊まって一緒にお風呂まで入っていた。
"一緒にいるのが当たり前"…二人の関係を表す言葉は正にそれだった。今日だって夕食を食べて、それぞれ風呂に入ったら自然と居間でくつろいでテレビを見て、その後は別々の部屋で寝る支度。二人の間には"盛り上がるところ"なんて全くなく、もし二人のことがドラマになるとしたら見どころがない平坦でつまらないドラマが出来上がるだろう。けれど、そんなドラマはいらないのだ。寝間着で横になって一人考えを巡らせていた紡は、閉じていた目を開けて静かに彼女の名前を呼んだ。

「…なまえ。」

静かに、しかし重たい気持ちに包まれて呼ばれた彼女の名前は、誰にも聞こえることなく消える。紡にとってなまえという少女はずっとずっと前から"特別"だった。ふとした時から、紡の中にはやわくてあまい彼女を全部自分のものにしたい、という感情があった。
平坦なドラマなんてずっと前から彼は必要としていない。でも、なまえの笑顔を思い出すとなまえは紡に対して、紡が欲しい気持ちはなにも含まれていないことがよくわかった…恐らくなまえの紡に対する気持ちは幼い頃からなにも変わっていないのだろう。こういう時でも冷静に物事を判断してしまう自分に紡は少し嫌気がさした。紡が思わず自らの手のひらに爪を立てた、その時。

「紡。」

部屋の外からやわらかい声が彼の名前を呼んだ。その声の正体は言わずもがななまえで、紡はどくりと動いた心臓をおさえながら何事もなかったかのように部屋の扉を開ける。

「…どうしたなまえ。眠れないのか?」
「う、うん。紡の家に泊まるの久々だったから…緊張しちゃって。」

紡の問いかけに俯きながら頷いたなまえ。寝間着を着て長い髪をまとめているなまえはあまり見慣れず、紡の視線も自然と下に落ちる。眠れないという彼女に紡はなら一緒にとこれまた自然と唇が動きそうになったが、改めて彼女の方を見て口を閉じた。今彼の前にいるのはいつもに増して無防備ななまえ。なまえはなんとも思っていなくても紡はそうではない。

「だから、一緒にいてもいい?」

不安げな声で首を傾げながらそう言ったなまえに、つい先程止まった紡の唇が再び動きそうになる。彼女は無意識にやっている。彼女はなにも考えていない…自分のことなんて"想って"いない。頭ではそう理解しているのに、身体は"彼女を自分のものにしたい"と本来の気持ちが滲み出てきていた。一歩踏み外したらもう戻れない。そんなことは痛いほどわかっていた。ドラマや漫画ではいくらドラマチックなシーンも、現実に起こってしまえばそれは全部崩れ去るきっかけになることも。問いかけに答えず、俯いている紡の顔をなまえは紡?とさぞ当然のように覗き込む。近づく距離。紡が選んだのは身体の方の行動だった。

「つ、紡…!?」

紡は近づいていたなまえの手を引いて、そのまま彼女の身体を部屋の扉に押しつけた。驚きに染まる声、あっという間に真っ赤になる顔。そんな彼女の顔の隣に、紡は手をつく。まず最初に口を開いたのは真っ赤な顔で魚のように口をぱくぱくとさせるなまえだった。

「ど、どうしたの紡、具合悪いの…?」
「別に。」
「なら、ど、どうして…?」
「…なまえとこうしたかったから。それじゃあダメか?」

紡はそっと彼女の耳元でささやく。もう戻れない。後には引けない。そう思ったら止まらなかった。彼女を自分のものにしたかった…もし拒絶されても。お互いの鼻がくっついてしまうほど近い距離。なまえは目の前にある整った紡の顔に思わず顔を反らしたくなったが、紡の真っ直ぐな視線がそれを許さない。あ…やら。う…やら。声にならない声を出しながらますます赤くなるなまえだが、紡はそれに構わず彼女に質問を投げかける。

「…なまえは。」
「な、なあに…?」
「誰にでもこうやって隙をみせてるのか?」

紡の質問に、なまえは赤い顔にはめ込まれた目をはっと見開いた。ますます"隙"をみせたなまえ。それが合図だったかのように紡はそんな彼女にますます近づく。きっとこれがドラマだったら、今この瞬間が一番盛り上がる場面になるのだろう。なまえの顔にかかっていた髪をその小さな耳にかけ、次に彼女の頬に手を滑らせた。そこまでしてしまえば、もう戻るという選択肢はない。

「なまえ、もっとちゃんと見て。」

紡はなまえの唇を、やわくてあまい部分をそっと奪った。

夜だけ魔法は解けまして

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