お世話になってばかりでは申し訳ないので、小文吾さんが作ってくれた朝御飯の食器の片付けを手伝っていたら、いつの間にか日がすっかり空のてっぺんまで登っていた。あまりにからっと晴れている天気は、旧市街で青蘭の手下達が信乃とわたしを探している、ということまで忘れそうになる…実際は、忘れることなんてできないけれども。
なんだか昼寝日和だなあなんて思っていると自然とこぼれる欠伸。実際荘介は身体を休めるために縁側で眠っている。

「もう乾いたかな…」

縁側に干していた信乃とわたしの服に触れてみると、昨日は濡れていた服はすっかり乾いていた。信乃のTシャツとズボンは昨晩の内にすぐ乾いたけれど、わたしの服はなかなか乾かず、結局小文吾さんに借してもらうことになってしまったのだ。お借りした白地に紫陽花が散りばめられている着物は着るのがもったいなくなるほど、綺麗なものである。
昨日も今日の朝も荘介のことで頭がいっぱいで気にしていなかったけれど、そういえば、わたしが着物を着るのはとても久しぶりだ。着物というとやっぱり五年前の信乃のイメージが強くあって、わたしはあまり着ようと思わないのだ。たしかわたしが最後に着物を着たのは五年前よりも前だったような気も、する…それにしても五年前の信乃の着物姿は長い黒髪に着物が合っていてとても綺麗、だったなあ…今も信乃は美人さんだけれども。
そんなことを思い出しながら乾いた服をたたんでいると、隣から聞こえてきた足音。足音の方に目を向けるとそこには荘介が眠るまで四白の姿の荘介を弄っていた現八さんの姿が。

「…あ、現八さん。」
「ん?ああ、お前か。」

欠伸をしながら気怠そうに歩いていた現八さんはやることがなくて暇なんだ、と呟きながら縁側に座った。そういえば現八さんって憲兵さんらしいから、いつもならこの時間は仕事中だものね。
現八さんが近くに座ったはいいもののわたし達の間に会話はなく、聞こえるのはわたしが服をたたむ音だけ。
どうし、よう。こういう時って、なにか話をした方がいいのかな。頭でそんなことを考えるけれど、それは頭だけでわたしの口は開かない。
そんなことをしているうちに二人分の服をたたみ終わってしまって、その場になにも響く音がなくなる。思わずくしゃり、と着物の裾を掴んだ時、今まで黙っていた現八さんが口を開いた。

「朝から気になっていたんだが。」
「は、はい、なんでしょう…?」
「お前が着てる着物、この家にあったものか?」
「はい…昨日濡れた服が乾かなくて。小文吾さんが貸してくださったんです。」

わたしの言葉に、現八さんはわたしの着ている着物を見つめる…まさか、現八さんに着物のことを指摘されるなんて思っていなかった。現八さんは着物を見つめた後ぼそり、と小さくなにかを呟く…"沼蘭"と。
沼蘭、ぬい。どこかで聞いたことのある名前。記憶を辿っていくと、それはとても近い場所にあった。昨晩…そう、沼蘭、という名前は、鬼の姿の現八さんが切なげな声で呟いていた名前。

「もし…もしも、自分にとってとても大切な誰かが、突然いなくなっていたらどうする?」

わたしにそう問いかけた現八さんの横顔はとても悲しげで、苦しそうで。思わず、目を伏せたくなる。
もし、大切な誰かが突然いなくなっていた、ら…そんな、の。

「わたし、だったら、会いに行きます……それがどんなに遠い場所でも。」
「"遠い場所"か。それは、この世ではないところも含めるのか?」
「…ひとりぼっちは怖い、から。」

"ひとり"はとても怖くて、つめたくて、とてもとても、辛いもの。
臆病者のわたしは一人で生きていくなんてできない、から。
ただひとり、つめたい場所に取り残されるくらいなら、大切な人がいるあたたかい場所へ行った方が絶対にいいもの。
わたしの答えに現八さんはそうか、と苦笑をこぼす。

