昨晩、また古那屋にお世話になったわたし達。いつもいつもお世話になって申し訳ないと思っていた矢先、朝から出てきたのはこれまた豪華な朝食。
主菜はレバーと苦瓜の炒めもの。さらに生ハムと温野菜のサラダにチーズとじゃがいものスープ、人参とトマトとセロリのジュースまで。今日は随分ヘルシーな朝食だなぁと感じたが、どうやらこれは女将から信乃への特訓、らしい。荘介と小文吾さん、そしてわたしの三人はヘルシーメニューを目の前にしてあからさまに沈んでいる信乃を後ろから見つめていた。

「…特訓?」
「という名の拷問メニュー…」
「ごう、もん…?」
「そうですか?俺はけっこう好きですけどね。」
「わたしも…」
「まあ…なまえは味覚音痴ですからなんでもいけますもんね。」

荘介の言葉にいつもどおり言葉を詰まらせたながら、わたしも席についた。いただきますと手を合わせて食事に手をつける…うん、おいしい。でも野菜ばかりだから信乃は苦手、そうだなあ。
明らかに肉…と落胆して箸の進めが遅い信乃に対し、箸の進みが早い荘介とわたし。そんな対照的なわたし達を見て小文吾さんが見つめる。

「信乃と違ってお前達みたいな奴らはなんか食わせ甲斐がないんだよなー」
「そ、そうですか?古那屋のお料理、どれも美味しいので…」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど。」

小文吾さんはそう言いながらわたしの頭をぽんぽんと撫でた。けれど顔は腑に落ちない、とでも言うような表情をしている。そんな小文吾さんに荘介がでも、と口を開いた。

「助かりますよ。子供の頃から信乃の偏食っぷりは手に負えませんでしたから。」
「だーからあんな小っせえのか!!どーみても十三にゃあみえねえもんな!」
「こ、小文吾さん…」

そう言ってげらげらと笑っていた小文吾さん。そんな彼の言葉が聞こえてしまったのか、背後でなにかがきらりと光ったかと思うと、灰皿がこちらに向かって飛んできて小文吾さんの頬に直撃した。犯人は言うまでもなく、信乃である。真っ赤になった頬を押さえながら床でのた打ち回る小文吾さんを見て、信乃はへっと満足げに笑って見せた…信乃の前で歳と身長のはなしは禁句、です。


「ごちそうさまでした。」
「ごちそう、さまでした…」

美味しかった、と満足して手を合わせたわたし。そんなわたしに対し、隣のテーブルで手を合わせている信乃はちょっぴり疲れたような顔をしていた。そんな信乃を既に食べ終えている荘介が呆れたように見つめる。

「これで少しは信乃の好き嫌い、直るかな?」
「どうですかね。我が儘な信乃のことですから直るのはまだまだ先じゃないですか?」
「ふふっ、確かにそうかもね。」

荘介とわたしでそんなことを話していると会話が聞こえてしまったのか、信乃が恨めしそうにこちらに視線を向けた。そんな信乃を見て笑っていたわたしに、信乃は笑うななまえ!わたしに声を上げる…かわいい。
信乃とわたしがいつものようなやりとりをしている間に、いつの間にか隣にいた荘介が小文吾さんにありがとうございました、とお礼を言って席を立っていた。からかい合いをしていたわたし達も荘介につられて席を立つ。小文吾さんにお辞儀をして、わたしは先を行く荘介と信乃に続いた。

「荘介、お前また昨日の教会に行くのか?」
「はい。屋根の修理もまだ途中ですしね。」
「んじゃ、俺もついてく。なまえも行くだろ?」
「うん、わたしも行く。」

わたしの答えにわかりました、と答えた荘介だったけれど、ふいにあ、となにかを思い出したように信乃の方を見た。

「そういえば信乃、玉探しはいいんですか?」
「それもやるけど。」

気怠そうに答えた信乃はポケットから例の"玉"を取り出した。里見さんが信乃に頼んだ、という玉探し。けれど、なんの情報もない中の玉探しはなかなか難しいものである。

「玉探しって言っても結構難しいですよね。誰かれかまわず聞き回る訳にもいかないみたいだし。」
「なんで秘密にしたいんだろうね?」
「そこなんだよな…秘密裏に事を進めたいってのがよくわかんねー。こんな玉集めてどうすんのかね?」
「うーん…」

確かに、里見さんは玉を集めて一体なにをするんだろう。里見さんって秘密ばかりの人だから、なにがしたいかなんて検討つかない、な……考えれば考えるほどわからない。

「里見さんが集めたいのは玉を持っている人間の方でしょう?」 
「そう、なの?」
「そんなことを言ってたような、気もするな。そうだとしても尚更わかんねぇ…一体何のコレクションだよ?」
「…さあ。それを聞き出すのも信乃の役目なんじゃないですか?」

