朝食を食べ終えたわたし達は、縁側に腰かけながら満腹になったお腹を休ませていた。開いた障子からは昨日わたし達を助けてくれた目玉の子が見えていて、やっぱり普通じゃないものばかりだなあ、なんて改めて感じる。わたしが呑気にそんなことを考えていた中、小文吾さんが口を開いた。

「三年前に北部の村で国境を越えて来た奴らが、村の人間を人質にとって立て籠もった事件があったろう?」
「そーなの?」
「…?」

そう尋ねた信乃と、信乃の言葉とともに首を傾げたわたし。そんなわたし達に、四白の姿の荘介がはあと溜め息をつく。

「信乃となまえは知らないかもしれませんね。何せ新聞も読まないんですから。」
「し、新聞…」

そういえば最近見てないなあ、なんて思いながら笑ってみたわたしに、じとりと荘介の視線が張り付く…本はわりと好きなんだけど、なあ。
そんなやりとりをしていたわたし達に前にいた小文吾さんが固まる。そんな彼に信乃があ、と荘介を見た。信乃の行動にわたしも小文吾さんが固まった意味を理解する。

「……俺、もう実はソイツが荘介なんだったりしちゃっても驚かないな!うん。」
「お世話になります、犬川です。」
「あ、あはは…」

そういえば四白が荘介、だってまだ言ってなかったなあ。そんなことを思いながらかちん、と固まってしまった小文吾さんの後ろ姿を見る。わたしも、初めて見た時は驚いたなあ…まあ驚かない人なんていない、よね。少しの間固まっていた小文吾さんは、いろんなことを忘れるように頭をぶんぶんと振ると、再び先程の話の続きを話出した。

「…そんで、まー士官学校出たての現八が北部の任務につくことになって、俺も一兵卒として志願して行ったワケだよ。」

小文吾さんの話では、当時の軍の方針は多少の犠牲が出ても問題は一気に片付けるという方針だったらしく、北部の任務もすぐに解決する筈だったらしい。けれど、ある問題が発生して任務は長期戦になってしまった。
なんでと尋ねた信乃に、代わって荘介が答える。

「人質の中には皇族の一人、斎姫がいたから。」
「皇族…」
「当時十三歳の斎姫は体が弱く、北部には療養に来ていました。護衛の目をくぐってその村へと来たのは、そこが一緒にいた乳母の出身地だったからです。」

皇族、といえばわたし達とは比べものにならないくらい偉い人である。偉い人のためだったら、他に大変なことがあっても国はそっちを優先するんだろうな、なんてどうしようもないことを頭の隅で考えながら、荘介の話に耳を傾ける。

「どうもその乳母とやらが賊と通じていたようで、彼女の実家は既になく、その十年程前に村から追い出された形になっていたようです。」

事件の細かいところまでよく知っている荘介に、小文吾さんは俺より詳しいじゃねえかと苦笑いをこぼす…物知りなところはさすが荘介としか言いようがない。

「とりあえず、まーそれで上は大モメ。三日で片付ける筈だったのに半年かかった。」
「半年も…ですか?」

尋ねると小文吾さんはああ、と呆れたような顔をしながら答える。
けれど時間というのよりも大変だったのは、準備の問題だったようだ。北へ向かったのは真夏。けれど北部で冬を迎え、真夏の準備で北部へ向かった兵士達は脱落者が即出したらしい。確かに北部の厳しい冬を真夏の準備で乗り越える、というのはかなり無謀な話だ。

「で、埒が明かねえってことで、兄貴と俺が偵察を兼ねて交渉に向かったんだけどよ…」
「で?」
「…村の人間の死体だらけだったんだ。」

小文吾さんの言葉にわたし達は目を見開く。斎姫を人質に立て籠もった賊も軍と同じく物資が無く村の人間から殺して奪うしかなかったそうだ。それで、軍と賊の交渉はさらにごしれることになってしまったらしい。国の許可なしの国境越えは死刑、あるいは死ぬまでの強制労働、という重い罰を化せられる、ようだ…この事件は飢えに苦しむ北の隣国の人達の苦しみが溜まって溜まって起こった事件なのだろう。