「…じゃあ、その"遠い場所"に行きたくても、自分がそこへどうしても行けない場合は、どうすればいいと思う?」
「どうしても、行けない…?」
「ああ。」

現八さんは足下に転がっていた先端が尖った石を拾うと、その手のひらを石で傷つけた。

「…!現八さん…!」

わたしの声も意味なく、現八さんの手のひらにできた一本の赤い傷。その傷から血が流れてぽたりと地面に落ちる…その時、現八さんの手のひらの切れた皮膚が音もなく何事もなかったかのように繋がった。

「深く深く刃を突き立てても、どんなに血が流れても、生命の主である心臓に刃が刺さっても…それでも、"逝けない"場合は、どうすればいいんだろうな。」

塞がる傷口、死なない身体。普通だったら有り得ないこと。わたし、これと同じような話を知ってる。
そのまま立ち上がって、わたしの後ろを通り過ぎていった現八さんの後ろ姿を、わたしは黙って見つめることしかできなかった。

***

「お、なまえこんなところでなにしてんだ?」
「…小文吾さん。」

現八さんが去った後の縁側で一人座っていると、そんなわたしに後ろから小文吾さんが声をかけた。先程の現八さんの後ろ姿が頭に強く残っているわたしはせっかく小文吾さんが話かけてくれているのに、いつもに増して気のきいた言葉を返せない。小文吾さんの後ろにはお皿に入ったさくらんぼを摘んでいる信乃の姿もあり、信乃はわたしの隣に座るとお皿の中のさくらんぼを一つわたしに差し出した。

「なまえも食うか?小文吾にもらったんだ。」
「…いいの?」
「ああ、うまいから食えよ。」
「ありがとう。」

信乃からさくらんぼを受け取り、小文吾さんにいただきます、と一声かけて口に含む…あまい。朝御飯といいさくらんぼといい、なんだか小文吾さんからは、いろいろお世話になりっぱなしだ。
うまいか、とわたしの顔を覗き込んで尋ねる信乃にこくり、と頷くと、信乃はだろ?と得意気に微笑む…信乃、わたしを心配してくれているんだろうな。ありがとう、という意味をこめてわたしから信乃の頭を撫でてみると、信乃は照れくさそうにそっぽを向く…可愛いなあ。

「…もしかして、現八からなんか言われた?」
「……え?…はい。」

はっ、としたように言った小文吾さん。なんでわかるの、と驚いているわたしに、小文吾さんはあははと苦笑をこぼす。

「やっぱり。着物のこととか言われたか?」
「は、はい…」
「やっぱりか。」

小文吾さんはわたしの隣に胡座をかくと、顎に手を当てながら溜め息をつく。そんな小文吾さんにどうしたんだろうと信乃と二人で顔を見合わせていると、彼はわたしが着ている着物を見つめながら言った。

「それ、俺の三つ年上の姉貴の着物、だったんだ。」

白地の布に紫陽花が散りばめられているこの着物。紫陽花は夏に咲く花なので、季節的には今ちょうどぴったりである。"三つ年上の姉"その言葉で思い出したのは、先程も現八さんが呟いていた、"沼蘭"という名前。

「姉貴は現八と同い年で、親同士が仲良くてな。子供の頃から三人一緒で遊んでたな。俺ら、兄弟みたいに育ったんだ。」

兄弟みたいに育った、その言葉がわたし達と重なる。わたし達、信乃と荘介と浜路とわたし、もそんな風に育った。幼い頃からずうっと一緒に。

「だから、現八とうちの姉貴がそういう流れになるのは自然だった。皆反対する奴なんかいなかった…だけどなあ、北から引き上げてきたら姉貴は死んでて、さ。」

わたしの頭に"沼蘭"と呼ぶ現八さんの切ない声や、切なそうな横顔が浮かぶ。
現八さんの"大切な人"は幼い頃からずうっと一緒で、大切な恋人の沼蘭さん、だったのね。現八さんが"鬼"の姿になっても涙を流したのは、心に彼女の存在があったからなのかもしれない。