荘介の言葉を聞いた信乃は、なにかを思い出したようにはあと溜息をつくと、みるみちうちに肩を落としてしまった。そんな信乃に荘介とわたしは思わず顔を見合わせた。

「し、信乃…」
「………いや、まあ試してはみたんですね?里見さんも何も謎を更に蹴飛ばすようなマネしなくても…」
「…里見さん秘密好きなのかも、ね。わたしも前質問したらだんまりで返されたもの。」
「あはは…そんなこともあったんですか。まあ、これじゃあ玉探しも時間がかかりそうですねぇ。」
「そう、だね…」

荘介と会話をしながらちらりと隣の信乃の様子を窺うと、先程まで肩を落として溜息をついていた彼は眉をしかめながらなにか考えごとをしていた。さがしもの。それで思いつくのは玉探しと、あともう一つ。荘介の"魂の半分"。里見さんは、今のままだと荘介はあの世へと引きずられてしまう、と言っていた……信乃はわたしに大丈夫、なんて言ったけれど、玉と同じようになんの手がかりもなしに探しものをするなんて、すごく難しいことなのに。

「あ、信乃。」
「…ん?」

ふいに荘介がなにかを見つけたように信乃の名前を呼んだ。いつの間にか、周りは旧市街の裏通り。わたし達の前には相変わらずぼろぼろの教会がそびえ立っている。そんな教会の前に佇んでいるのは、金色の髪を持つ綺麗な女性…もしかしてこの人が信乃が言っていた金色の瞳を持っている女性、かもしれない。
彼女はわたし達に気がついたのか、あら、とこぼしてこちらに向かって微笑む。

「あの時の…偶然ね。」

彼女の微笑みはとっても綺麗で、わたしは思わず見とれてしまう…けれ、ど。どこかなんとなく感じる"違和感"
九重さんと初めて会った時にもなにか不思議なものを感じたけれど、このひとはなん、だか。

「先日信乃と一緒にいた…」
「…ああ。」

信乃は彼女を見て、なにかに気がついたかのように目を細める…金色の瞳の、女性。なんだか不思議なひと、だなあ。

***

教会の屋根の修理をする荘介と別れ、信乃とわたしは金色の女性と一緒に木陰でおしゃべりをしていた。想像より彼女はずっと明るい人で、人見知りのわたしも落ち着いて話をすることができた…まるお姉さんみたい、なんて。

「あなたも、珍しい色の髪を持っているのね。」
「あ、は…はい!」
「ふふ。この間病者の塗油の儀式で見た時はベールであまり見えなかったから。まるで天の川みたい、なんて言ったら笑われちゃうかしら?」
「い、いえそんな…!でも、言いすぎです。金色の目の方がきらきらしてて、華やかで綺麗だもの。」

わたしの言葉に彼女は口に手を当てながらくすくすと笑った。わたしと彼女の間には、女性同士のおしゃべり独特のふわふわしたあまい空気が漂っている気がしなくもない。彼女の笑いにつられて、わたしも笑みをこぼした。信乃はそんなわたし達を見て女ってわからない、とでも言うように欠伸をひとつこぼす。

「えっと…教会にはよく来るんです、か?」
「ええ。ここの教会が私のいる花街に一番近いの。」

花街…っていうことは、彼女は花街で働く女性なのだろうか。そう言った彼女は信乃とわたしを見てあ、と話していた口を押さえた。

「子供の前で花街の話の話なんかしちゃいけないわね。」
「俺、子供じゃないし!こいつは子供だけど!!」
「…わたし、見た目は十八だもの。」

わたしの言葉に、信乃は自分の姿を見てう、と言葉を詰まらせた…確かに中身はちょっと頼りないかもしれないけれど、やっぱり人は見た目も大切だもの、ね。そんなわたし達のやりとりを見て彼女はあらあら、と再びくすくすと笑った。彼女から見れば、信乃もわたしもまだ子供に見えるのかもしれない。

「そぉ?私、これでも結婚してるのよ。小さい子供もいるわ。」
「…なのになんで花街に?」
「女が家族を養うにはこれが一番てっとりばやいのよ。うちは親兄弟もいるし。」

ふつうの家族に親兄弟の家族。確かにそれだけの人数を女性養うにはそれが早い、かもしれないけれど……信乃は彼女の言葉になら男が働けばいいじゃん、と声を上げた。そんな信乃に彼女は自分を指さしながら言う。

