「ふう、終わった。」

大輪の牡丹の綺麗な花びらについた水滴が太陽の光を浴びてきらきらと輝く様子を見て、わたしは一息ついた。
今日のわたしの仕事は、お城の隅にひっそりとある紅覇さまが所有している庭園の掃除と紅覇さまが大切にしている牡丹の水やり。広い庭園をお世話するのは少し大変だけれど、綺麗な花を見るのは楽しいし、何より紅覇さまから任された仕事なんだもの。
それに、牡丹の花を初めて紅覇さまに見せてもらった時から、わたしはこの花が大好きになったのだ。
紅覇さまのことを思うとすっかり緩んでしまう頬。わたしははっとしてそんな頬をぱんぱんと手のひらで叩いて、紅覇さまに報告するために持っていた道具を片付ける。
さて、紅覇の所へ戻ろうと小走りで花に囲まれた庭を駆けていると、ちょうど紅覇さまが廊下を歩いているのが見えた。その姿にわたしの先程戒めたばかりの頬は再び緩み、小走りだった足は速く速くとどんどん速さを増していく。

「紅覇さま…!」
「あ、なまえ〜!」

わたしの声に、紅覇さまがこちらを向いてひらひらと手を振った。わたしはそれが嬉しくて嬉しくて、地面も見ずにただ紅覇さまの元へ駆ける。そんなわたしに、何かに気がついたような紅覇さまが突然危ない!と声を上げた。わたしがそれに走りながらえ…?と首を傾げた時には遅く、次の瞬間わたしは何かに躓いて勢いよく地面にぶつかった。

「もう!何やってんのなまえ!」
「うっ…いたた…」

ぎりぎりの所で手をついたから顔から地面にぶつかることはなかったけれど、全力疾走していたわけだから痛いものはいたい。じんわりと滲む涙をこらえながら起き上がるわたしに紅覇さまが駆け寄って来てくれて、わたしの土まみれの顔を覗き込んだ。

「大丈夫〜?って大丈夫じゃないか。手、血まみれだし、膝も擦りむいてるじゃん。」
「も、申し訳ございません紅覇さま…!でも、大丈夫です。」
「ちょ、馬鹿じゃないの!?無理して立ち上がるな!」
「うぅ…」

痛む膝をこらえながら立ち上がろうとするけれど、力を入れた膝には想像以上の痛みが走って、わたしは立ち上がれずに座り込んでしまいそうになった。ぎりぎりの所で紅覇さまが支えてくれたおかげで再び地面に落ちることはなかったけれど、わたしの注意不足の怪我なのに紅覇さまの手を煩わせてしまって、自分が情けなくてしょうがない。もう…わたしってなんでいつもこうなの。

「ごめんなさい、ごめんなさい紅覇さま…」
「はいはいそれはいいから〜!あー着物もこんなに破れてんじゃん。おまえどんだけ全力で走ってたの…」
「うぅ…だ、だって、紅覇さまを見つけたので、すごく嬉しくって、わたし…」

わたしは俯きながら紅覇さまの言葉に答えたけれど、紅覇さまから一向に返事が返って来ない。そんな紅覇さまに、わたしはやっぱりもう愛想尽かされちゃったかなとぎゅうっと手のひらを握りながら恐る恐る顔を上げると、突然黙っていた紅覇さまがあー!と声を上げた。少しだけ見えた紅覇さまの顔がちょっぴり赤くなっていたような気がする、けれど、その理由はよくわからなくって、わたしは首を傾げる…やっぱり怒らせてしまったのかな。

「こ、紅覇さま…?」
「あーもう…今こっち見ないで。」
「えと…」
「大丈夫だよ、別に怒ってないから〜」

わたしの問いかけに、今度は紅覇さまが俯きながら答える。そんな紅覇さまにわたしもどうしていいかわからなくてとりあえず下を向いた。少しの間そうしていると、先に口を開いたのは紅覇さま。

「もう、おまえはさ…なんなの?狙ってやってるの〜?」
「え、えと…?」
「あーもう!なんでもない!!ほら、怪我の手当するから、乗って!」

そう言った紅覇さまはその場にわたしに背を向けてしゃがみ込んだ。わたしはその意味がよくわからなくって、え?と声をこぼすと、そんなわたしに紅覇さまが呆れたように視線を向けながらおぶるから早く乗れよと言う。そんな紅覇さまの言葉にしばらく固まってしまったわたしだけれど、その意味を理解してぶんぶんと勢いよく横に首を振った。

「そ、そそそそんな紅覇さま!だめです…!!わたしなんかを紅覇さまにおぶらせるわけには…」
「いいんだよーだっておまえ怪我してるでしょ?早く乗って。」
「む、むりですっ…!」

一向に首を縦に振らないわたしに、こちらに背を向けてしゃがんでいた紅覇さまは深い溜め息をつきながら立ち上がる。そんな紅覇さまに諦めてくれたのかななんて考えていると、突然腕を引っ張られた。

「こ、紅覇さま!?」
「素直じゃないおまえが悪いんだからね、なまえ?」

腕を引かれたわたしはそのまま紅覇さまの背に乗っけられて、膝の裏に手を差し込まれて、あっという間におぶられてしまった。あまりに突然のことにわたしはただ慌てることしかできない。

「紅覇さま、わたし重いですよ!下ろしてください…!」
「重いとか何言ってんの?おまえすっごい軽いよ〜?てか下ろさないし。あんま動かないで。危ないでしょ。」
「う、…は、はい、紅覇さま。」
「うん、いい子。」

そう言った紅覇さまの声はとても優しくて。わたしはどきっとして、恥ずかしくって、真っ赤になった顔を紅覇さまの背に顔をうめた…紅覇さまのかおり。わたしの心臓は一秒ごとにどきどきと、どんどん速くなっていって、ぜんぜん落ち着かない。でも、紅覇さまの背はとてもあたたかくって、心地いい……落ち着かないなんて嘘かも。やっぱり落ち着く。

