わたし達は目の前の彼を見て、ただ驚くことしかできなかった。なぜなら、彼はそれほどに荘介と瓜二つだった、から。ただの偶然と思えないくらいに。
燃えていた金色の瞳はいつの間にか再び眼帯に隠されている。

「まいったな。この間なまえを見かけたからまさかとは思ったけど…信乃まで帝都にいるなんて予想外。」

困ったように肩をすくめながら言った彼は驚いて言葉が出てこないわたし達を見て、口元に笑みを浮かべながら言葉を続ける。

「残念だけど、迎えに行くには時期が早いな。まだ全部揃ってないしね。」
「ぜん、ぶ…?」
「…でも、信乃もなまえも元気そうでよかった。あの時、はどうなるかと思ったけど。」

迎えに行く、全部、あの時。彼の口から出てくるのは理解できない言葉ばかり…わからない。わたしの頭は徐々にこんがらがってきていた。もちろん彼はそんなことを気にもせず、こちらに向かって手を伸ばす。

「ねえ信乃、化け物を身の内で飼うのはどんな気分?」

彼の言葉に信乃もわたし達も、相変わらずなにも返すことができない。
彼の言う化け物、とは信乃の中にいる村雨のことを指している、の?だとしたらなぜそのことを、あの時のことを知っているの?どうして?…疑問ばかりが溢れてきて頭がパンクしそう。
その時、こちらに手を伸ばしていた彼の喉に刀の鞘が突き立てられた。彼に突き立てられた鞘は現八さんのものである。

「…さて。これ以上お前をこの子供らに近付けさせる訳にはいかんな。」
「…子供?」

低い声でわたし達を庇うように言った現八さんに彼はくすりと挑戦的な笑みをこぼすと、なにかを思い返すように呟いた。

「信乃が…言ったんだ。
強く願えばそれは必ず叶う、と。」

その、言葉は。わたし達は再び目を見開く。強く願えばそれは必ず叶う、わたしも、その言葉を知っている。あれはまだ大塚村にいた時のこと。綺麗な緑色の草原で信乃が言った言葉。
驚くわたし達を待つこともせず、彼は深緑色を翻してわたし達に背を向けた。

「じゃあまたな。信乃、なまえ。」
「ま……て!!お前…っ!!」

毛野さんが彼を引き止めようとするけれど、彼は人混みをするりするりと掻き分けてあっという間に小さくなっていく。まるで人々をすり抜けていっているみたい、に。そんな彼の後ろ姿を黙って見つめている信乃とわたしに現八さんが尋ねた。

「…荘介と瓜二つのだったが、知り合いか?」
「…いや、俺は知らない。けど、あいつ……俺となまえのことを知っていた。」

"影"村雨は彼を見てそう言った。
なら、あの人は荘介の"影"なの?でも"影"ってなに?どうして、荘介と瓜二つなの?
いくら考えても答えはでてこないままで。

半分 半分
おまえは半分
犬とおまえで ひとつずつ
けれどおまえは 半分だけ
おまえの魂 半分 だけ

もう半分は どこいった?


わたしの胸に残るのは疑問と大きな不安だけ。思わずいつもの癖でぎゅっと服の裾を握っていると、そんなわたしの手の上に温かい手のひらが重ねられた。その手は、いつの間にか現八さんの馬を下りていた信乃の手。

「し、の…?」

わたしの声に返すことなく、信乃はわたしの手を握って歩き始める。少しずつ早足になる信乃。後ろで現八さんがわたし達を呼んだけれど、わたしはただ黙って信乃に着いて行くことしかできなかった。

***

信乃に手を引かれるままたどり着いた先は、わたしも馴染みのある四家の屋敷。ここに着くまでわたしも信乃も、一言も言葉を交わすことはなかった。こんなことは普通だったら滅多にないけれど…あんなことがあった後だから。
屋敷に入ってすぐ、尾崎さんがわたし達に声をかけたようだったけれど、わたし達の歩く速度が早くて彼がなにを言っているのかよくわからない。そんな尾崎さんに気が回らないくらい、わたしの思考は全く安定していなかった。
ようやく信乃が立ち止まったのは、ノックもせずに大きな扉を開けた後。扉を開けた先には何事か、と不思議そうにわたし達に視線を移した里見さんの姿。