「私のこの外見見えてる?祖父が異国からの移民なのよ。そんなのが村中溢れてて…こんな外見の私達が働けるのは花街だけですもの。」
「あ…」
「……悪い。俺考えナシのこと言った!」

顔を真っ赤に染めて謝った信乃を彼女は可愛い、とこぼしながら見つめる。周りとは違う、髪…もしわたしが教会に引き取られていなかったらわたし、も。

「でもね、私の家族は待ってるって。帰ってくるの、ちゃんと待ってるからって。月に一度の手紙も嬉しくて。」

あ、れ?
わたしは彼女の話を聞きながら首を傾げた。

「私の生まれた村は北の外れで本当に何もなくて、皆お腹すかせてた。
何の証明書も持たない移民が多かったせいか、他の土地に移ることもなかなかできなくて。よそに売られる女子供は珍しくなかったの。私は毛色が変わっていたから高く売れたのよ。」

指を組んで、口元に笑みを浮かべながらそう言った彼女…わたしはまた先程も感じた"違和感"を感じた。隣の信乃も、先程と同じようになにかを考えるように彼女を見つめている。彼女はわたし達の些細な変化に気づかず、話を続けた。

「ここの教会はいいわね。少し古いけど静かで人もいなくて。」

す、少し…彼女の言葉に信乃とわたしは顔を見合わせて、教会を見る。"少し"古いんだったら、今荘介が屋根によじ登って修理しているぼろぼろの屋根はなんなんだろう……

「この間はつい好奇心に負けて他の教会に行ってみてしまったけど…噂の里見様を一目見てみたかったのよ。あなた達は知ってる?綺麗な人ね。」
「里見…?」
「お客からもいろいろ噂は聞いてたんだけど、あんまり表に出ない方らしくて…また会えるかしら?」
「……さ…あ。俺達もよく知らねえし。」

信乃の答えに彼女はそう、と顎に手を当てながら言った。そして、その金色の瞳にわたし達を映しながら呟く。この金色に、わたしはなぜかこの間会った荘介にそっくりな彼を思い出してしまった。

「残念ね。」

彼女は口元に笑みを浮かべながら言った。わたし達を映す金色は不思議に瞬く。

***

金色の瞳の女性は信乃とわたしとしばらく話をした後、そろそろ戻るわ、と言って去って行った。わたし達に手を振る姿は一見普通だけれども、でも。
わたしは小さくなっていく彼女の後ろ姿を見つめながら、隣にいる信乃に問いかけた。

「信乃、あの人って前会った時もあんな感じ、だった?」
「…いや。前会った時はあんな"違和感"は感じなかった。」

やっぱり、信乃もわかったんだ。彼女から感じさせる"違和感"を。"違和感"を説明しようとするとなかなかどう説明したらわからないけれど、そう。しいていえばあの"違和感"は妖と同じ、ような…でもよく、わからない。わたし達二人は同じように考え込みながら、一度教会の中へ入った。昨日の夜も礼拝堂には入ったけれど、明るいとぼろぼろのなのがさらに目立つ。

「それに前は…」
「…ほぅ、そりゃ瑞香館の"琥珀"じゃ。」
「黄金の女を抱く男は大金が入る、とそんな噂で人気の花街の女よ。」

信乃の言葉を遮って、突然わたし達の前に現れたのは例の老女シスター達。あまりに突然のことにわたしは引きつった声を出しそうになったけれど、なんとか耐えた。信乃は苦笑を浮かべているけれど、その手はぶるぶると震えながらわたしの服の裾を掴んでいる……この人達、心臓にわるい。けれど、この人達なら金色の女性、琥珀さんについて色々と知ってそうだ。早速信乃がシスター達に問いかける。

「ああ…そう。よくここに来んの?」
「三日に一度はな。憐れは女じゃ。」
「帰る故郷も待つ者もなくたった一人。おまけに病持ちじゃ。先も永くあるまい。」

シスター達の言葉にわたし達は疑問を感じて首を傾げた…先程琥珀さんが言っていたことと、今シスターが言っていることが矛盾しているのだ。

「たった、一人?でも…」
「結婚して子供もいるって…親兄弟もいるから、私が稼がなくちゃ…って。」 
「いたさね。二年と少し前まで。」
「あの女の故郷は国境近くの北部の小さな村じゃった。」

国境近く、北部、小さな村。
その言葉で思い出したのは、小文吾さんと現八さんが経験したという"北部前線"。そういえば彼らは言っていた。村も村の人間を人質にとっていた賊も、小文吾さん達の部隊も、皆全滅。生き残ったのは皇族の斎姫ただひとり。
村の人間は誰一人生き残っていない、と。