「紅覇さま。」
「ん〜?なあに?」
「ありがとう、ございます。」

わたしの言葉に紅覇さまが別にいいよと答えて、よいしょとわたしを背負い直した。一見、わたしと同じようは細い腕なのに、わたしを簡単に背負ってしまった紅覇さま。母以外の人にこうやっておぶられるのは初めてだけれど、その腕は力強くて、紅覇さまはやっぱり男の子なんだなあと、そんな当たり前のことを思ってしまった…ずっとこの時間が続いたらいいのに。
わたしはそんなことを考えながら、現実逃避をするように目を閉じる。あつくてくるしいよ、紅覇さま。

***

…動きにくい。
仕事でお城の長い廊下を忙しなく歩いていたわたしは、完全に床に引きずってしまっている着物の裾を見て一人、深い溜め息をついた。動きにくいのはどう考えてもこの引きずるほどに長い着物の裾のせいである。何故今わたしがこんなに合っていない着物を着ているかというと、その原因は先日わたしがドジをして、あろうことか紅覇さまの目の前で転んでしまったことにある。わたしの体は手や足の擦り傷だったらすぐに治るけれど…流石に破れた衣服までは直してくれない……そう。わたしは、転んでしまった時に紅覇さまからいただいた綺麗な着物を破いてしまったのだ。
わたしが持っている着物は紅覇さまからいただいた数枚だけなので、今足りない分は紅覇さまの従者の中でも体型が近い仁々さんに借りている。仁々さんにわざわざお世話になるのは申し訳なかったけれど、彼女はこんなわたしに快く着物を借してくれた。けれど…ぎりぎりまで着物の裾を上げている筈なのに、その裾は床に着いてしまう。やっぱり、仁々さんの着物はわたしの発育不足の体には大きいみたいだ。でも純々さんや麗々さんはもっと大きいし…他に借りる人もいない。わたしはもう一度、長い長い服の裾を見つめる……このままじゃ着物も皺になってしまうし、仕事しづらいし、どうしよう。
わたしは再び深い溜め息をついた。

「こんな格好じゃ、紅覇さまの前にも出れない…」
「どうしたの、なまえ?」
「わ、わっ…!紅覇さま…!」

廊下の隅っこでうじうじしていたわたしの肩を叩いたのは、まさかの紅覇さまだ。慌てて頭を下げた時に再び目に入ったみっともない着物の裾を慌てて引き上げようとするけれど、長すぎるそれは少し引っ張っただけではどうにもならない…ああもう、紅覇さまの前でわたしったらなんでこんなみっともない格好。
自分が情けなさすぎで頭を下げたまま溢れそうになる涙を唇を噛んで堪えていると、いつまでも下を向いているわたしに、紅覇さまがなまえ、とわたしの名前を呼んだ。わたしはそれに恐る恐る顔を上げる。

「ねえ、城下に遊びに行こっか。お忍びで。」
「え…?」

にっこりと小悪魔のような笑みでそんなことを言った紅覇さまにわたしの溢れそうだった涙はたちまち引っ込んで、その代わりにぶんぶんと首を横に振る。

「だ、だだだめですよお忍びなんて…!紅覇さまは皇子さまなんですよ?もし出るとしてもわたし以外のお強い方と一緒に……!」
「ええ〜僕はなまえと行きたいんだけど?なまえは僕と出かけるの、イヤなのぉ?」

そう言いながら首を傾げる紅覇さまはとてもあざとい魅力があって、わたしはうう…と言葉に詰まる。けれど惑われちゃだめだ、と自分に言い聞かせて、わたしも言葉を返した。

「で、でも、城下に出てもわたし、紅覇さまの事を案内できませんし……」
「別におまえの案内なんていらないよ〜僕、何度もお忍びで城下に行ったことあるしぃ。」
「え、ええ!?そうなんですか…?」
「まあ、最近は行ってないけどね。おまえを見つけた雨の日だって、お忍びで城下に出てた日なんだよ?」

紅覇さまの言葉にわたしは驚きで目を見開いた…今から数えると、もうすっかり過去の出来事になってしまったあの日。けれどわたしはあの日紅覇さまが差し伸べてくれた手のあたたかさを今でも鮮明に覚えている。冷たい雨で冷え切っていたわたしの体には、紅覇さまの手はあたたかすぎたから。
でも紅覇さま、あの日もお忍びで城下に降りていたのね。わたしが俯き気味だった視線を上げてちらりと紅覇さまを見ると、彼はわたしを見つめ返してにっこりと笑みを浮かべた。そんな不意打ちにわたしの頬は瞬く間に真っ赤に染まる。紅覇さまはそんなわたしを見てくすりと笑った後、わたしの長い着物を掴みながらわたしに囁く。

「おまえさあ、せっかく可愛いんだからちゃんと合った服着なよ。また僕が選んであげるから。」
「か、かかかわ…!?あ、あの、えと…」
「あはは、行く気になってきたあ?なまえ。」

言われ慣れないことを言われたわたしの頭はすっかり真っ白になってしまって、先程までたくさん考えていた言い訳は紅覇さまの言葉ですっかり消えてしまった。自分の熱くなった頬を手のひらで押さえるわたしに、紅覇さまが頭をぽんぽんとなでながら最後の言葉を紡ぐ。

「ね。僕とお出かけしよう、なまえ?」

こんな風に大好きな人から言われて、断る人なんているのかな。まるで全身に溶け込むような紅覇さまの甘い誘いに、わたしは結局こくりと頷いたのだった。

花に埋もれて夢を見たい

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