「…あの。」

里見さんを見送ったわたし達に声をかけてきたのは、高そうなスーツを着た見知らぬ男性…一見優しそうに見えるけれどなんか、こわい。
わたしは直感的にそんなことを感じてしまって、いつもの癖で思わず服の裾をぎゅっと握り締めた。そんなわたしに気がついた信乃が、わたしを自然な動作で後ろに下げてくれる。

「キミ達、教会の子?」
「?…ああ。」
「じゃあ今のが噂の里見様なのかな?」

男性の質問に、信乃はハ?と眉をしかめた。どうやら彼は先程のわたし達のやり取りを見ていたようだ。

「その噂が何なのかは知らねえけど、確かにあいつが"里見"だな。それが何?」
「ああ、いや。友人がよく話をしていてね。あ、これ、その彼女からここの教会に差し入れだと預かってきたんだ。」

"彼女" "差し入れ"
このぼろぼろの教会に差し入れをしてくれる女性。わたしはある人物、昼間にも教会で会った彼女の顔が浮かんだ。それは信乃も同じのようで、信乃は男性にもしかして、琥珀?と尋ねた。信乃の問いに男性はそうそうと頷く。

「キミ達、琥珀と知り合いなんだね。」
「昼間ちょっとな。」
「キミ達は里見様とは親しいのかい?」
「親しいってゆーか、アレ俺達の後見人だし。」
「へ…え。」

男性は信乃に琥珀さんからの差し入れを渡しながら言った。差し入れの中身を見てみると、そこには綺麗な形をした美味しそうなマドレーヌ…流石琥珀さん、素敵なもの選ぶなあ。今度会えたらお礼、言わなくっちゃ……二人揃ってマドレーヌに釘付けになっていたわたし達は、男性がなにかを企むように笑みを浮かべていたことに気がつかない。

「琥珀にサンキューって言っておいて。」
「いいけど…それより、直接お礼を言いに行くかい?丁度退屈していたから、きっと喜ぶよ。」

たい、くつ?琥珀さんって、働いているんじゃなかったっけ。疑問を感じて信乃と顔を見合わせると、男性は笑いながらああ、と口を開いた。

「はやり目なんだってさ。しばらく仕事は休み!することなくてヒマでしょうがないらしいからね。」
「…そりゃ、いーけど。」

信乃の言葉に男性はよかったと返すと、今度はわたしに視線を向けた。その視線にわたしは思わずびくりと肩を揺らす。

「そっちのキミは、どうする?」
「あ、えと…」
「こいつは無理。人混み苦手だから。」
「そうなんだ、残念。だけど一人だけでも琥珀、きっと喜ぶよ!」

わたしの代わりに男性の問いに答えた信乃…確かに人混みは苦手、だけど、でも。わたしが信乃に視線を向けると、信乃はわたしに貰ったマドレーヌの箱を渡しながら言った。

「なまえはここで待ってろ。お前の分もお礼言っとく。荘介に日が暮れるでには戻るって言っといて。」
「あ…」

信乃はそう言うと、先に歩き始めていた男性に着いて行ってしまった。わたしはその後ろ姿をなにも言えずに見つめる。

「すごく、喜んでくれるよ…絶対!」

男性の笑みを浮かべる横顔が妙に頭に張り付いた…わたし、やっぱり。
わたしは信乃から預かったマドレーヌの箱を、木の下にある荘介の上着の隣に並べた。そして、信乃と男性が消えて行った方向を見つめる。

「行かなくちゃ。」

荘介と、信乃に飲んでもらいたくて淹れた紅茶のこともすっかり忘れて。わたしは橙色になり始めた道を駆けた。
わたしが忘れている間に、あたたかかった紅茶はすっかり冷めきっていた。

