翌日。いつもどおりの信乃、荘介、わたしの三人は珍しく朝から旧市街を訪れていた。というのも、今日荘介は夕方から仕事らしく、仕事をする教会の場所を確認しておきたいと言ったからだ…まあ結局、信乃とわたしはそんな荘介の付き添いなのだけれども。
そういえば少し前にも朝の旧市街を歩いたけれど、わたしは人混みより人があまりいない、空いている旧市街の方がなんだか好きかもしれない。朝歩くことが少ないから新鮮に感じるだけかもしれない、けど。
そんなことを考えながら少し前を歩く荘介と信乃に着いて歩いていると、いつの間にか周りは人気のない、古びた街並みになっていた。そんな場所にぽつんと建つ、小さくて古ぼけた教会…なんだか旧市街の賑わった場所にある教会とは雰囲気が全然違う、なあ。どうやらそんな不思議な雰囲気を出しているこの教会が今日の荘介の仕事場らしい。

「ここって旧市街だよな?こんなトコに教会あったっけ?」
「わたしも、初めて見た…」

帝都に来て一ヶ月過ぎ。なんだかんだで信乃に連れられたり、事件に巻き込まれたりで旧市街は通ることが多かったけれど、こんな裏通りに来るのは初めてだ。

「二人とも…一応帝都内には本部を除いた十二の教会支部があるんですよ。」
「へー」
「そういえばそうだっけ…」

森の教会にいた時に先生が教えてくれたような気がするけれど、教会の数、なんて数えたこともなかったなあ。きょろきょろと見慣れない景色を見回すわたし達に荘介が言葉を続ける。

「まあ、ここは旧市街と言っても外れですし、すぐそこは花街ですしね。」
「花街…だから周り、閉まってるお店ばかりなんだ。」
「そうですね。花街が賑わうのは日が暮れてからですから。」

わたしと荘介の会話を聞きながら、信乃はカガイ?と首を傾げた。そんな信乃に、荘介が花街色街のことだと答える。

「親に売られて望まない仕事をしている女子供もいるんです。あまりの過酷さと借金の多さに逃げ出す者も多いと聞きますし。」
「かといって、このボロ教会が借金を肩代わりしてくれるとは思わねぇけどな。」
「そうだ、ね…結局、自分が頑張らなくっちゃ、なにも変わらないもの。」

神様は話は聞いてくれても、一人一人の願いを叶えてくれるわけではない、から。そんな現実的なことを思いながら小さな教会を見上げていると、荘介がそういえば、と言って口を開いた。

「信乃、昨日はどなたと話していたんですか?」
「見てたのか…?」
「退屈そうだったので。」
「…?」

"どなた"って、誰だろう。二人の話に首を傾げていると、荘介が昨日わたし達が仕事をしていた時、信乃が若い女性と話していた、ということを教えてくれた…わたし立っていただけだったのに、全然気がつかなかった、なあ。

「どんな人、なの?」
「金色の目のキレーな姉ちゃんだった。」
「金色…」

帝都でも金色の瞳なんて珍しい…外国の方なのだろう、か。でも儀式を受けに教会に来ていたのなら、金色の瞳の人なんてすぐわかりそう、だけれど。不思議に思っていると、わたしの思考回路を読むように荘介が金色の瞳の女性は昨日、結局儀式を受けないで帰ってしまった、と話す。

「せっかく来たのにどうしてなにもしないで帰っちゃったん、だろう…
「家族に病人でもいらっしゃるんでしょうか?」
「さー?」

信乃はわたし達にそう返事を返すと、なにかを考え込むようにわたし達の先を歩き始めた。そんな信乃にわたしと荘介で顔を見合わせる…信乃、どうしたんだろう。
それにしても"金色の瞳"の女性かあ。わたしも会ってみたいかも、なんて。

***

朝の散歩から再び古那屋へと戻ったわたし達は、今度は九重さんに用があるという信乃に着いて古那屋の離れへとやって来ていた。夏の花々に囲まれた離れへ着いたわたし達を出迎えてくれたのは信乃が用が探していた人物、九重さん。九重さんはいつものように一人、優雅にお茶の時間を楽しんでいる。