***

「ん…いい香り。」

ポットから注がれたお茶から漂うのは落ち着くハーブの香り。色も綺麗で香りも強いことから、いいお茶なんだなあということがわかった。わたしがお茶を淹れている間にもかんかんかん、と上から聞こえてくるのは釘を打つ金属の音。今日一日ずっと鳴りっぱなしのその音は、荘介が屋根を修理している音である。今、わたしが淹れている紅茶は、一日頑張りっぱなしの荘介のためのもの。あの若いの、少し休憩でもしたらどうじゃ、なんて言って老女のシスター達がお茶の葉を出してくれたのだ。お茶にはお菓子があったら最高なのだけれども、この教会はそこまでは用意していないよう。ちょっぴり残念。
いつの間にか姿が見えない信乃は、荘介のいる屋根の上にでもいるのだろう。お茶が入ったの、早く伝えに行かなくちゃ。そう思ってポットを置きながら後ろを向こうとすると、突然いい香りだのぉ、と関心するような声が響く。

「っえ…!?」
「一見ぼけぼけしてそうだったのに、なかなかいい仕事をするんじゃなあ。」
「人は見かけによらない、ってか。」

わたしの後ろでかっかっか、と笑っているのは、お茶の葉を用意してくれたシスター達…び、びっくりした。さっき信乃といた時といい、この人達なんでこんなに気配がないんだろう。

「えと…シスターさん達の分も淹れたので、よかったら。」
「おお、じゃあいただこうかのぉ。」

わたしがカップを二人に渡すと、二人は近くにあった椅子に座ってお茶を飲んだ。二人は一口飲んだ後、うんうんと頷きながら口を開く。

「引きこもりの巫女こんな茶を淹れられるようになるとはのぉ。」
「おぉ、びっくりじゃびっくりじゃ。子守り姫もこの様子を見たらさぞ驚くのぉ。」
「え、と…?」

引きこもりの巫女?子守り姫?なに、それ…?
さらりと言われた言葉だけど、その響きはとても意味深で。首を傾げるわたしに二人は再びけらけらと笑うと、飲み終えたカップを置いて出て行ってしまった。そのカップを見てわたしはあ、と淹れたばかりのお茶のことを思い出す。

「お茶、冷めないうちに飲んでもらわなきゃ…!」

先程の意味深の言葉もすっかり忘れて、わたしも外へと出る。二人の名前を呼ぼうとすると、見知った人物が教会の前にいることがわかった。わたしが彼に気がついたと同時に、上から彼の名を呼ぶ声が。

「里見!!」
「信乃…と、こっちはなまえか。」
「こ、こんにちは。」
「こんな所で何をしている?」
「アンタが荘介をこんなトコに寄こすから、俺達まで巻き添いくってんじゃんよ!」

里見さんの問いに答えたのは、荘介と同じように屋根の上にいる信乃だ。そんな信乃の言葉に里見さんが眉をしかめた所で今度はおー、とシスター達が里見さんに声をかける。

「里見の坊か、よく来たな。来たついでに現金も少しばかり置いて行ってくれると助かるわい。」
「お前さんが寄こしたあの若いのは当たりじゃな。よお働くけ。」

シスター達の言葉に里見さんの眉間の皺はさらに深くなり、それに加えて深い溜息をついた…さ、里見さん。わたしは思わず苦笑がこぼれてしまう。

「…私はここの教区の担当でも何でもないんだがな。」
「何を言う!子供の時分のお前の面倒をみてたのはこの婆共じゃぞ!」

いつもは散々わたしや信乃を泣かせている里見さんだけれど、自分の面倒を見てくれていた二人のシスター達にはどうやら頭が上がらないようである。里見さんは不機嫌そうな表情をしているけれど、シスター達にはなにも言い返さない…里見さんでも勝てないひとって、いないんだ。なんだか珍しくってくすくすと笑っていると、里見さんにぎろり、と睨まれてしまった。それはまるで溜まっているイライラまで合わせたような睨み。わたしの笑いが一瞬で引っ込んだのは言うまでもない。

***

「お前達、また古那屋に泊まりか?」
「あ…!す、すいません。また連絡するの忘れてました。」
「はあ…いつものことだから別にいい。」

里見さんは車に乗りながら全く反省をしていないわたし達を呆れたように見つめた。
先程まではわたし達と他愛もない話をしていた里見さん。けれど、このぼろぼろの教会には様子を見に来ただけのようで、もう次の仕事に行かなければならないらしい。彼を見ていると偉い人は大変だなあ、と改めて思わざるをえない。