「俺も女将から聞いたんだけど、今なまえが着てる紫陽花の着物は、姉貴が俺達が北に行ってから、買ったもの、らしい…一回も着てなかったみたいだけどな。兄貴にはこの着物のことは言ってなかったんだけど…やっぱり気づいたんだ、あいつ。」
「ごめん、なさい。わたし、そんな大切なもの…」
「いや、なまえは気にすんなよ…そんなに綺麗なのに、しまっとくだけなんて、勿体ないしな。」

買って、一度も袖を通していなかった紫陽花の着物。この着物を購入した彼女は、どんな気持ちでこの着物を買ったのだろう。

「姉貴が死んだのを知った現八は半狂乱でな。手がつけられなくて…」
「…恋人が死んだら、誰でもそうだろう?」
「…うん、そうだな。そうだ。
だけど、あの兄貴が…って思うと情けなくて。弟の俺だって辛いのに…って思うと、な。」

信乃の言葉に、小文吾さんは自分に言い聞かせるように頷く。けれどわたしも、大切な人達、大事な大事なわたしの幼なじみ達を亡くしてしまったら、きっと、平常ではいられなくなると思う。
昨日の荘介のことも、そう。荘介はあれくらいの傷では死なない、それは十分わかっている…けれど、それでも怖いことに変わりはない、のだ。

「現八の…犬飼の親父殿が急死して、二重に衝撃だったんだと思う。目を離した隙にアイツ…自分の首を刃物で掻き切ってた。」

"けど、死ななかった。"
小文吾さんの言葉に、先程わたしの目の前で起こった光景を思い出す。
確かに、ぱっくりと開いていた傷口。けれどそれは次の瞬間、瞬く間に塞がった。

「その後、現八は何度も死のうとした。そのうち何かがおかしいと感じ始めた。」

血は流れ、傷は確かに心の臓まで達しても、その鼓動は止まることなく。
それどころか、傷はすぐさま塞がった。
次の日には、かすかな傷跡すら消えた。

"深く深く刃を突き立てても、どんなに血が流れても、生命の主である心臓に刃が刺さっても…それでも、"逝けない"場合は、どうすればいいんだろうな"

どこかで聞いたことのある話。
"死ねない身体"そう。この話は紛れもなく、信乃と荘介と一緒、だ。

***

青蘭率いる坊主達がわたし達のことを探し回っているため、結局昨日も小文吾さんにお世話になったわたし達。旧市街の外れにあるらしいこの場所はとても静かで、過ごしやすい。

「う、ん…ねむ…」

身支度を整えながら、ひとつ、欠伸をこぼす。
わたしが目覚めた時には、もう荘介の姿はなく、部屋には八房を枕にして眠っている信乃の姿だけがあった。信乃に下敷きにされている八房はなんだか機嫌が悪そう。八房におはよう、と声をかけると、彼はまるでそれに答えるように身じろぎした。

「信乃、ぐっすりみたいね。」

頭を撫でると、すり寄ってくる八房。それが可愛くてしばらくそうしていると、八房はなにかに気がついたように閉じていた目をぱちり、と開けた。八房は自分を枕にしていた信乃を遠慮なく踏みつけると、そのまま外に出て行ってしまう。なにかいるのかなと思い、部屋を抜けて縁側に出てみると、家の前に大きな黒い車が止まっているのが見えた…高そうな車だな、あ。そして、そんな車の前には一人の少女が立っていた。ふわふわの赤毛に黒いワンピース…あ、れ。

「は、は…浜路!?」
「なまえ!!やっぱりここだったのね!」

浜路はわたしに気がつくと、こちらに駆けけてくる。浜路の隣には浜路を守るように、狐が寄り添っていた。多分、尾崎の狐だろう。
けれど、今のわたしはそんなことを気にしている場合ではない。目線を下に向けて言い訳を考えているわたしに突き刺さる、浜路の鋭い視線。

「なまえがいるってことは、信乃と荘介も一緒ね?」
「う、う…」
「そうなのね、なまえ?」
「…ハイ。」

凄まじいオーラを出しながら言う浜路に、わたしは頷くしかなかった…信乃、荘介、ごめんね。けど、この浜路に逆らえる人、いないと、思う。
わたしの答えに満足した様子の浜路は、すっと息を吸うと、大きな声で屋敷に向かって叫んだ。

