神話の絵が施された大きなステンドグラス、金色の装飾が施された家具、部屋の端に置かれた燭台。そして、中央には"神"の印である十字架。一部屋だけでもこれだけ絢爛豪華な雰囲気を漂わせているこの場所は、正に"教会本部"という名に相応しい場所であった。
そんな部屋の中央では、金色のテーブルをローブを着た老人達、つまりこの本部の人間達が囲みながら一人の青年を問いただしていた。

「近頃、旧市街へおいでになることが多いそうですな。里見莉芳殿。」

老人の声に、この部屋ではただ一人の若い青年、里見は内心溜め息をつきたい気持ちになりながらも、顔色一つ変えずに返事を返した。

「旧市街には私の持ち宿でもある"見琅館"がある故。それが何か?」
「獣憑きの四家の人間が安易に人に姿を見せるものではないな。何しろお前はよく目立つ。」
「それだけに噂が出回るのが早い。」
「あの子供もな。」

里見の返答が気に入らない老人達は、何人もで彼を責めるような発言をする。しかし里見は、それらをあっさりと聞き流していた。

「そう、花街での一件もな。」

その一言に、里見は発言をした老人の方へ視線を移した。今までの老人達の発言はさして気にとめていなかった里見だが、あの花街の出来事の話、となるとそうもいかない。

「花街で子供の死体が血まみれになって見つかったそうだな。教会の子供だ。」
「その死んだ筈の子供が街に現れるという、興味深い話じゃ。実に興味深い。」

"花街で見つかった教会の子供の死体" "死んだ筈の子供"それらが指すのは、言うまでもなく信乃のことである。

「そのうえあの子供は五年前から変わらぬ姿をしているそうだの?不老のうえ不死とくればこれは伝説の…」
「お言葉を返すようで申し訳ないが。」

今までは黙っていた里見も、流石にこれ以上は聞き流せずに口を開いた。里見の声に、テーブルを囲む老人…"賢人"達は一斉に彼の方へ視線を向ける。

「不死の者など存在しませんよ。この国では神とて寿命がある。あの子供は変わってはいるがごく普通の子供です。成長が芳しくないからといってあれを不老不死などと…賢人方の口から出るお言葉とは思えない。」

里見の挑戦的な言葉に、賢人達もまた口元を歪めながら言葉を続ける。そんな彼らに里見はどこか嫌な予感がした。

「相変わらず無礼な若造よの。里見莉芳。御託はいい。その子供を連れて参れ…それと、銀色の髪の女もだ。」

銀色の髪、それが指すのは一人しかいない…なまえのこと、である。
まさかそこまで突かれると思っていなかった里見は、溜め息を堪えて静かに目を閉じた……これは、厄介にも程がある。

「我らが気がついていないとでも思ったか?里見莉芳。お前が引き取った銀色の髪の女は、やはり"消えた巫女"だ。」
「"巫女"が消えてからうんともすんとも言わなくなったあの"神楽鈴"…あれが最近、煩い位に鳴っていての。この間などそれはもう酷かった。」
「気まぐれなあの鈴が受け入れるのはただ一人。それはお前も知っているだろう?」

賢人達の言葉に、瞳を閉じていた里見はゆっくりと閉じられた瞳を開き、その鋭い眼光で彼らを見つめ返す…長年嫌でも付き合わなくてはいけなかった賢人達の考えることは、里見にも理解できていた。

「あれ、が"消えた巫女"だったとして、なぜ今更呼び戻す必要が?」
「なぜ、とは…面白いことを聞くの若造。人成らざるものを惹きつける銀色の髪、強い霊力、"神楽鈴"の力。呼び戻す理由がこんなにもたくさんあるではないか。」

あの信乃でさえも縮こまる里見の眼光も通じない、厄介な賢人達。それに加えて話も通じない彼らに、里見は眉をしかめた。

「これは我ら賢人の総意でもある。
今すぐ犬塚信乃、そして銀髪のなまえを召喚せよ。」

さて、どうしたものか。
厄介すぎる事態に、里見は心中で深い深い溜め息をついたのだった。


外から柔らかい日差しが差し込む清々しい朝。古那屋の部屋の中でもたくさんの日が差し込んでくる居間は、朝はとても明るくて、電気もいらないくらいだ。それに加えて古那屋の居間は毎朝小文吾さん特製の美味しい朝食が並ぶ。
今日は珍しく早起きしたわたしは、朝食を作る小文吾さんのお手伝いをしていた。

