外がすっかり夕焼け色に染まった頃、村へ食料調達に行っていた荘介が教会へと戻ってきた。遅くなってすいませんと謝罪しながら扉を開けた荘介の手には、大量の食料。山の奥にある教会では定期的に村に降りて食料調達をしなければ生活できないのだ。

「すごい量…重くなかった…?」
「ああなまえ、大丈夫でしたよ。」

机が心配して
窓の外を指さす荘介にわたしも窓へ視線を向けると、走って行く男の子の後ろ姿が見えた。

「おや、あれは萩原さんのところの健太くんですね。」
「ここまで荷物持ちを手伝ってくれたんです。」
「あのコ、口は悪いけどいいコよねー」
「優しいし…ね。」
「そうか?」

健太くん。あまり村に下りないわたしは数回しか話をしたことはないけれど、何度か助けてもらったことがある。

「さて。」

いつの間にか目の前にいた荘介は、わたしの隣のソファーに座っていた信乃ににっこりと微笑みかけた。

「信乃、少々お話があるんですが。」 
「うっ…」

罰が悪そうに、俯く信乃。

「俺達は少し話し合いが必要なようです…そうですよね?」

うっすらと笑っている荘介に信乃は無言でこくこくと頷く。荘介に連行されて行く信乃。そんな二人に思わず笑いをこぼしながら浜路が淹れてくれたお茶に口を付けると、なにかを思い出したように荘介が振り向いた。

「あ、そうそう。笑ってられるのも今の内ですよ、なまえ。」
「…?」

…あれ、わたしなにかしたっけ。荘介の言葉に首を傾げていると、そんな私に荘介がにっこりと言い放った。

「後で覚えておいてください、なまえ。」
「え…?え?そ、荘介?」

そのまま信乃を連れて去って行ってしまった荘介。閉じられた扉を見つめていると、浜路に無言で肩に手を置かれた。

「あ、あれ…?わたし、なにしたんだっけ…」
「…まあ、荘介に怒られるようなことをしたのは確かね。」
「うぅ…」

荘介のお説教、長いんだよなあ。
前にもお説教されたことを思い出して思わず溜め息をつく…そういえば前に怒られたのは確か、勝手に森に入って…あれ。そう。前荘介にお説教された時も森に入ったから叱られたんだ。
そういえばこの間、信乃に着いて行って森に入ったなあ……今更だけれど怒られる理由がわかり、背に冷や汗が伝う。

「ま、まあ、今日のお夕飯は、少し遅くなりそうですねえ。」
「信乃ってば、ごはん食べられるかしら〜?あ、なまえはさっさと食べないと食べられなくなるわね…って、なまえ?」
「わ、わたし、今日…」
「なあに?荘介のお説教のこと?
そこまで心配しなくても大丈夫よ〜荘介ったらなまえと信乃には甘いもの。」
「えぇ…そ、そうかな…?」

…とてもそうとは思えません。
そんなことを思いつつ、浜路が継ぎ足してくれたお茶に再び口を付けた。
そんなお茶を飲んでいるわたしやおじいちゃんのことを、先生は相変わらず物凄い目で見てくる。

「あ、そうそう。最近、よく村の人がここに姿を見せることが多いの。」
「そうですか。こんな村外れにまでわざわざご苦労様なことですね。」
「もー先生ったら違うわよ!!」

浜路がマフィンのトレーを机に置きながら言う。そんなマフィンを見て先生の顔が歪んだ。

「わぁ…また新しく作ったんだ!」
「…なまえ、あなたはなんでそんなに楽しげなんですか。」

目の前に並べられた不思議な色のマフィン。その中から一つを手に取る。

「村人達の目的は、もちろん私となまえ。わかるわ〜こんなさびれた教会にこんな美少女達がいるんですものね。」

頬に手を当てて、うっとりとした表情をしている浜路…けれども、わたしのことはどちらかというと好奇の目で見に来る人ばかりだと、思う。

「まあ、浜路となまえの花婿候補が見つかるのはいいことですが。あまり人目につくと、困ったことになりそうですね。」

さっきまでの雰囲気は一変。皆の表情が変わる。

「あの二人は、"普通"ではないのだから。」

信乃と荘介。
あの二人、は、普通のヒトではない。

「あと今更ですが、なまえ。あなたは大丈夫でしょうけど…周りには気を付けるのですよ。」

先生が見つめるのは、わたしの、異端の髪。色があるのかないのか。そんな微妙な色のわたしの髪。
その髪を好むのはどうやら動物達だけではないようで。

「…わかって、ます。」

異端の髪は、時に"異様なモノ"をも、惹きつけるのである。

***


「で、なまえ。」
「う…はい。」

信乃のお説教を終えた荘介に、聖堂に連れて来られたわたし。わたしの隣では、不機嫌な顔の信乃がどっかりと足を組んで座っている。そんな信乃の表情から、荘介に色々と言われたんだということがわかる…わたし、大丈夫かな。

