昼、わたし達が向かうことになったのは、浜路御希望の旧市街。この間信乃が迷子になった時も少しだけ歩いたけれど、やっぱり旧市街は古き良き魅力があって素敵な場所である。
そんな旧市街をのんびりと歩くわたし達だが、わたし達の前を歩く浜路と尾崎さんが放っている妙にきらきらしたオーラのせいか、必要以上に道行く人達の視線を浴びていた。尾崎さんは浜路を誘拐した本人だけれども、わたし達がいない間に浜路は彼とすっかり仲良くなったようだ……浜路って、やっぱりすごい。

「…あの尾崎の坊はお忍びで旧市街へ繰り出した筈じゃなかったのか…?」
「とんでもなく悪目立ちしてますねぇ、あの二人…」
「あ、あはは…」
「まあ、護衛はついているようですけどね。」

荘介が指さした先には、幼い子供の姿に変化して物影から尾崎さんを見守っている狐さん達。狐、といえば、彼らが森の教会にわたし達を迎えに来た時、色々とあったけれどこうやって見ると、彼らは主人のために動いていただけなんだなあと改めて感じる。それにしても、姿が変わるだけでこんなに可愛く見えるんだなあ。
そんな彼らの視線の先の二人は楽しげに店を回っている…こうやって見るといい感じに見えなくもない。

「意外な展開といえば意外ですね。
浜路は昔から信乃となまえにべったりでしたから。」
「でも、浜路…楽しそう。」
「…うーん。」

微笑ましい光景に頬を緩めるわたしに対し、信乃はそんな浜路を複雑そうな様子だ…これが兄離れ、いや。幼なじみ離れ、なんていうものなのだろうか。

「ま、学校に行くようになればまた違うのに出会うだろうし…」
「…今度浜路が通うようになるのは、男子禁制の女学校です。」
「へえ…女学校かあ…」
「…ヤベエ。」

なんだかんだでわたしは学校、というものに通ったことがない。理由は言うまでもなくわたしが持つこの"髪"のためなのだけれども。勉強は荘介や先生に教えてもらっていたからあまり問題はなかったけれど、学校、という未知のものには少しだけ興味があった…浜路が学校に通い始めたら、色々聞いてみよう。

「浜路は元々お嬢育ちだからなーまあ、本人がアレでいいならいいんだけど。」
「信乃もわりと箱入りでしたよ?」
「箱入りっていうならなまえだろ?俺は死にかかってただけだって。」
「わ、わたしも?」
「ああ。確かになまえも箱入りですねえ。」
「う…」

言い返せそうで言い返せないわたしに、荘介は信乃とお揃いですね、なんて言ってわたしをからかう。
箱入り娘、って世間知らずって意味だから、褒め言葉ではない筈である…けれど、引き籠もってはいないにせよ、学校も行かずに暮らしていたわたしは、確かに世間を知らないで育ったのだろう。

「それにしても信乃、死にかけってなんですか死にかけって。」
「本当のことだろ?」
「…でも、今はすごく元気でしょ?」
「まあな。」

昔は病気ばかりしていつ死んでしまうかわからない、なんて言われながら生活していた信乃。けれど五年前のあの日の出来事を境に、信乃は病気一つしなくなった。信乃の身体に宿る村雨のおかげで。

「信乃ー!なまえー!」

そんな会話を交わしながら歩いていたわたし達に、先を歩いていた浜路が両手になにかを持ちながらこちらへ駆けて来た。

「ハイ!アイス。」
「うおっ!」
「わっ…!」

そんな言葉とともに信乃とわたしの口に突然放り込まれた"アイス"
アイス、の筈なのだけれども、なんだかとっても不思議な味がする。

「美味しい?新商品"牛レバーアイス"だって!」
「牛レバー…」

わたしはなんとか食べられたけれど、そんなわたしの隣で信乃はふらふらと気絶しそうになっている。そういえば信乃、レバーすっごく嫌いなんだっけ。

「だ、大丈夫…信乃?」
「し、しぬ…」
「え!?ナニ!?なまえはなんともないのに!」
「みかくおんち…」

わたしそんなことを呟きながら倒れそうになっている信乃をわたしと荘介で支える。そんな信乃に思わず笑みをこぼしていると、笑うな、と弱い力でどつかれた。
いつもどおりのわいわいとしたやりとりをしていたわたし達…その時、どこからか、わたし達に対する強い視線を感じた。
つい先程までふらふらしていた信乃も視線に気がついたのか、一点を見つめている。信乃の視線の先にいるのはトカゲのような胴体に羽の生えた妙な生き物。そのぎょろりとした目は、こちらを睨んでいるようにも見えた。