「小文吾さん、これもテーブルに並べて大丈夫ですか?」
「おう!よろしく頼む。いつも朝から手伝わせて悪いな、なまえ。」
「いえいえ、こちらこそ古那屋にはいつもお世話になってばかりなので。」

わたしの言葉になに言ってんだよ、と笑う小文吾さんは、今更だけれどとても面倒見のいい人だと思う。昨日も、わたしと信乃が荘介に泣かされた?と誤解されてしまって散々甘やかしてもらった、し…信乃といいわたしといい、小文吾さん、それに現八さんには過保護にされすぎているような気もする。

「そういえば、信乃と荘介はまだ寝てんのか?いつもはなまえが二人に起こされてんのになァ。」
「う…わ、わたし、二人のこと見て来ます…!」

けらけらと笑いながらそう言った小文吾さん。なんだか嫌な予感しかしなくって、わたしは運んでいたお皿を急いで並べて、居間を出た…なんだかんだで小文吾さんも、人のことからかうの好きなのよ、ね。
小文吾さんから逃げて一安心しながら庭を横切って信乃達の部屋へと向かっていると、誰かを探すように周りを見回している毛野さんの姿があった。どうしたんだろう、と首を傾げていると、毛野さんもわたしに気がついたようで、あ!と声を上げる……あ、あれ?

「まず一人目だな、なまえ。」
「え、え…?毛野さん?」

わたしに声をかけてきた毛野さんはなにかを企んでいるような、妖しげな笑みを浮かべながらわたしの肩に手を置いた。その手はまるで逃がさない、とでも言っているようで、わたしは思わずびくりと肩を揺らす…わ、わたし、なにか毛野さんを怒らせること、したっけ?
毛野さんにびくびくしながら頭の中で自分の行動を思い返していると、毛野さんが再びなにかを見つけたようにあ、と声をこぼした。だんだん、と駆ける足音。毛野さんの視線の先にいるのは、上着を片手にどこか急いでいる様子の、信乃だった。
そんな信乃に遠慮もせず、毛野さんは後ろから容赦なく首根っこを掴む。突然の出来事に、信乃はぐえなんて苦しそうな声を上げている。一体何事か、と後ろを振り返った信乃は、怖い顔をして自分の首根っこを掴む毛野さんにひっと上擦った声を出した……ま、まあそうなる、よね。毛野さん今すごく怖い顔してるもの。

「いーところで会ったな犬塚信乃。会いたかったよ。今丁度お前の幼なじみも捕まえた所でな。」

信乃は毛野さんの後ろで同じく捕まっているわたしを見つけて、ひくりと顔を引きつらせた。お前も捕まってんのかよ、とも言いたげな顔に、わたしは苦笑をこぼす。

「怪我は…もうよさそうだな。丁度いい。お前となまえに話があったんだ。」
「は、話…?」
「俺達にはねぇ!今急ぐんだってば!離せよ!!」

毛野さんの言葉にいまいちぱっとしないわたしは思わず首を傾げた。しかし信乃は毛野さんがわたし達に声をかけてきた理由が理解できているようで、じたばたと暴れながら声を上げる。そんな信乃の言葉を聞いた毛野さんは、へえ、と妖しげな微笑をこぼした。その笑みはとても怖くって、顔が引きつる。

「…それなら単刀直入に聞こう。お前達は、"あの男"を知っているな?」

"あの男"ここまで言われれば、流石のわたしでも毛野さんの言っていることが理解できた。もしかして、荘介の"影"のことですか…わたしがそう言おうとする前に、信乃がわたしを後ろに下げながら毛野さんの問いに答える。

「あの男ってダレ?」

見事にしらばっくれた信乃。
まさか信乃がこう言うとは思っていなかったわたしは、余計なことを口にしないように胸倉を掴んで睨み合っている二人から少し距離をおく。もちろん毛野さんはその答えに満足していないようで、眉をしかめながらわたし達を見つめた。

「しらばっくれるな。荘介と同じ顔したあの男のことだよ。あいつはお前らのことを知っていた。」
「それは一方的に。俺らには見覚えないし。な、なまえ?」
「っえ!?う、うん…!」

信乃に突然話を振られて、あからさまな返事をしてしまったわたし。わたしは自分の"嘘ついてます"と言っているのと同じような答えに、思わず溜め息が出そうになった…わ、わたし、ほんと馬鹿だ。
話を振った方の信乃も、コイツに振るんじゃなかった、と言いたげに頭を抱えているし、毛野さんも呆れたようにこちらを見つめている……し、視線がいた、い。 