「あら、旦開野なら出かけたわよ。」

九重さんの言葉で思い出すのは、昨晩の
、いつもと様子が違った毛野さん。昨晩の様子からして、彼が言っていた例の"荘介とそっくりな男"を探しに行ったのだろうか。信乃は九重さんに用があるのはアンタだ、と答えると、そのまま椅子に座る九重さんに近づく。そして、そのまま信乃が手を伸ばしたのは九重さんの"左胸"。信乃の突然の行動に荘介とわたしはただただ、驚くしかない。

「し、しししし信乃…!?」
「信乃!セクハラですっ!!」
「……… 」

声をあげるわたし達とは反対に黙っている信乃は、九重さんの左胸に手を当てたまま目を見開いた。

「やっぱり、音がしない。でも、あの鼓動は……」
「鼓動…?」

信乃の言葉に一度冷静になってみると、昨晩信乃が毛野さんに尋ねていたことと、先程信乃が九重さんに尋ねたことが重なる。そして、それとともに思い出した、この間女学校で聞いた歌。

アナタのなかに かのじょがひとつ
コトコト動く だいじなかのじょ
たりないアナタに かのじょがくれた
そして かのじょは
戻れない


「当たり前よ。あの子の中にあるのは私の心臓ですもの。」
「…九重……いや。夜叉姫、アンタは…」
「やしゃ、ひめ…」

ぽかんとしているわたしに九重さんはくすりと笑みをこぼしながら口を開いた。
初めて会った時から違和感を感じてはいたけれど。まさか九重さんが"夜叉姫"だったなんて…それにまさか"夜叉姫"が喰らう、筈の人間に心臓を与える、なんて。

昔々、山の奥深くの城に美しい姫が一人。
愛しい男から裏切られたせいなのか。
我が子を自ら殺してしまったせいなのか。
姫は城内の全ての人間を殺めてその臓腑を喰らった。
そうして生きながら鬼となった。
城の人間達は亡霊となり、また新たな人間を引き込んで繰り返す。
何年も、何百年も。

「拾ったの。とても綺麗な人の子。」

夜叉姫は、口元に笑みを浮かべながら過去の出来事を思い返すように言葉を紡いだ。わたし達はそんな彼女の話を静かに聞く。

「妾はいつも喰らってしまうから姿形など気にしたことはなかったけれど、その子ら喰らおうにも心の臓がすでになかったから。」

美しい人の子
お前が生きたいと そう望むなら
おまえに足りないモノをくれてやろう

***

「ね、ねえ信乃…」
「…なに?」
「ここ、どこ…?」
「……」

わたしの問いかけに周りをきょろきょろと見回しながら、口を閉ざしてしまった信乃。ということはつまり、信乃も今わたし達二人がいる場所がどこなのか知らない、ということなわけで。とりあえずは信乃の勘、で手を引かれているけれど…今いる場所よりも意味がわからない場所に迷ってしまったらどうしよう。

「え、えと…どうしよっ、か。荘介は今仕事中、だもんね。」
「いざとなったら村雨がいるから、帰れないことは…ない。」

わたし達がこんな見慣れない場所に迷い込んでしまった原因は、仕事の荘介を送るために、朝も通った旧市街の裏通りを使ったため、だ。行きは荘介がいたから大丈夫だったけれど、荘介がいなくなった帰りは…朝も歩いたような道もあるけれど裏通りは道が入り組んでいるため、すっかり迷ってしまったのだ。

「こんなことなら、荘のこと待ってればよかった…腹減ったし。」
「…お腹減ったから旧市街にたい焼きでも買いに行きたい、って言ったの、信乃でしょ?」
「余計なことは思い出さなくていーんだよ!」

ふい、と顔を背けた信乃の耳はちょっぴり赤くて、思わず笑みがこぼれる。いつもどおり信乃に笑うな、と声を張られたけれど…だって、信乃ったら本当に可愛いんだもの。
そんなやり取りをしている間にも、わたし達は裏通りの更に入り組んでいる場所に迷い込んでしまったようだ。あまりに曲がり角が多くて、わたしの手を引いて歩いていた信乃の足も止まる…どうし、よう。なんだか本格的に大変なことになってきているような気がする。それに歩けば歩くほど表通りから離れて行っている、ような。
迷路のような道を見つめながら途方に暮れていると、そんなわたし達を聞き慣れた声が呼び止めた。