「信乃!!荘介!!見つけたわよっ!!
無断外泊なんていい度胸ねっ!とっとと出てきなさい!!」

そんな浜路の声が響き渡った瞬間、屋敷の中からはがらがら、がしゃん、と凄まじい音が聞こえてきた。きっと、さっきまで気持ちよさそうに眠っていた信乃も目が覚めたこと、だろう…流石、浜路。
わたしも部屋見てくる、と行ってひとまず退散して部屋に戻ると、そこにはいつもの数倍のスピードで身支度をしている信乃。そして、借りた服やなにやらを纏めている荘介の姿が。

「あ!なまえ!!お前も早く行くぞ!」
「う、うん…浜路、凄い空気出してお屋敷の前にいる…」
「やっぱり、二日も黙って外泊は不味かったですね。」

こくこくと頷きながら、まだわたしが着てから洗っていない借りた着物を片手に持つ。そして、三人で押されるように玄関へと向かう。ちょうど玄関には小文吾さんの姿があり、小文吾さんはそんなわたし達を何事、とも言いたげに見つめている。

「すいません、迎えが来てしまったのですぐ戻らないと…お借りした服は後日返しに来ますので!」
「色々ありがとうございました…!」
「世話になったな。じゃ!!」

小文吾さんに歩きながらお礼を言って、慌ただしく靴を履き、屋敷を出る。わたし達三人の目に最初に飛び込んできたのは、腕を組んで仁王立ちしている浜路の姿。

「三人共、アタシに隠れて何をコソコソとやっているのかしら?」
「…ハイ。」
「大体ね、アンタ達!!
この浜路に何も言わずに済まそうとしているねが気に入らないのよ!!」

びしっ、と指を指しながら言った浜路に、わたし達はすいません、と謝る…年齢的に言ったら、本当は立場逆、だよね。人間の姿になった狐さんが運転する車に乗り込んで、四家の屋敷まで車を走らせてからも続く浜路のお説教。
浜路のお説教といい、荘介のお説教といい、この威圧感はなん…なの。

「無断外泊の原因は二人ですよ。
なまえは鬼に誘拐されて、信乃はその鬼と鬼ごっこしてて遅くなってしまったんです。」
「う…」
「あ、テメ…汚ね!!お前も一緒に行っただろうが!!」

わたしと信乃に指をさす荘介。そして、そんな荘介を睨む信乃。間で縮こまるわたし。そんなわたし達に浜路がぱちん、と手を叩く。そして、凄まじい浜路の視線がわたしに移った。

「ねえなまえ、誘拐ってどういうこと?」
「う…それ、は…!で、でもわたし、大丈夫だったよ…?それに、誘拐って言っても鬼だし。」
「なまえ…?」
「わ、わ…ごめんなさいー!!」

そんなわたしを見て、最初は自分じゃなくてよかった、と安心しきった顔をしていた信乃と荘介。けれど、それから二人も巻き込んでのお説教が始まり、わたし達が四家の屋敷に着いた時、すっきりしたような浜路に対し、わたし達三人はくたくただった。浜路、恐るべし。

***

浜路のお迎えで、朝早く四家の屋敷に戻って来たわたし達は、一日浜路からの視線にびくびくしながら過ごした。
あの車の中のようなお説教は、もう勘弁、です。

「全く何なのよ!?アンタ達!!」

…勘弁、なのだけれど、も。

「突然いなくなるわ、帰ってこないわ。心配して損したわ。」
「すみません。」
「ご、ごめんなさい。」

信乃がお風呂に入っている間、夕食の片付けをしていた荘介とわたしの隣で、ふん、と言いながらまたお説教を始めた浜路。けれど浜路も、なんだかんだでわたし達のことを心配しているから、こうやってたくさんお説教するのだろう。
そんな浜路は、なにやらまた不思議な匂いのするものを作っていた。わたし達と一緒に片付けをしていた可愛らしい姿の尾崎の五狐達は、いつのまにか姿を消している…この匂いのせい、かも。

