何枚にも重ねられた綺麗な色が揺れるたび、わたしの心は色と同じように不思議なくらいに弾んだ。今日着ている着物は、先日紅覇さまと城下に行って買ったものだ。紅覇さまからの贈り物はわたしにとって特別なもので、着ているだけで今日もがんばろうとやる気が湧いてきた。
わたしは、早速以前から紅覇さまに頼まれていた本を探しに行こうと決めて書庫に向かう。

「わ…」

前にも書庫には入ったことがあるけれどこの場所は相変わらずたくさんの本の壁ができていて、全体的に薄暗く、静寂に包まれていた。その静寂の隙間に入り込むように、おじゃましますと小さな声で呟くと、驚くことにはあい、なんて呑気な返事が返ってきた。その声にわたしの肩は思わずびくりと震えたけれど、このまま引き返すのもなんだか中途半端。わたしはごくりと唾を飲み込んで声が聞こえてきた書庫の奥へと足を進めた。

「誰か、いますか?」
「ふふっ、こっちよ。」

わたしの声に反応するように、再び奥から声がした。それはくすくすと笑いながらわたしを誘う。よく聞いてみるとその声はどこかゆったりした女のひとの声。その声のままに足を進めていると、奥の方から光が漏れているのが見えた。ここだ。そう思って光が漏れている場所を本の山の隙間から覗き込む。
そこにいたのは、薄暗い部屋の中でゆったりと本のページを捲る女性だった。
女性はわたしに気がつくと、分厚い本から顔を上げてわたしに向かって微笑んだ。さらりと流れる黒髪。わたしに微笑む顔はとても綺麗だったけれど…なんだか怖くって、わたしは少し後退る。どうして、こんな不快感。同じように綺麗な紅覇さまにはこんなことは思ったことないのに。

「あらあら、怯えた顔をしちゃって。」

女性は、まるでわたしの心を見透かしているようだった。わたしはそれがただ、怖くて。更に一歩後ろに下がる。けれど女性はわたしを追いかけるようにわたしが空けた距離を詰めてくる。

「ねえ。」

びくり。肩が揺れる。こわい、こわい。でもこの声、どこかで……?過去の記憶を辿っていたわたしは彼女の言葉の続きを聞いて、目を見開いた。

「王子さまにごみ捨て場から拾ってもらって、随分と楽しそうね?出来損ないの化け物。」

"化け物"…久しぶりに言われたその言葉。わたしの頭は瞬く間に真っ白になった。そんなわたしを待ってはくれずに、女性は淡々と言葉を吐いていく。

「いくらそんなふうに綺麗にしたって、出来損ないは出来損ないなの。あなたはただの壊れたお人形。」
「やめ…て。」
「ふふっ、ねえ思い出した?自分が"化け物"だってこと。」
「玉艶さま…」

そう。彼女は、わたしがいた施設の管理者。彼女こそ、力を望んだわたしをこの身体に作り替えて、わたしをたくさん色んな人と戦わせた人。わたしを殺そうとしたひと…こわいひと。わたしは彼女がこわくてこわくて、自分の記憶から彼女を消していたのだ。けれど、彼女の声を聞くだけで忘れかけていたことが全部全部よみがえってくる。肌が傷つく痛み、傷を抉る刃。むせかえる程の血のにおい。死の恐怖。

「そんなにいい子にしていたって、あなたが溢れさせた血は消えないのよ。ねえ、よく自分を見てみて?」

積み上げられた本に立てかけてあった大きな鏡がわたしの姿を映した。真っ白い髪、青白い肌。そして、血のように真っ赤な瞳。いやだ。やめて。そう心の中で叫んでも、彼女が怖くてわたしは声ひとつ出すことができない。

「ほら、血の香りがしてきた。よく覚えているでしょう?」

彼女の声はわたしを浸食するように迫ってくる。いやだ、やめて。わたしは自分の顔を両手で覆った。閉じた目の奥に映るのは血まみれのわたし。冷たい涙が頬を伝う。わたしの耳に張り付いたのは、彼女の笑い声だった。

***

わたしの視界を一面に染めるのは、白。
この色はなんの色?雲の色?やわらかい絹の色?それとも、紅覇さまの綺麗な肌の色?わたしの中の様々な白の思い出がぐるぐると頭の中を巡る。
それとも?ふとよみがえったのは、鏡を見つめるわたし自身の記憶。思い出の中のわたしは、鏡の中を見て唖然としているようだった。あれ?わたしあの時、鏡で何を見たんだっけ…?わからないかのように思えたその答えは、意外にも簡単にわかってしまった。わたしの視界を覆う白。わたしにとってとても馴染み深い色。わたしが朝から晩までずうっと共にしている色…"白"は、わたしの髪の毛の色。
それを理解して、わたしははっと目を見開いた。わたしの視界を覆う白。思わずきょろきょろと周りを見回すけれど、どこも白一色で、わたし以外は誰もいなかった。わたしはその"白"に触れてみて、その正体を改めて理解する。

「髪…」

わたしの周りをまるで繭のように覆っていたのは、自分自身の髪の毛だった。少し触れると絡みついてくるそれ。自分自身の物なのにもかかわらずわたしは思わず上擦った声が出た。こわい、怖いよ。
わたしの目から溢れる涙。それは止まることなく溢れてきて、わたしの恐怖をさらに高めた。それとともに未だ響くのは"玉艶さま"の高笑い。どんなに強く耳を塞いでも、彼女の声はまるで逃がさないとでも言うようにわたしを追ってきた。