「そのうち鬼が出ると隊の中で噂になった。人を喰らう鬼が出る…と。」

鬼、引っかかる言葉に、わたし達は話に耳を傾ける。

「最初はこんな環境下での不安がそんな噂をたてさせているんだと思った。けど、少しずつ隊の人間が減っていくと、みんな本気で怯え始めた……鬼は、本当にいた。」

小文吾さんは瞳の奥でなにかを思い出すように、目を伏せる。そして手をぎゅっと握り締めながら言った。

「俺と現八は、あの時確かに"死んだ"んだ。」

どこかで、聞いたことのある話、だ。
わたし達が小文吾さんと現八さんの過去の話を聞いている中ふと、立ち上がった現八さんは目玉の子に餌付け、をしていた…この人、意外とお茶目な人だったり…するのかも、しれない。
わたしが目玉の子の食事をする時の豹変ぶりを見てしまって一人びくり、と肩を揺らしていると、信乃が村はどうなったんだと小文吾さんに話の続きを尋ねた。

「…お前らの後ろの犬神。」
「え?」
「犬神憑きの里見莉芳が突然現れて、一緒にして片を付けた。」
「里見さん、が…」

後ろの八房に視線を移すと、彼は太陽の日に照らされて気持ちよさそうに目を閉じている…そういえば信乃に聞いた話、五年前の大塚村の事件の時にわたし達を助けたのも里見さんだ。

「斎姫は無事に助け出された…っていうより、斎姫以外の人間は皆死んだけどな。」

普段はとても明るい小文吾さん。けれど、わたしが思っている以上いろいろなことをその背に背負っているのだと、改めて感じた。それにしても、里見さんが一人動くことで問題が解決するのなら、最初からそうすればよかったのに…信乃もわたしとおんなじことを思ったようで、小文吾さんに尋ねたけれど、彼は呆れたようにそりゃムリムリと即答した。

「教会なんてただでさえ目障りなのに、軍があいつらに頭なんか下げるもんか!でも、ま、結局皇族が泣きついて、里見サマが登場ってワケだな。」

教会って、やっぱり目障りなんだ、と一応自分も付けている胸元の十字架を見つめる。
確かに、この間里見さんも教会の爺どもは面倒くさいなんてこぼしていたし、堅い考えの人ばかりなんだろう。小文吾さんの話によると、教会はその事件のせいで軍どころか寺院とも溝が深まったらしい。

「今んとこ帝都内は、旧市街が寺院。新市街が教会の縄張りってことになってっから派手な諍いはねえけど、お前らみたいな教会の人間が旧市街ブラついてると危ねえぞ?」
「……」

わたし達、旧市街、散々十字架下げて歩いた、よね。教会の人間が周りから好かれていないことは理解しているけれど、まさか縄張りがどうまで決まっているなんて…帝都って複雑なことばかり。そんなことを考えながら黙っていたわたし達の隣でなにやら考えこんでいた荘介が突然口を開く。

「青蘭という僧をご存知ですか?」

荘介の言葉にかちん、と固まった小文吾さんと現八さん。二人は顔を見合わせた後、呆れたような視線をわたし達に向けてきた。

「……バッカ、お前ら…よりにもよってクソ面倒臭い奴に目をつけられやがって…」
「……な!!何だよ!!俺らのせいじゃねえもん!!」

信乃の言葉に、わたしもこくりと頷いた。けれどそういえばあの人、村雨がどうとか言っていたし…わたしの髪のことも気づいてたし……小文吾さんの言うとおり面倒な人、なんだろうなあ。
小文吾さんのお前らなにしたんだ…という視線からふん、と顔を背けた信乃。そんな態度に小文吾さんは青筋を立てながら床をばんばんと叩く。青蘭はわたしもしつこい坊主だとは思うけれど、小文吾さんがここまで言うのなら本当に呑気にしている場合ではないのかもしれない。
一方信乃は、小文吾さんの言葉に対し近付かなければいいんだろ、と反論する。