***

「信乃、大丈夫?」
「…まあ、なんとか。」

先程勢いよく叩きつけられた額をさすりながら、信乃はその事故の原因となった人物をジト目で見つめている。その人物、とは、この間信乃が迷子になった時にご飯を食べさせてくれた方、またはご飯代を払ってくれた方である。小文吾さん、と言うらしい。
先程、信乃は憲兵さんと言い争いをしていた小文吾さんとぶつかって額を強くぶつけてしまった。信乃はなんとか大丈夫だったけれど、彼はぶつかったお詫びに…と言って"古那屋"という立派すぎる宿屋にわたし達を連れて来てくれたのである。
どうやらその古那屋は小文吾さんの母親が女将をやっているようだけれど、彼は古那屋に着くなり女将さんだと思われる女性に向かってなにやら慌てた様子で話をしている。肝心の女将さんは冷たくあしらっている、けれど。
わたし達をここまで連れて来てくれる時も小文吾さんはなにやら深刻な顔をしていたし、なにか、あったのだろうか。
古那屋の入り口でどうすることもできずに、わたしと信乃と荘介の三人で突っ立っていると、小文吾さんと話をしていた女将さんがわたし達に気づいてくれた。

「ん?あら、お客さんかい?」
「あ…いえ、俺らは…」
「ずいぶんな二枚目に可愛いお客様達だこと。」

小文吾さんと話をしている時とは正反対のにこやかな笑顔を見せる女将さん。
とても、綺麗な人。

「はじめまして。私は小文吾の母親で、この"古那屋"の女将の小夜子と申します。」
「犬川荘介に犬塚信乃、それから彼女はなまえといいます。」
「まあ偶然ね。私共の名字も犬田といって"犬"がつくんですよ。」

口に手を添えて、驚いたように言った女将さん。わたしには名字はないけれど、確かに"犬"とつく名字は珍しい。そんな、"犬"とつく名字を持っている人が、今ここに三人揃っているなんて、とてもすごいことな、気がする。
そんなことを考えていると、女将さんはわたしに視線を向けた。なんだろう、と思って少しばかり緊張していると、再びにっこりと細められた瞳。

「あなたの髪とっても綺麗ね、なまえさん。銀髪なんてなかなか見ないもの。」
「わ、あ…ありがとうございます。」

知らない人と話をするのは苦手だけれど、女将さんの笑みはとても綺麗で優しくて、なんだか安心感を覚える。
口元で自然と出てくる笑み。そんなわたしに信乃と荘介は良かったな、とも言うように微笑んでくれた。

「あら、信乃さん。あなた大丈夫?額に大きなタンコブこさえててよ?」
「あ!!女将!!」

ふと信乃のタンコブに気づいた女将さんに、小文吾さんは焦ったようにこちらに振り向く……確かに、信乃のタンコブが小文吾さんとぶつかったからできた、なんて言ったら、女将さん、すっごく怒りそうだものね。

「友達なんだ!悪ィけど、こいつらに夕飯出してもいいかな!?」
「構わないけど、給仕はアンタがしなさいよ?」

急な展開で話が読めないわたし達に、小文吾はこっちこっち、とわたし達を奥へ案内しようとする。女将さんの許可済み、とはいえ、そう簡単に夕飯なんていただいてしまってもいいのだろうか。

「とりあえず、信乃の額の傷の手当てをさせて頂ければすぐ帰りますので。」

荘介の言葉に小文吾さんは何言ってんだ、とわたし達を見つめる。その視線は明らかに信乃、そしてわたしにも注がれている…あ、れ?

「遠慮すんなよ。教会の子供共がなに食ってんのかなんて知らねえけど、どーせロクなモン食わせてもらってねえんだろ?なまえはモヤシみたいだし…」
「も、モ…モヤシ?」

モヤシ、って、あの、野菜のモヤシ…?
一人首を傾げていると、信乃が笑いを堪えるように手を押さえいるのが見えて、なんだかむっとした。荘介は顔には出ていないけれど、なんだか笑われているような気がする。

「それに信乃、お前いくつだよ?」
「え!?」

わたしを見て笑っていた信乃は、突然自分の歳を聞かれて顔を引きつらせながら、じゅう…と考えこむ。そんな信乃に荘介がしらっとした顔で十三歳ですと答えた……本当はわたしと同い年、だけどね。
十三歳という答えに、小文吾さんは驚いた顔をして信乃を穴があきそうなほど見つめる。そして可哀想、とも言いたげな目で信乃を見つめた。

「…お前やっぱ不憫だぞ信乃。口調の割には体が小せぇからまさかと思ったけどよ。」
「は?」
「荘介も大変だな。モヤシっ子はまだしも、こんな欠食児童の面倒みてたら食費がいくらあっても足んねえよな。」
「ハァ…」