「荘介なら教会の手伝いだと言った筈だが?」

信乃ははあ、と一息ついて、糸が切れたようにその場に座り込んでしまった。そんな信乃に大丈夫と声をかけようとしたけれど、気がつかない内にわたしの喉はからからになっていて、言おうとした言葉は声にならないままに終わってしまう。

「二人揃ってどうした?」
「……は、いや…そーだよな。どーしたもこーしたも…そういえばアンタ、気づいてたんだよな。荘介のこと。」
「え…?」

荘介のこと、ってどういうこと?里見さんはわたし達が知る前から荘介と瓜二つの人がいるって知っていた、の?
わたしと信乃二人の視線を受けた里見さんは少しばかりの沈黙の後、再び口を開く。

「…荘介は子供の頃の記憶がないと云っていただろう?正確には大塚村へ来る以前の記憶がないと。」
「…そうだ。雪の日に母親と一緒に行き倒れてて。母親はその後亡くなったから、荘介はそのまま村長んトコに引き取られた。」

里見さんは信乃の話を聞いてなにかを考え込むように顎に手を当てる…今の話になにか、問題があっただろうか。大塚村に来る以前の記憶がない、のはわたしだって同じ、なのに。なんで、荘介が。

「…四白はどうだ?」
「?四白は俺が生まれた頃から一緒で…」
「…荘介の中のお前達に関する記憶は本当に荘介本人のものか?」

荘介の話から急に四白の話へと移した里見さん。彼の言葉にわたし達は目を見開く。だん、と信乃が里見さんの机を叩いた音が静かな部屋によく響いた…記憶が本当に荘介のものか、なんて。それって、荘介が認識しているわたし達の記憶は、実際には四白が認識しているものだって言いたい、の?

「あれから五年もたった。あの状態のままあの体に縛りつけられているのだとしたら、相当な執着だろうな。」
「あの、状態…?」
「…信乃は薄々気づいていただろう?
あれは魂が半分欠けている。」
「はん…ぶ、ん?」

魂が欠ける、って。どういうこと?
信乃も荘介がそうなっていることに気がついていたの?答えを求めて信乃に視線を移したけれど、俯いている信乃はわたしの視線に気づかない。
わたしの中に生まれてくるのはやっぱり疑問ばかり、わたしにはわからないことだらけ…どうし、て?

「この世に生きるもの全て、魂が欠けたままでは生きられない。その半身を取り戻さない限り、いずれ欠けた魂はあの世へと引きずられる。」

里見さんの残酷な言葉がわたしの胸に突き刺さる。あの世へと、引きずられる。つまり今のままの状態をこれからも続けていけば、荘介はいつか死んでしまう、ということ。

「荘介が未だにそうならないのは…信乃、お前が強く引き留めたせいか?」

思い出すのは五年前の"あの時"のこと。あの時、わたし達は自分自身で選択をしてこの世に止まったと思っていた。
こんなわたしだって、自分自身で"生きたい"と願った。冷たい場所に一人きりで残されたくなかった、から…荘介は、違うの?
わたしの声にならない問いに答える人はもちろんいない。わたしの疑問は頭の中で冷たく響いた。

***

わたし達が屋敷に訪れた時は夕焼け色に染まっていた空は、いつの間にか暗い空に変わっていた。そんな空に見下ろされながらわたし達が向かうのは、荘介の所。たくさんの疑問はいくら考えても不安を生むだけだとわかっているのに、わたしの頭は考えるのをやめない。

「…なまえ!」
「……あ、ごめん。なに?信乃。」

どうやらわたしがぼうっとしている間に信乃は何回かわたしの名前を呼んでいたみたいだ。正に心ここにあらず、のわたしに信乃の表情が曇る。

「今日のこと、なまえは気にするな。」
「え…?で、でも…!」
「…なあ。俺達がまだ大塚村にいた頃さ、俺達二人だけで抜け出して星を見に行ったの、覚えてるか?」
「う、うん…覚えてる、けど。」

荘介の話から突然切り出されたのは、信乃とわたしの話。唐突なことにわたしは疑問を感じながらも返事をした。
信乃とわたし、二人きりで星を見に行った日。確かにあの日はわたしにとってとても特別な日、である。
春も終盤にさしかかって、すっかり落ちた桜の花びらの絨毯を二人で駆けた夜。