***

「……あ、あれ?こっち、かな?」

わたしは、また一人旧市街の裏通りを歩いていた。信乃と男性を追って来たはいいけれど、やはりまた道に迷ってしまったのである…途中までは、姿が見えていたんだけど、なあ。
わたしは自分の情けなさにはあ、と溜息をついて、見慣れない周りの景色を見つめた。周りはすっかり夕日の橙色に染まり、それとともに提灯の灯りも少しずつ増えてくる。旧市街の裏。いつもだったら一人では訪れない場所。そこに並ぶのは一見煌びやかな、けれどどこか暗い部分も見せる芸妓屋や遊女屋。
わたしがたらたらと歩いている間にも、並ぶ店の人達はもうすぐ来る夜に向けて忙しそうに準備をしていた…そういえば琥珀さんの働いているお店って、瑞香館、だよね。

「瑞香館…瑞香館…」

わたしは一つ一つの店の名前を確認しながら煌びやかな道を辿っていった。けれど少しずつ人が多くなってきたことで、看板の名前を確認できなくなってくる。仕舞いには、なかなか前にも進まなくなってきた……もう、なんでわたしっていっつもこうなんだろう。自分の情けなさに自分一人で呆れていた、そのとき。
突然、わたしは頭がなにかに掻き回されるような感覚に陥った。

「な、に…これ。」

頭が気持ち悪い、それにぼうっとする。それでも、わたしの足はまるでなにか強い力に惹きつけられるようにゆらゆらと動いている。

それに躾は大事さ
君のように生意気な子供は特にね


やめて!!昭市坊ちゃん!!

ふと頭の中に響いてきた声。どこかで聞いたことのある男の人の声と、女の人の声。ああそう、これは琥珀さんと…さっきの男の人の声。
声を認識すると、今度はまるで黒い霧が少しずつ晴れるようになにかの映像がぼんやりと浮かんできた。まずは黒く光る拳銃。
そして、それを向けられているのは。

「しの…信乃!」

信乃に拳銃を向けているのは、琥珀さんに昭市と呼ばれたあの男性。先程の彼の笑みはこのことを示していたのかもしれない。
いかなくちゃ。いかなくちゃ。
ぼうっとするわたしの頭はそれだけを繰り返す。そして、先程までゆらゆらと歩いていたわたしの足は急に駆け出した。場所はわからない筈なのに、まるで惹きよせられるように、わたしは駆けていく。街に灯るたくさんの提灯は、わたしを導くように燃えている…この感覚、そういえば前にも、あった。
あれは帝都に来たばかりの時。鬼騒動の時もわたし、こうやって。
駆けるわたしの視界の端に揺れる銀が映った。わからないけれど、またこの髪がなにか関係しているのかも、しれない。
"人成らざるもの"を惹きつける銀髪。けれど時には今のように"人成らざるもの"の元へ惹きつける銀髪。
けれど、そんなことまで頭が回らないくらい、わたしは焦っていた。
たくさんの人混みをするりするりとすり抜けて、わたしはある一つの店の前に辿り着く。そのままわたしは迷うことなく店の中へ入った。何事か、とわたしに尋ねてくる店員達。当たり前だ。突然女が店の中に駆け込んで来たのだから。けれど、わたしはそんなことに構っていられない。
 
「し、の…!!」

はあはあと乱れる息でわたしは大切な大切な彼の名前を呼んだ。
わたしに手を差し伸べてくれた人。わたしを救ってくれた人。わたしと"約束"してくれたひと。

なまえのこと、もう絶対に一人にしない。
約束、だ。


信乃は、いつもわたしの隣で手を握っていてくれた。一緒に歩いてくれた。わたしが泣いている時は傍にいてくれた。わたしにとって、まるで輝く一番星のような人。
階段は何個飛ばしたかわからない。無我夢中で階段を駆け上がって、わたしは一つの扉を開けた。
それと同時に鳴る、乾いた発砲音。
わたしはその音に先程までただ動いていた全身が停止した。

銃を持って座り込む昭市さん。
目を見開く琥珀さん。
そして…首を真っ赤に染めた、信乃。

「い、や…いや……」

信乃からこぼれ落ちる大量の血。床に少しずつ広がっていく血溜まりに、わたしは目の前が霞んでいくのを感じた。ぼろぼろと目からこぼれ落ちる粒。
その光景を信じたくなくて、わたしはただ、彼のなまえを呼んだ。

「信乃…っ!」

それに答える声は、ない。


幻になんてならないで
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