「…あ、そ。お前達と荘介は幼なじみだったな。それなら荘介に聞いてやる。」
「それは絶っ対駄目!!」
「ハア!?」

信乃のぱっとしない言葉がひっかかったのか、信乃と毛野さんはいつの間にかわたしを置いて、互いの胸倉を掴み合いながら言い争いを始めた。
最初は庭にいたのに、いつの間にか古那屋の入り口まで来てしまったので、二人の姿に水撒きをしていた従業員の人も困っているようだ。

「し、信乃…!毛野さん!ここお店の前…」
「なまえは少し黙ってろ!コイツはちゃんと言わないと引かねえんだから!!」
「てめぇ信乃、人を子供みたいに!」

そういえば、こんな光景前にも見たことある、なあ…確かうさくま事件の時、だったっけ。
わたしの力ではどうにもならない二人に、どうしようと考えていると、深い溜め息とともに後ろの古那屋の扉が開いた。そこから出てきたのは憲兵服を着た現八さん。彼は店の前で言い争いをする二人を呆れたように見つめている。

「お、おはようございます、現八さん。えと…朝からごめんなさい。」
「なまえ、別にお前が謝ることじゃないだろう。」
「う、そう…なんでしょうか。」
「当たり前だろう。まったく…」

言い争いをしている二人は、現八さんが呆れの目で二人を見つめていることにまったく気がついていないようだ。彼は少し下がってろ、と言ってわたしを後ろに下げた後、店の前で水撒きをしていた従業員の人から桶を借りて…その中の水を二人に、かけた。

「朝っぱらから騒々しい。」

流石にここまでしたら言い争いをしていた二人も現八さんに気がついたようで、二人とも全身びしょ濡れで微妙な顔をしながら現八さんに視線を向けた。
わたしも、まさか現八さんが二人に水をかけるとは思っていなくて、その光景をぽかんと見つめることしかできない。そんな中、現八さんは二人に向かって言葉を続ける。

「二人とも、世話になってる店の前で営業妨害も甚だしいな。喧嘩なら他所でやれ。」

そう言った現八さんは、じゃあ行ってくる、と何事もなかったかのように馬に乗って仕事に行ってしまった。その場に残ったのは、びしょ濡れの信乃と毛野さん、そしてわたし。二人ともなにも言わないけれど、目が怖くって、わたしはタオル取ってくるね、と言って逃げるようにその場を離れた……さっき、現八さんは過保護、なんて言っていたわたしだけれど、前言撤回。
現八さんは厳しい時はとても厳しい人、だった…わたしも、気をつけよう。

***

「ふ、二人とも大丈夫…?」
「…これが大丈夫に見えるか?」
「そ、そうだよね…」

ずぶ濡れの信乃と毛野さんの肩にタオルをかけながら尋ねたわたしは、随分と疲れた顔で返ってきた返事に苦笑をすることしかできない。女将さんが着替えを貸してくれると言ってくれたからよかったけれど、もしなにもない場所で同じことをされてしまったら、もっと大変だっただろう、なあ。
それきり黙って着替えを用意してくれている女将さんが待つ部屋に向かう二人は、先程の言い争いがまるで嘘のようだ。

「あらあら、二人ともそんなずふ濡れで…現八も容赦のないこと。」

そう言って迎えてくれた女将さんの言葉で、二人は再び先程のことを思い出してしまったようだ。二人からこぼれるのは、はあ、という深い溜め息。
そんな二人に対して、女将さんはどこか楽しげにたんすの中からたくさんの着物をひっぱり出している。

「旦開野さん、着物の好みはあるかしら?美人さんだし何でも似合いそうだけど。」
「ハ?」
「それになまえさんも!ずっとなまえさんに着物を着せてみたいと思っていたのよ。」
「え?わ、わたしは…」

わたしは濡れてません、と言う間もなく、女将さんは並んでいるたくさんの着物の中から二枚を選んで、着せる気満々だ。そんな女将さんに、置いてきぼりにされてしまった毛野さんとわたしは顔を見合わせる。信乃はというと、ちょっぴり懐かしそうに並んでいる着物を見つめていた。

「今の季節ならそうねぇ…この萩の友禅なんてどうかしら?」
「…いや女将、気ィ遣わなくても着替えなら部屋に戻ればあるし!!」
「あら毛野さん、遠慮しなくていいのよ。あ、なまえさんにはこっちの紫の矢絣なんてどう?」