「なまえも、また森に入っているそうですね。」
「……はい。」
「俺、前にも注意しましたよね?」
「…は、い。」

にっこりと笑顔の荘介。それがまた怖い。

「はぁ…まったく。」

はぁ、と頭を抱えて深い溜め息をついた荘介。この緊張感がとても恐ろしいです。

「信乃といいなまえといい…本当にしょうがないですね。」
「おい荘介、オレのことはもういいだろ!」

そして、この緊張感の中で荘介に反論できる信乃はとてもとてもすごい。広い聖堂に響く声が荘介の怖さをさらに増している気もする。
荘介はわたしや信乃が森に入るのを極端に嫌う。理由はなんとなくわかるけれど、それにしても……きつく言い過ぎ、だと思う。そういえば、荘介が私達に森に行くなと極端に言い始めたのは、いつからだったかな。

「で、でも…信乃と一緒に行ったことの方が多いもの。」
「へぇ…そうなんですか?信乃?」
「あ、おま…余計なこと言うな!」
「おわっ!ちょ…っ!」

わたしの口を塞ごうとのしかかってくる信乃。そんなわたし達を見て荘介は呆れたように再び溜め息をついた。

「なまえ。調子に乗って面倒なものを引き寄せてからじゃ遅いんですよ。」
「信乃と一緒でも、駄目…?」
「駄目です。」

村雨を連れている信乃と一緒だと髪に釣られてくる悪いモノもほぼ近づいてこないのに。そんなことを考えていると、そんな顔しても駄目です、と荘介に一喝された。

「とにかく、なまえも少しは反省して下さい。」
「…はい。」
「これでわかってくれればいいんですけどね。」

ぽんぽんとわたしの頭を撫でた荘介…本当に心配症なんだから。

「荘介ちょっとこっち来てー!」
「浜路?はい、今行きます。」

居間から聞こえてきた浜路の声に、荘介はわたしと信乃に早く寝なさいと声をかけて行ってしまった…わたしはちゃんとした十八歳なのに。

「あー疲れた。荘介の説教長いんだよな。」

そう言って信乃はわたしの肩に頭を乗せた。こうやって甘えてくる信乃は、とても可愛らしい。こんなことを言ったら、信乃は怒るだろうけど。五年前から姿が変わらない信乃は、中身はわたしと同じ十八歳なのになんだか中身まで時間が止まったよう。

「わたしも緊張して疲れちゃった。」
「なまえは余計なこと言いすぎ。」
「だって、荘介怖いんだもん…」
「言い訳すんな。」

わたしの額に手を伸ばした信乃は、わたしにでこぴんした。

「い、いたい…」
「少しは反省しやがれ。」

得意気に笑って再びわたしの肩に頭を預けた信乃は、いつの間にか目蓋を閉じて眠ってしまっていた。その寝顔は昔から変わらない天使のような可愛さ。そんな信乃の寝顔を見ていたらわたしも眠くなってきてしまった。

「おやすみなさい、信乃。」

とても大切で大好きな大好きな信乃の温かい体温を感じながら、目を閉じる。明日、また荘介に色々言われそうだなあ。

***

森の方からざわざわとした雰囲気を感じて、目を覚ました。すっかり昇っている太陽を見て、もう朝だということがわかる…今日は朝からなんだか嫌な空気だ。
そういえば昨日は信乃と一緒に変な所でで眠ってしまった気が、する……周りをよく見渡すと、そこは浜路と一緒に使っている自分の部屋。昨日の夜荘介が運んでくれたんだろう…また朝から色々言われてしまうな、なんて考えつつ、服を着替えた。

***


「なまえ、おはようございます。今日もいつもどおり寝坊ですね。」
「お、おはよう、荘介。」

居間に入ると、片手にポットを持って、荘介がにっこりと迎えてくれた…にっこりと言っても、可愛いものではないけれども。
荘介がそんな笑みを見せてくる理由が心当たりありすぎる。まず寝坊のこととか、昨日聖堂で寝てしまったこと、とか…そんな居間には珍しくお客さんが来ていた。