「信乃?なまえ?」
「…現八?」

呼ばれた声に振り向くと、そこには憲兵服を着て馬に乗った現八さん。見慣れないものばかりの場所でやっと見慣れた人に会って、ほっと一安心。

「こんにちは、えと…お仕事中、ですか?」
「ああ。二人はこんな所でなにしてるんだ?ここは花街も近いし、二人が来るような場所じゃ…まさか、迷子か?」
「……」

現八さんの言葉に、わたし達は思わず言葉に詰まってしまった…やっぱり、こんな場所で正直に"迷子"って言うのもなんだか恥ずかしい。そんなわたし達の沈黙を肯定ととったのか、現八さんはそうかそうかと頷く。なんだか現八さんが嬉しそうに見えるのは気のせい、だろうか。

「なら、俺が表まで案内してやろう。」
「い、いいんですか…?」
「もちろん。お代は後でもらうから、心配しなくていいぞ。」

微笑みながらそんなことを言った現八さんに思わず苦笑をこぼしてしまったのは、仕方ないと、思う。信乃なんてはあ?とあからさまに顔を歪めている…お代、とかはよくわからないけれど、まあここで迷って帰れないよりは、いいか。
そんなこんなで、わたし達は現八さんに表通りまで道案内をしてもらうことになったのだった。

***

現八さんに案内されてしばらく歩いていると、やっと見慣れた表通りが見えてきた。見慣れた景色にほっと一息ついた瞬間、わたし達の隣を足早に色素の薄い髪が流れる。そんな彼、に馬に乗る現八さんが声をかけた。

「相変わらず人探しか?旦開野。」

現八さんの声に毛野さんははっとして振り返る。現八さんが声をかけるまで、わたし達の存在に気がつかなかったようだ…急いで、たのかな。

「この間から一体誰を探している?」
「犬飼現八。別にお前には関係な…ん?」

現八さんに不機嫌な鋭い眼光を向けながら答えた毛野さんはふと、視線を馬の後ろに向けた。現八さんの後ろに乗りながら、思い切り毛野さんの方から顔を背けている信乃だけれど、正体はばればれ、みたいだ。

「…信乃、あとなまえもいるのか。お前ら、こんなトコで一体何してんだ?」

馬の後ろに隠れていたわたしの方にも毛野さんの視線が突き刺さって、その視線に耐えきれず、わたしは馬の後ろから少し顔を出す。今、こうしている原因が"迷子"なんて情けない理由のため、どうしようもなく信乃と顔を見合わせた。そんなわたし達の代わりに現八さんが口を開く。

「裏通りで拾った。迷子でな。」
「荘介はどうした?」
「夕方から教会の手伝いらしくてな。案の定、荘介がいなくなると途端に迷子だ。」
「なまえがかなりの方向音痴だってことは知っていたが…信乃もなんだな。」
「どーせ…」
「う…」

返す言葉がないわたし達は、言葉を詰まらせることしかできない。
その時、信乃の肩に止まっていた村雨がぴくりとなにかに気がついたように一点を見つめた。

「村雨?どうした?」
「影がいる。」
「…影?」
「か、げ…」

"影がいる"
ついこの間にも村雨といた時、村雨がそう呟いたことがあった。確かあの時はあの、後。ぱっと浮かんだのは荘介によく似た声。

…俺は大丈夫。あんた、は?

そう。ぼうっとしてるみたいだったけど、転ばないように気をつけろよ。


村雨の視線を辿ってわたし達も視線の先へ目を向けた時、まるで時が止まってしまったかのように不自然にわたし達の視界を深緑色が埋めた。
その後、色が晴れた先に見えたものにわたしは達は皆言葉を失う。
そこにいたのは黒髪で左目に眼帯を着けた……荘介そっくり、いや、まるで荘介の顔をそのまま写し取ったかのような青年。
彼の姿を見て言葉を失っているわたし達に、彼はにやりと笑って左目の眼帯に手をかけながら口を開く。

「…髪、切ったんだな。信乃。綺麗だったのに。」

わたし達が知らない彼の口から出てきたのは、知らないはずの信乃の過去の姿と、名前。弧を描く唇がなんだか怖く感じた。思わずぎゅっと自分の腕に縋ると、それを見た彼が口を開いてわたしを呼んだ。

「なまえ。
やっぱり、なまえは全然変わってない、な。」

わたし達を映す彼の双眼。
眼帯に隠していた金色の左目は、まるで燃えているようだった。


口紅に彩られた反論
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