そう言って勧められたのは鮮やかな紫色の着物。それはわたしが遊びで着るなんてもったいない素敵な着物で、わたしは首をぶんぶんと横にふった。
それにしても、毛野さんに勧めていた萩の友禅といい、紫の矢絣といい、なんだか女将さんがいつも着ている着物とはまた違っているような気がする。そんなことを考えながら首を傾げていたわたしの隣で、毛野さんが言葉を続けた。

「それに、女将の大事な商売道具だろう?人においそれと貸すようなものじゃない。」
「あら、平気よ。これは娘のですもの。あのコならもう着ないし、もったいないと思ってたのよ。」

女将さんの娘さん… 沼蘭さん。
事実を知っているわたしと信乃があ、と気がつく前に、なにも知らない毛野さんは言葉を続けてしまった。

「そうねぇ。でもさすが死人には着せられないわね。」

着物を膝に乗せながらそう言った女将さんに、毛野さんはう、と言葉を詰まらせる…ま、まあこんなこと聞いたら誰でもそうなる、よね。
でもどこか見覚えがあると思ったら、ここに並べてある着物はやっぱり沼蘭さんのだったのか。そういえばここにある着物は、前にわたしが小文吾さんに借りた沼蘭さんの紫陽花の着物と雰囲気がそっくりだ。

「銘仙が多いんだな。」
「娘が好きだったの。大胆でハイカラなところが好きだと云って。」

女将さんは、懐かしそうに目を細めながら膝にある着物を撫でた。
銘仙、とは、平織りの絹織物のことで女将さんが言っていたように大胆でハイカラなデザインが特徴の着物のことである。あまり着物を着たことがないわたしも、可愛らしい銘仙の着物には密かに憧れを抱いている。

「自由奔放なあのコにはよく似合ってたわ。さっきなまえさんに勧めた紫の矢絣も銘仙なのよ。あら、よく考えてみれば信乃さんにも似合いそうね。」

ついでに着てみない?と首を傾げた女将に、信乃は呆れたようにいい、と答えた…昔は素敵な着物をたくさん着て、女の子の格好をしていた信乃だけれど、身体が丈夫になった今ではわざわざ女装する気はないらしい。
むすっとしている信乃に思わずくすくすと笑みをこぼすと、信乃はなまえ、とわたしを戒めるように名前を呼んでくる。 

「じゃあなまえさんだけでも、ね?いいでしょう?」
「え、あの、わたしは…」
「もう〜だから遠慮しないの!」

そう言って肩を叩かれたわたしは、反論する間もなく女将さんに背を押されて男性陣がいない隣の部屋に連れて行かれてしまう。
そんなわたしを見て、今度は信乃が呆れたように笑ってきたけれど、わたしにはそんな信乃に言葉を返している余裕がない…こ、これって。どこかで見たことのある光景は浜路に着せ替え人形にされる時とよく似ていて、わたしは思わずごくり、と唾を飲み込んだ。

「帯はどれにしようかしら〜?久々に何か楽しくなってきたわ!あ、毛野さんはこっちの帯を締めてね?」
「…いや女将、だからね、」
「信乃!!着替え持ってきてやったぞ。」

毛野さんが女将さんに言葉を返そうとした所で、ガラ、と隣の襖が開いた。そこから現れたのは信乃の着替えを持った小文吾さん。俺の子供の頃の服で、と言いかけた小文吾さんは、自分の目の前に広がる光景、つまり毛野さんが着替えをしている光景を見てなぜか固まってしまった。
そしてはっとした後に慌てて部屋から出てしまう。  

「わ…悪い!!着替え中だとは知らなくて…!!」

そう叫んだ小文吾さんに、部屋にいたわたし達は顔を見合わせた…あ、あれ?
今この部屋で着替えていたのは男性の毛野さん、だけで……毛野さんに視線を移すと、彼は呆れたようにはあ、と溜め息をついている。そしてそれに続くように女将さんもまったくあの子は…と言葉を吐き出した…う、うん?