今度はわたしがくす、と笑いをこぼすと、信乃に肘で軽くだけれど、どつかれた。そんなわたし達に再び小文吾さんと荘介の哀れみの視線が向けられたのは、言うまでもない。

***

小文吾さんに少しばかり勘違い…をされ、彼がわたし達に出してくれたのは大量のとても美味しそうな料理達。
肉に魚に野菜…など、色々な種類の料理達を前に、特に肉に飢えている信乃はとっても嬉しそうな顔で料理達をいただいていた…確かに今までの教会の料理は肉も量も少なかった、けれども。
荘介と信乃はまだ食事をしているけれど、わたしは一足先に席を立った。料理はとてもとても美味しかったけれど、なんだか胸騒ぎがするのだ。
"なにか"が、こちらに迫って、いるような。ふと思い出したのは、信乃が言っていた"妖を喰らう鬼"の話。
ちょうど真っ暗な空で鈍い光を放っていた丸い月が雲に隠れた、時。わたしの頭に響いてきたのは"なにか"の声。

"喰う、喰らいたい"

それと同時に、頭の中になにかの映像が映し出される。わたしの頭に映ったのは、幾千の蛍の光に包まれながらこちらを向いて笑っている、髪の長い女性。

"沼蘭"

ぬい、地の底から這うような声で、けれど、とても切なげに紡がれた一言。その一言から"なにか"は、まるで"人"と同じもののようにも感じた。
そう思った瞬間、突然ぐらりと視界が揺らぐ。

「…よんで、る。」

なにかに持っていかれそうになる意識。夜に灯る蛍のような明かりは、まるでわたしを導いているようで…頭が、ぼうっとする。
わたしはそんな明かりに導かれるまま、どこかに向かって歩き出していた。

***

「…なまえ、遅いな。」
「風に当たってくる、にしては長いですよね…」

信乃と荘介は先程席を立ってから、 一向に戻って来ないなまえに、心配そうに彼女が出て行った扉を見つめた。すっかり冷めてしまった料理は、彼女が出て行ってからの時間を表している。何事もなければいいのだが、今日の空気はいつもとは違って妙にざわついている。

「俺、ちょっと様子を見て…」
「…っ!!」

荘介が戻って来ないなまえの様子を見るために席を立とうとした時、それよりも前に信乃が顔を真っ青にして立ち上がった。そんな彼に荘介は体調が悪いのかと尋ねるが、信乃は早々と右手から村雨を出し、椅子に掛けていたコートを羽織る。

「何か、来る。」
「何かって…」
「知らねえよ!!とにかく、なまえ呼んでさっさとここを出るぞ!!」

戸惑う荘介を早く、と急かしながら、信乃はなまえが出て行った庭へと続く扉を乱暴に開ける…しかし、その先には街の点々とした明かりが見えるだけで、なまえの姿はない。信乃と荘介が周りを見回しながらなまえの名前を呼ぶが、彼女は姿を現さない。
普段なら、二人が名を呼べばすぐに現れるなまえ。何度も名を呼んで姿を現さないなんて、おかしい。それに、この時間でどこかに出かけるなら、なまえならば信乃と荘介に一言かけるはず。

「やられた、な。」
「…よくわからないですが、なまえの銀髪はまた面倒なものを惹きつけたようですね。」

彼女が持つ銀色の髪…それ、は、人ではないものを惹きつける。
信乃の"なにか来る"という言葉、消えたなまえ。それらの原因が同じ、であることは、信乃も荘介もなんとなく察していた。
顔を見合わせた二人。
先に駆け出した信乃に、荘介は四白の姿に変化し、その後を追いかけた。

***

庭を抜けて古那屋を抜けて、旧市街を足早に駆ける信乃と荘介。そんな彼らを道行く人々は何事かと振り返るが、二人にはそんなものを気にしている暇はない。荘介は夕飯を御馳走になった小文吾に礼を言えなかった、と呟いた。それに対し信乃はしょうがねえだろ、と言い返す。

「とにかく急がないと、俺らも…なまえも十中八九喰われる!!」
「喰われるって…もしかして、妖を喰らういう"鬼"ですか?」

"鬼"その単語に、信乃は真っ直ぐ前を見ていた視線を真っ黒い空に移す。
明かりが灯っている建物の上に、長い髪をなびかせながらゆらり、と佇むなにか。

「"妖を喰らう鬼"ねぇ…ま、それなら若くてピチピチの俺を狙うのも当たり前か。」

なにか、はきらきらと輝くものを抱えながらぎろりと信乃の方を睨む。そして、地の底から這うような声で"オマエを喰う"と言い放つ。そんななにか、に信乃も挑戦的に、睨み返した。

「とりあえず、お前が抱えてるの…返せ。」

月にかかっていた雲が流れ、月光がそのなにかの顔を照らす。月光に照らされて明らかになった、なにか、の姿。長くたなびく髪に角張った歯、耳。鋭い爪。
そんな"鬼"の片手に抱えられていたのは、先程消えてしまった、なまえだった。


熱の在り処を繋ぐ
prev next
back