「…信乃、お前あいつがどんだけしつこいヤツか知らねえから…現八が何で笙月院にとっ捕まったんだと思ってんだよ?」
「気の毒だったな。」
「…オマエ……」

相変わらずの信乃を、小文吾さんは恨めしげに見つめる。小文吾さん曰く、現八さんが捕まったのは坊主さんの私怨のせいらしい。私怨で簡単に人を捕まえていいの…かな。

「俺、あのクソ坊主に怨まれる覚えはナイ!!」
「じゃ、何で坊主共が現八じゃなくてお前を探し回ってんだ!?」

小文吾さんの言葉にわたしと信乃と荘介の三人は、揃って視線を未だガツガツとご飯を食べている村雨に移す。目的、なんて言ったら妖刀、村雨…これしかないよね。
お行儀の悪い村雨に苦笑をこぼしていると、小文吾さんがあ、そうだ、となにかを思い出したように手を叩いた。

「信乃もだけど、あいつ"銀色の髪の女"も探してんだよ。それってなまえ、お前じゃないのか?」
「わ、わたし…!?」
「なまえもかよ!!」

突然話を振られてきょろきょろと周りを見回すと、お前お前、と目の前の小文吾さんに突っ込まれる。

「銀色なんて珍しい色の髪持ってるヤツなんて、ここらじゃお前くらいしかいないだろ?ったく…信乃に続いてなまえも!!」
「う、うーん…」

二人お揃いですねえ、と呑気に言う荘介…嬉しく、ない。
そんな会話をしていたわたし達の隣で、今まで口を閉ざしていた現八さんが口を開いた。

「おい、信乃とか言ったな。その坊主、蟲をはべらせていたヤツか?」
「ああ、うん。首長いのいっぱい。」

そういえば蟲…いっぱいいたなあ。トカゲのような蟲の気持ち悪い姿を思い出して、思わずぶるりと身体が震える。そんなわたしに対し現八さんは、信乃の答えに舌打ちをしながら顔を歪めた。

「やっぱり殺しそこねたか。アイツ、他の坊主を盾にして避けやがったからな。」
「他の人を盾、に…」
「まあ、外道なヤツだからな。」

そう言った現八さんの表情はとても冷たいものであった。確かにわたしも、あの人は外道、と言われても仕方のないことをしているとしていると、思う。

「青蘭というあの僧は、私怨があるのですか?」

荘介が先程話に出てきた私怨、について二人に尋ねる。そういえば、なぜあの人は、わざわざ現八さんを鬼だと言って捕まえたのだろう。荘介の問いに現八さんは大したことじゃない、と答えた。
小文吾さんの話によると、現八さんと青蘭は、あの人が母親と共に家から追い出されるまで、ずっと一緒の学校だったらしい。けれど青蘭は、犬飼家の養子で元々は捨て子だった現八さんが自分と同じところにいるのが気に入らず、目の敵にしていたのだとか。それも、青蘭が生家を追い出されるまでの話、らしいけれど。
そんな盛大な話をさらり、と言っている二人だけれども、この話、結構大変な話ではないだろうか。話の中心である現八さんは、四白の姿の荘介をじっと見つめ、どうやってしゃべってるんだ、と四白の口を手で開いている…なんだか、なあ。

「生家を追ん出された青蘭は、退学して仏門に入るしかなかった。その年の総代はあいつの代わりに兄貴だった。プライドの高いあの男がどんだけ怒り狂ったか…」

相変わらず荘介とじゃれている現八さんは、小文吾さんの言葉にそーだっけ?と首を傾げた。それにしても総代、だなんて。現八さんも…そしてあの青蘭も、とても優秀な人なのね。

「…アイツ、何であんなモノ飼ってんの?」

あんなモノ。モノとは、間違いなくあの不気味な蟲、のことだろう。
信乃の問いに、現八さんがさあな、となんともいえない表情を浮かべながら答えた。

「過ぎた欲を持つ男だが、それでもそれを生きる糧とする人間もいる。」

欲、人間なら誰しもが本能的に感じるもの。けれど、それは行き過ぎると違うものに変化する。
あの人が欲にまみれてまで欲するものはなんなのだろうか。


救いのために磨り減らすだろう
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