「さ、なまえさん、あの馬鹿息子はほっといてお着替えしましょ!」
「…え、えっと…?」

よくわからないまま女将さんに押されて隣の部屋に連行されたわたし。
部屋を逃げるようにして去って行った小文吾さんが、毛野さんによって新たな事実を知らされて、おかーさん!!と女将さんを呼ぶのはこの直後のこと、であった。

***

「はい、できたわよ。」
「わ…あ、」

女将さんにそう言われて姿見に向き直ったわたしは、着物を着た自分の姿に少しだけ驚いた。紫の矢絣。 前にも沼蘭さんの着物を借りたことがあったけれど、色や模様が少し違うだけでこんなに印象が変わるもの、なのね。

「ふふっ、やっぱりなまえさんは可愛らしいからよく似合うわねぇ。隣にいる男共もさぞ見とれるでしょう。」
「な、なに言ってるんですか女将さん…!」
「あらあら、本当のことを言っただけよ?」

そんなことを言いながらくすくすと笑う女将さんに、わたしはなんだか恥ずかしくなりながら隣の部屋を見つめる。
そういえばさっき、小文吾さんが毛野さんが男の人だということを知って随分と慌てていたけれど、大丈夫だったのだろうか。女将さんには女と付き合ったことがあるって話は嘘だ、とまで言われていた、し…なんだか、なあ。
うーん、と首を傾げて考えていたわたしに、女将さんがどうしたんだい?と尋ねてくる。

「いえ…あの、小文吾さん、大丈夫かなあと思って。」
「あの馬鹿息子かい?大丈夫だよ。それにしても、今まで毛野さんを女だと思ってたなんて、本当に情けないんだから!」

先程も呆れたように同じようなことを言っていた女将さんだけれど、女将さんにとってはまだまだ言い足りないらしい…そんな会話が聞こえていたのか、隣の部屋から女将はまだ言うか!!という小文吾さんの反論の叫びが聞こえてきた。
その声に、女将さんは部屋を遮っていた襖をすぱん、と開けてなんだって小文吾!と言い返す…こ、こうなるとなかなか終わらないのよ、ね。
再び言い合いを始めた二人に、わたしは思わず苦笑がこぼれてしまう。隣の部屋にいた信乃と毛野さんも再び始まった喧嘩を呆れたように見つめていた。

「ん…?お、なまえ、すっかり変わったじゃねぇか。」
「あ、あはは…はい。おかげさまで。」

ふと、二人の喧嘩を見ていた毛野さんが着物姿のわたしに気がついたようで、くくく、と笑いながら声をかけてきた。隣にいた信乃もそれに続いてわたしに視線を向ける。信乃はわたしを見るなり、驚いたように目を見開いた。わたしはその視線にどきん、と緊張が走る。
わたしの頭に思い浮かぶのは五年前の、信乃の似合いすぎている着物姿…へ、ヘンとか言われたら、どうしよう。
けれど、そんな考えは次の信乃の言葉で一気に吹き飛ぶ。

「…意外と似合ってんじゃん、なまえ。」
「そ、そう、かな…?嬉しい。ありがとう信乃。」

細められた信乃の瞳はとても優しくて、先程考えていたことが馬鹿みたい、だ。信乃に一言そう言われただけで頭の中が嬉しいという感情で満たされて、舞い上がってしまうわたしは、本当にどうしようもないと思う。そんな気持ちのまま、わたしは言葉を続けた。

「わたしの中だと、着物っていうと五年前の可愛い信乃の姿が…むぐっ!」
「ばっ…それ以上はここで言うんじゃねぇぞ!!」
「む…うう!」

着物っていうと五年前の可愛い信乃の姿が思い浮かぶの、と言いかけたわたしの口を塞いだのは、信乃。そんな信乃はどこか必死で、無意識なのか手のひらに少しずつ力が加わるものだから、少しくる、しい。毛野さんはというと、そんなわたし達をにやにやと興味深そうに見つめている。それに鋭い視線を返す信乃……もしかしたら、昔のことを毛野さんに知られるのが嫌、だったのかなあ。
呑気にそんなことを考えるわたしだったけれど、そのうち本当に息が苦しくなってきたので、信乃の背を少し強めに叩くと、悪い!!と言って大急ぎで手を離してくれた。そんな信乃を毛野さんがなにを隠してるんだ、なんてからかうものだから、再び二人の間で睨み合いが始まる。
わたしの後ろには未だ言い合いをしている小文吾さんと女将さん。前には不敵な顔でお互いを睨み合っている信乃と毛野さん。どちらも始まるとなかなか終わらないので、本当に困るのだけれど……もう喧嘩は勘弁してくだ、さい。