「父さんが、夜寝る前に突然今日はおとめ座のスピカがよく見える日だ、って教えてくれてさ。」
「あ、そうそう…!それで見に行きたい、って言ったけど、信乃のお父さんも荘介も駄目、って。」
「そ。でも、俺達は二人の言いつけを破って外にスピカを見に行った…まあ、ぶっちゃけ最初は俺もどうでもよかったんだけど。」
「そうだったの…!?」

帝都の真っ暗な空を見上げながらさらりと言った信乃に対し、わたしは大きな声をあげながら目を見開く…幼い日のわたしは、てっきり信乃も夜に抜け出すほどスピカを見たい思っているのだと、思っていた。

「でもなまえ、スピカの話を聞いた途端すっげえ目輝かせるから。俺も見てみたいと思ったんだ。」
「そう、だったの。」

あの日のことを思い返すように微笑んだ信乃…信乃、そんなことを思ってたん、だ。
信乃の表情を見た瞬間、わたしの胸はなにかに引かれるようにぎゅうっと締めつけられた。それは痛い、という締めつけとは正反対で、なんだか上手く説明できない、今まで体験したことのないもの。
わたしが星を、スピカを見てみたいと思ったわけは、信乃曰くわたしの銀髪と似ているらしい"星"をしっかり見てみたいと思ったから、だ。スピカ、別名を真珠星。その名前はスピカが放つ凛とした青白い輝きが真珠によく似ているからつけられたらしい。信乃と二人で見たスピカ。その時のことを、わたしは一生忘れないだろう。きらきらと輝きを放つ一番星。それを指さす信乃の笑顔。しっかりと繋がれた手はやっぱりあたたかくて。それ、から。
ふいに立ち止まった信乃は空に片手を翳して、もう片方の手を小指に添えた。
ああ、そう……あの、とき。

俺が守る。浜路も荘介も、なまえも。

「あの時の"約束"俺は今でも忘れてない。だから、荘介のこともお前は心配すんな。」

なまえのこと、もう絶対に一人にしない。
約束、だ。


スピカに見守られながら小指を重ねた記憶が、今と繋がる…わたしは、いつだって信乃に助けてもらってる。
"一人にしない"そんな信乃の言葉に、わたしがどれだけ救われたか。でも……荘介のことは心配するな、と言った信乃の肩が微かに震えていたことをわたしは知ってる、の。

「…強がり。」

強がるのは、信乃の悪い癖。
小さく呟いたわたしの言葉は、信乃には届かない。

***

朝も訪れた荘介の仕事先の教会は、やっぱりかなり年期が入っていて。それに加えて外はもう真っ暗。神に祈りを捧げるはずの教会なのにホラーハウスに見てなくもない。それにしても室内は暗い…転ばないように気をつけなくっちゃ。
そう思った矢先、わたしは足下のなにか、柔らかいものに躓いて転びそうになる。

「わ…!」
「ば…っ、なまえ!」

先ほどの会話きり無言で歩いていたわたし達だったが、わたしの声に少し先を歩いていた信乃が振り返って転びそうになったわたしを支えてくれた。その時、足首にまた柔らかいものが当たって足下を見てみると、その正体は一匹のネズミ。

「ネ、ネズミ…」
「よかったな、踏み潰さなくて。大丈夫か?」
「う、うん…ありがとう。」

ふ、踏み潰すだなんて。自分によって踏み潰されたネズミを少しだけ想像したけれど、怖くなってやめた。それにしてもネズミが出るなんて、中も相当ボロボロみたいだ。きょろきょろと周りを見回していると、信乃にまた転ぶぞ、なんて言われながら手をとられ、先を歩く信乃にわたしも続いた。

「荘介、こんなボロ教会でなにしてんだよ…」
「ね、屋根の修理とかかなあ。」
「…そんな気がする。つか屋根の修理に素人が駆り出されるとか、どんだけ金ねぇんだよ。」

二人でそんなことを話ながらさらに奥へと進もうとすると、ふとわたし達が進む先に明かりが灯った。それと同時に見知った声がわたし達を呼ぶ。荘介だ。

「どうしたんです?こんな所へ。」
「いつまでたっても帰って来ねぇから迎えに来たんじゃねーか。何だよ?そのカッコ。」

荘介は珍しくいつもの上着は脱いで、シャツ一枚の格好だ。けれど、顔や手、腕には所々なにかに引っかかれたような痕がある…一体なにやってたんだろう。そう考えた時、ふと頭に浮かんだのは先程のネズミ。