「ほら、血の香りがしてきた。よく覚えているでしょう?」

「そんなの、しらない。しらない。」

「うそつき。あなた、たくさんその髪で肉を切ったでしょう?」

「しらない、わたしはそんなの、しらない。」

「ふふっ、ねえ覚えてる?あなたが傷つけた人達の数。」

「やめて…!」

しらないしらないしらない。わたしはただ、大切なひとを守る力が欲しかっただけなの。誰かを傷つけたかったわけじゃないの。わたしは強くなりたかっただけなの。

「出来損ないの''化け物''。」

わたしの声はいつの間にか声になっていない程に小さくなっていって、それとは逆に耳元で響く笑い声は、さらに大きくなっていった…本当は知ってるの。どんなに綺麗にしたって"化け物"だってことは。自分自身が一番よくわかってるの。でも、わたしは。

「なまえ。」

ひとりぼっちで泣いていたわたしに手を差し伸べてくれた紅覇さま。わたしに優しくしてくれた、愛を教えてくれた紅覇さま。わたしは紅覇さまの傍にいるだけで嬉しくて、ずっとずっと傍にいたいと思った…だけど、やっぱり化け物のわたしなんかじゃだめなの?綺麗なひとの傍にはいられないの…?
わたしの髪はわたしの腕を足を首を。全身をきつくきつく縛り上げていく。痛い、苦しい。
目からこぼれる涙はとても冷たくて、わたしは思わず顔を手で覆った。きりきりと締め付けられる全身がいたい。でも、それよりも違う場所が痛かった…息が苦しい、胸がくるしい、心がいたい。いたいのはいや。
きつく絞まる首に少しずつ意識が朦朧としてくる。涙で濡れた視界は、次はわたしを暗闇へと連れて行こうとしていた。
たった少しの言葉も、紡ぐ前に吐息になって消える。どうしてこんななんだろう。わたしはどうして。わたしの頭を巡るのはただ一人の大切なひと。わたしを救ってくれた、とても綺麗な王子さま。

「たす…け…」

わたしの小さな声は白い空間にさえ溶けずに消えた。

***

ふと誰かに名前を呼ばれた気がして、一人鍛練をしていた僕は後ろを振り返った。けれどそこにあったのは隅っこで小さく咲いている花だけで、他にはなにもない…気のせいか。
気を取り直した僕は、一息ついて剣を再び構い直した。僕が幼い頃から使っている、もう随分馴染んでいる大剣は、一振りするだけで周りの空気をぶわりと切ってしまうほどの力を持っている。剣を振りかぶった風で、周りにあった植物がひらひらと散った。その中には先程見た白い花もあって、いつもは少し植物を散らしても気にしないけれど、今日はなんだか複雑な気持ちになった……先程見た白い小さな花。隅っこで小さく、けれど逞しく咲いていたその花はどこかなまえに似ていたのだ。

「…てか、アイツ遅いな…何やってんだろう。」

なまえに書物庫から本を探してきてくれと頼んだはいいけど…なかなか戻って来ない。確かに書物庫には壁を覆う程の本が大量に置かれているけれど、僕が頼んだ本は前に明兄が端にまとめて置いてくれたって言ってたし。あのなまえにしては時間がかかりすぎな気がする。

「…早く戻って来なよね、なまえ。」

その場に自分しかいないことをいいことに、僕は思っていたことをそのまま呟いた。僕の頭に浮かぶのは、僕があげた衣装に身を包んでふわふわと笑うなまえの姿。あの顔に似合わず戦闘はとても強いなまえだけれど、引っ込み思案で背丈も手のひらもちっちゃくて。アイツは僕に拾われてから"紅覇さまを守る"なんて言っているけれど、あんなちっちゃいなまえを見ていると、逆に僕がアイツを守らなくちゃなんて思ってくる。

「僕が主なのに、ヘンだよねぇ。」

自分もヘンなのは十分理解しているけれど、無意識にそう思ってしまうのだから仕方ないだろう。
僕が見つけて、僕が色んなことを詰め込んだなまえ。最初はただあの真っ白な姿に惹かれて傍に置いていたけれど、今は…姿のことなんて関係なしに、あの時アイツを見つけることができてよかったと思っている。それになまえは、普段はあんなにおどおどしてる癖に、僕が弱っている時は僕が欲しい言葉を簡単にくれるのだ……ほんと、人は見かけによらないってこういうことだと思う。

「しょうがないから、僕がアイツのこと迎えに行ってやるか。」

そう考えて、僕は構えていた大剣を背に背負った。僕の頭を巡るのは、紅覇さまと鈴が鳴るような声で僕を呼ぶなまえの姿。頭の中にいるなまえの声は今にも聞こえてきそうで、僕は思わず頬を緩ませる。そう思った時だった。
息を切らしながら紅覇さま…!と駆け寄って来たのは、僕の臣下である純々達三人。その随分と焦っている様子に、僕はなんだか嫌な予感がして眉をしかめた。

「純々、麗々、仁々。何かあったの?」
「紅覇さま…!大変ですっ!なまえが!なまえが…!!」

彼女達の口から出てきたのは、先程まで考えていたなまえの名前…どうしてこんな時に限って嫌な予感って当たるんだろう。思わずぎゅっと拳を握り締めながら、僕は彼女達の話に耳を傾けた。

不死の庭先

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