***

「ヤレヤレ、お前ら二人と話すつもりが…とんだ邪魔が入ったな。」

呆れたようにそんなことを言う毛野さん。そんな彼に先程まで毛野さんと睨み合っていた信乃と、それを傍観していたわたしは思わず苦笑をこぼした…なんだかんだ、毛野さんも他人の喧嘩を見て楽しそうにしていたような気がするの、だけれども。まあ、そんなことを言ったらどうなるかわからないかは言わないけれど……考えただけで、こわい。
一人で肩を震わせていたわたしの隣で、信乃はというと新しい着物を羽織る毛野さんを見つめていた。そして、ふとなにかに気がついたように毛野、と彼の名前を呼ぶ。

「お前、」
「何だ?」
「心臓を例の男にとられたってワリには、傷ひとつ残ってないんだな。」

信乃の言葉に毛野さんはああ、とまるで当たり前だ、とでも言うように頷く。
確かに"心臓"をとられたとなったら、まず普通の人では死んでしまうし、傷痕も無惨なものだろう。けれど毛野さんは、そんな傷痕とは無縁の姿をしている。どうしてだろう、と首を傾げながら彼の綺麗な胸元を見つめていたら、そんなわたしの視線に返すように毛野さんも妖艶な笑みでわたしを見つめ返してきた。それにわたしはなんだか恥ずかしくなって、信乃の後ろに隠れながら目を伏せる…わ、わたしのばか。
そんなわたしに呆れたように溜め息をつきながら、信乃は話を続けた。

「それに、」
「まず、九重が俺に傷痕なんて残しておくワケがないだろう?それに…二人共、気になるか?この痣が。」

傷痕の件は"九重さん"という存在を思い出してすぐに納得することができた。確かに彼女なら、人間の傷を治すことなど容易いだろう。
それよりもわたし達の目を奪っていたのは、毛野さんの胸元に咲く"痣"。その花の痣はわたし達にはとても馴染み深いものであった…その理由は言うまでもない。信乃と荘介にもまったく同じものが身体に咲いている、のだ。
ぽかんとその痣を見つめているわたし達に対し、毛野さんは微笑を浮かべながら思い返すように続ける。

「信乃、お前の右腕にも似たようなのがあったな。犬飼現八にも。」
「…同じの、荘介にもあるんだよ。首の後ろに。」

そう答えた信乃に、毛野さんは興味深そうにへぇ、と声を洩らす。
わたしは頭の中で信乃の痣、荘介の痣、現八さんの痣を思い返していた。幼い頃から信乃と荘介の痣を見て不思議に思っていたけれど、彼らの痣は"似ている"どころか、まるでコピーをしたように細かいところまで同じなのだ…花の"痣"、みんな同じ形してて本当に、不思議。

「じゃあ、なまえにもあったりするのか?」

少しばかり考え込んでいたら、毛野さんが唐突にそんなことを尋ねてきた。随分と不思議な質問に、わたしも、そしてわたしの隣にいた信乃も目を丸くする。

「え?わ、わたしにはないですよ…?」
「なまえにあるのは転けた時にできた"痣"だけだからな?」
「う…し、信乃…!」

面白そうに目を細めながらさらりとそんなことを言った信乃。そんな信乃に、毛野さんもあははは、とツボに入ったように笑い出す。わたしは、と言うと、なんだかんだ本当のことなので反論できずにいた…くやしい。もう、こういう所だけは信乃と毛野さんは息ぴったりなんだから。
そんなことを話してからかい合っていると、つい今まで小文吾さんと言い合いをしていた女将さんが、彼の耳を掴みながら心当たりがあるかのようにこちらを向いた。

「痣ならこの子にもあるわよ。」

自分自身でもなにが起こっているのかわかっていないらしい小文吾さんは、女将さんの言葉にへ?と間抜けな声を出した。そんな親子に、先程まではくだらないからかい合いをしていたわたし達もきょとん、としながら顔を見合わせる。

「ホラ、現八のとそっくり!ね?」
「ギャーーツ!!!」

可愛らしく首を傾げた女将さんの手は、小文吾さんのシャツをばさり、と大胆にめくり上げている。小文吾さんは古那屋全体に響く程の叫び声を上げていたけれど、そんな声も気にならないくらい、わたし達はその"シャツの下"にあったものに釘付けになった。
小文吾さんのシャツの下、つまり腰の部分にあったのは…花の"痣"。それは、今まで見てきた花の"痣"とまったく同じものだった。

「似てるでしょう?」

信乃、荘介、現八さん、毛野さん…そして小文吾さん。この不思議な花の"痣"を持っている人物は、これで五人目。


疾うに錆びついた花
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