「…もしかしてネズミ退治、してたの?」
「ハァ、よくわかりましたねなまえ。正解です。凄いんですよ、ここ。屋根は穴だらけで屋根裏はネズミの巣窟。」
「ネズミねぇ。」
「ドアも配線も全部かじっちゃうんで電気がつかないんです。まずネズミを追い出さないと。」

だからこの教会、真っ暗でボロボロなのね。ネズミ恐るべし。一人で納得していると、信乃が隣ででも、と口を開いた。

「ゴキブリに比べればネズミなんて可愛いもんじゃねーか。殺すなよ。」
「ここのシスターは夜中、寝ている間に足の指を囓られたそうです。朝起きてみるとベッドの上は血だらけで…」

荘介がそう話すと、先程までけろっとしていた信乃は顔を青くして荘介に抱きついた。信乃に握られていたわたしの手にもさらに力が入る…さっきまでの格好いい信乃はどこ行っちゃったのかな。
信乃を見て思わず笑みをこぼすわたしに対し、荘介は呆れたように信乃を見つめながら頭に手を置いた。

「子供を預かることも多いので困りますよね…ああ、もうこんな時間ですか。残りはまた明日ですね。」
「明日、も?」
「はい。里見さんもですが、ここのシスター達も人づかいが荒くて……信乃?」

いつの間にか黙ってしまった信乃に、わたし達はどうかしたのかと顔を覗き込む。荘介は信乃がネズミが怖くて黙ってしまったと思ったのか、大丈夫ですよ、と優しい言葉をかけて信乃をなだめた……やっぱり、荘介は優しい。こんな優しい荘介の魂が半分欠けている、なんて。魂、人の根源。つまりは"こころ"でしょう?荘介はこんなに、こんなに。
わたしも信乃が考えていることがわかってしまって、口を閉ざした。そんなわたし達を荘介が心配そうに見つめる。

「…今日、見た。」
「見た…って何を?」
「……毛野が、ずっと探してたヤツ。」

信乃の言葉に荘介は言葉をなくした。
毛野さんがずっと探していた人物。荘介と、そっくりなひと。自分と似ている人がいるなんて話、とても現実味がないと、思う。
本当ですか、と言うように荘介からわたしへ向けられた視線に、わたしは小さく頷いた。

「そんなに俺とよく似ていました?」
「…判んね。よく顔見なかったし。」

強がりで、嘘が下手な信乃…昔から変わらない。信乃になまえは昔なら変わっていない、とよく言われるけれど、信乃だって変わっていない所がいっぱいあると思う。

やっぱり、なまえは全然変わってない、な。

…なんだか嫌なものまで思い出しちゃった、なあ。
荘介は俯く信乃の頭を撫でた後、そうですか、と頷いて話を切り替えた。そんな荘介に信乃も顔を上げる。

「それで、毛野さんは?」
「追いかけてったけど、逃げられたみたいだな。」
「どの道街中で仇討ちでもないでしょうからね。」
「やりかねない勢いだった。」
「あ、あはは…まあ毛野さん、ちょっと行き当たりばったりのところあるもんね。」
「…あれがちょっとか?」

予想外の言葉だったのか、荘介は笑顔のまま固まってしまう。もし、毛野さんがあの大通りであの人を切ってしまっていたら、わたし達も巻き込まれてしまったかもしれない…そう考えるとあの人、逃げてくれてよかった、かも。
三人でそんな会話をしていると、荘介はふとなにかを思い出したように奥の部屋の入り口を見つめた。

「信乃、なまえ、先に出て行ってもらえますか?俺はシスターに挨拶してから行きますので。」
「シスター?」
「え、何で?俺達も…」
「会うのに覚悟が必要なお二方なので。」

ちょっぴり苦笑を浮かべながらそう言った荘介に、信乃とわたしはなんでだろう、と顔を見合わせた。教会のシスターに会うのに覚悟、なんて必要なの、かな。
とりあえず荘介の言うとおり信乃と二人で外に出ようとすると、わたし達の前に黄色い明かりがすっと灯った…あ、れ?
少し下に視線を向けると、そこにはこちらを見つめているふたり、の老婆。
驚いて荘介の後ろに隠れるわたし。信乃は顔を青くして村雨を抜こうとしている……けれど、よく見るとその二人はシスターの恰好をしていて。
荘介ははあ、とひとつ溜息をついた。
会うのに覚悟が必要、ってこういうこと、だったのね。


うつつの檻
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