「だってあそこ飯旨いし。」
「…全く。」

里見さんの呆れの視線にも負けず、信乃がぽつりと言葉をこぼす。そんな信乃に里見さんは再びはあ、と溜息をついた…そういえばわたし達が古那屋で食べてる分の食事代って、里見さんが払ってるのよ、ね。改めて考えてみてその額想像したらとんでもない額になったので、わたしは一旦考えるのを止めてしまった……ごめんなさい里見さん。

「そういえばお前達、荘介の瓜二つを見たと言っていたな。」

話変わって突然里見さんの口から出てきた"彼"の話。信乃は一瞬顔を曇らせたけれど、表情を変えて里見さんの質問に答えた。

「ああ。村雨は"影"って…」
「どこで見た?」
「旧市街のど真ん中。見たのは一度だけ。」
「……あ。」

信乃の一度、という言葉にわたしはふとあることを思い出した。声を洩らしたわたしに信乃と里見さんは何だとでも言うように視線を向けた。

「あ、あの…そういえばわたし、少し前にもその"影"に会ったこと、あるかも。」
「はあ!?いつ、どこで!お前そういうことは早く言えよ!!」
「ご、ごめんなさい…」

…確かに、もっと早く信乃に相談していれば、よかったかも。
申し訳なく思いながら信乃に謝ると、信乃もはっとして怒鳴ってごめん、と謝ってきた。そんなやり取りをしているわたし達に、横から早くしろ、とでも言うように里見さんの視線が突き刺さる。わたしは再び二人に向き直って話を続けた。

「会ったのは…浜路が女学校に入学した次の日、だったかな。場所は旧市街。」
「旧市街…」
「その時は顔を隠してて顔はわからなかったん、だけど…声が、声が荘介にすごく似ていた、から。あと、言い回しとか。」

わたしの体験について里見さんはなにも言わず、なにかを考え込むように目を細めた。信乃は影の野郎、なんて舌打ちをしながら眉間に皺を寄せている。そんな信乃だったが、やっぱり、と小さな声で呟くと、なにかを確信したように口を開いた。

「…やっぱり、変だ。」
「変?」
「アイツ…"影"は俺達のこと知ってた。大塚村にいた頃の俺達のこと。」

信乃の言葉に里見さんはあからさまに表情には出さなかったけれど、彼もまた、なにかを確信したようだった。

「…村雨が"影"というならそうなんだろうな。実体を持つ影なんぞ聞いたことはないが。」
「捕まえた方がいいか?」
「…さて。むこうからお前達を迎えに来る、と言ったんだろう?」

迎えに、来る。確かにそれは"影"がわたし達に言った言葉。もし、もし彼がわたし達を迎えに来たら。まるで荘介が消えてしまいそうな気がして、わたしは少し怖くなった…また自然と暗いことを考えてしまっていたわたしの耳に、突然それより、と里見さんの声が届く。

「玉探しはどうなっている?」

里見さんの問いに、信乃は核心を突かれたようにぎゃふん、なんて声を出しながら肩をびくりとふるわせた。
"影"のことに玉探し。どちらも簡単には解決しない問題。頭をぐるぐると回る二つに、わたしは思わず苦笑をこぼした…そういえば朝も荘介がその話を振ってきて玉探しの話をした、なあ。

「余所見も大概にしておかないと小遣いは巻き上げるからな!」
「里見のケーチ!!」
「し、信乃…わたしが教会のお手伝いで貰うお金、あげるから…」
「なまえ、金を信乃を甘やかすことに使うなら、もう仕事紹介してやらんぞ。」
「え…!?そ、そんな!」

十八のわたしが学校にも行かず仕事もなにもしない、というのは流石に不味いのではないだろう、か。
二人揃って困っているわたし達に構わず、里見さんはでは私はもう行く、と言って颯爽と去って行ってしまった…里見さんらしいけれど、もう少しだけ、優しくして欲しいなあ、なんて。
残された信乃とわたしははあ、と二人で溜息をついてしまった。けれど、隣で俺の小遣い…というまたなんとも可愛い呟きが聞こえて、わたしは溜息をついたことなど忘れてくすくすと笑いをこぼした。そんなわたしに信乃がからかうな、とでも言うようにこちらを睨んでくる。それは全く怖いものではなくて、むしろ可愛い……もし本当に信乃のお小遣いがなくなってしまったら、里見さんに見つからないようにこっそり、こっそりあげちゃおう。
先程里見さんに注意されたにも関わらずこんなことを考えてしまうのは、やっぱりわたしが信乃に弱いからだと思う。


救いのために磨り減らすだろう
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