「でも村の教会にいる時よりは、信乃ったら生き生きしてるわね。先生達には悪いけど、やっぱり帝都に出て来てよかったのかしら。」
「確かに…信乃、毎日楽しそうだよね。旧市街で食べ歩きしたり、美味しいもの食べたり…」
「あら。その言い方だと、まるで信乃、食べ物に飢えてるみたいじゃない。」
「まあ、それは間違ってないですね。」

帝都に来てからの信乃、と言われて真っ先に思い浮かぶのは、美味しいものをお腹いっぱい食べている様子…二日も、小文吾さんのところで美味しい食事を御馳走になったし、ね。

「少なくとも、帝都に来てからこちらは冷や冷やさせられることが多くなりましたが。信乃もですが、なまえにもね。」
「うぅ…わたしも?」
「はい。四家の屋敷で迷子になったり鬼に誘拐されたり、信乃と同じくらい冷や冷やさせられてますよ。」
「う…」

いい笑顔で言った荘介に、わたしは言葉に詰まる。確か、に、帝都に来てからも、荘介にも信乃にも浜路にも色々心配をかけているけれど、も。
そんなわたしに浜路はきょとんとした顔で、荘介はそれでいいのよ、と言う。

「…ハァ?」
「何をしでかすかわからない二人の面倒を見ることが荘介の仕事ですものね。昔から。」
「なにをしでかすかわからない……」

浜路の言葉がざくり、と胸に刺さる。
危なっかしい危なっかしい、と散々言われてきていたけれども、やっぱりこう言われてみるとざっくりくるもの、なのね。荘介は浜路の言葉に苦笑をこぼしながら、そうですねえ、と呟いた。
けれど…よく考えてみると信乃は無鉄砲だけれども、どこかしっかりしている。しかしそんな信乃と対し、わたしはただのしっかりしてない子…な気がする。
そんなわたしの考えていることがわかったのか浜路は、でも、と口を開く。

「なまえのちょっとドジなところ、わたし好きよ?こう、加護欲をそそられる…というか。」
「う…それ褒めてる?貶してる?」
「アラ、褒めてるわよ。なまえは可愛いって。」

うふふ、と笑いながらそんなことを言う浜路…絶対面白がってると、思う。
そんな話をしながらも浜路の手元でできていく不思議な匂いの物体達。お皿に盛りつけられたそれらに、荘介が鼻を手で押さえながら浜路に尋ねる。

「…浜路、さっきから何を作っているんです?すっごい匂いなんですが。」

荘介の問いかけに、浜路はああ、と手元に目を移しながら答えた。

「荘介がケガしたって信乃が言ってたから。ヤブガラシとドクダミとヒルガオをちょっと。」

浜路がよく使う薬草のことはよくわからないけれど、ちょっと…というには少し量が多いような気が、する。そんなことを考えながら料理を眺めていたわたしに、浜路が味見する?と尋ねてきた。うきうきとした様子の浜路に対し、隣の荘介は顔を引きつらせている。

「え、いいの?」
「思ってたよりも多くできたし、いいわよ。」
「ありがとう!じゃあ、いただきます。」

先程洗った箸でお皿によそってある料理を口に入れる。口の中で感じるのは、いつもの浜路の料理のような、言葉にできないような、不思議な味。

「不思議な味がする…」
「なまえ、正気ですか?」
「はい、荘介。」
「え。」

荘介の口に料理を持っていったけれど、荘介は顔を引きつらせながら首を横に振る。そんな荘介に、荘介の口元に近付けた箸を下げた…でもこれ、浜路が荘介に作ったもの、なのよね。
わたしにはよくわからないけれど、浜路が作ったものだから、この不思議な味のする料理はとても体にいいものなのだとは、思う。

「なまえの味覚音痴は絶対浜路の料理のせいですよね…」
「なによ荘介。ヤブガラシもドクダミもヒルガオも体にいいのよ。」

残さず食べてね、と、天使のような笑みで言った浜路。そんな浜路に、荘介は目の前に並べられた料理を無言で見つめる。

「…信乃、後で覚えておいて下さいよ。」

そうぼそりと呟いた荘介の顔は悪魔のようで、見ていたわたしも思わず身震いする…信乃、大丈夫かな…


欠落に身を任す
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