「あ、なまえだ。今日は転んでないの?」
「健太くん!わ、わたしは大丈夫です…!」

お客さん、健太くんは、わたしを見てからかうように笑う。前に森で転びそうになったところを彼に助けてもらってから、健太くんはこうやってわたしをからかうのだ……わたしのほうが年上なのに、くやしい。

「それよりなまえ、今日は森に入るのは止めとけよ。なんか今日の森、妙に変な感じしたしな。」
「…そっか。」

健太くんの発言に色々と引っかかるものがあったけれど、とりあえず今は置いておくことにした。
健太くんの隣に座ろうとしたわたしだけれども、目の前の荘介からの無言の視線がとてもとても痛い。そんな視線を少しでも感じないようにするため、わたしはお茶が淹れられているカップを持って信乃が座るソファーへと移動した。

「お前、こんな日によくこんな寝坊できるな。」
「あ、おはよう信乃。」

信乃は、眉間に皺を寄せながらソファーに座っていた。今日は信乃もご機嫌斜めみたいだ。居間の窓から見える森は、いつもと違い、どこか異様な雰囲気を放っている。いつもは森に近いこの教会の周りは鳥の声で賑わっているのだけれど、今日は全くそんな声は聞こえてこない。

「森の方、すごいざわざわしてる…」
「…今日の朝荘介と様子見て来たけど、なにもわかんなかった。」
「そっか…」

髪色のせいか、別の理由があるのか、動物に好かれやすいわたし。森の動物達には助けてもらうことも多かったため、突然声が聞こえなくなるとやっぱり心配だ。

「あ、そうそう、知ってる?村の人間が二人行方不明って話。」

"行方不明"そんな健太くんの言葉に、信乃と荘介の顔が変わる。

「…いや、今初めて聞いた。」
「あーまあ、いい年して働きもしねえ遊んでばっかのロクデナシ二人なんだけど。ホラ、この間信乃に絡んでたヤツらってそいつらでさ。もしかして村の人間がなにか聞きに来るかもって…」
「村の、人達…」

なんだか、色々と大変なことになりそうだ。只でさえ良く思われていないわたし達のような教会の人間が絡んでいるのだから、村の人達はまた色々と言ってきそう。

「面倒だからなにも知らねえことにしとけよ。」
「どうして?」
「ロクデナシの二人だけど親はこの辺の地主だからうるせーんだ。ただでさえ、教会のことあんまよく思ってねーんだし。」

そんな健太くんの話を聞きながら、荘介が淹れてくれた浜路のお茶に口を付ける。温かいお茶になんだかもやもやとしていた気分が少しだけ和らいだ。

「どーせあいつらとっくに村なんか出ちまって、今頃帝都あたりで遊んでんじゃねーの?」
「でも連絡ないなら親は確かに心配だろう?」
「…健太。」

今まで黙って話を聞いていた隣の信乃が深い溜め息をつきながら健太くんの名前を呼んだ。
その声は、いつもより低い。

「な、なんだよ?」
「お前、もう帰れ。んで、もう二度とここに来んな。森にも近付くな。」
「…ハ?」

言葉だけでは明らかに、健太くんを突き放す言葉。健太くんは意味がわからない、と言いたげにわたし達を見るけれど……わたしは、なにも言えない。

「…今日は、俺が家まで送るよ。」
「…な…?」
「…聞こえなかったか?ここにも森にも、二度と近付くなと言ったんだ。」

そんな信乃の言葉に、健太くんは立ち上がって声をあげる。

「…な…なに急に訳わかんねえこと言ってんだよ!?荘兄もなまえも、なんか言ってやってよ。」
「言わない。信乃の言うとおりだから。帰ろう?」
「…なまえ!」
「え、と…」 

ごめんなさい、と口にしようとしたわたしを信乃が止める…健太くんの、ため、だ。

「な…なんだよ!急にみんなして!!
ああ、わかったよ!二度と来ねえよ…こんなとこ…っ!」
「健太、ちょっと待って。家まで送るって言ったろう?」
「一人で帰れる!!ついて来んな!!」
「あ…」

先に駆け出して行ってしまった健太くん。思わず立ち上がると、既に扉に手を掛けている荘介と目が合った。

「信乃、なまえ。」

制するような声に、上げていた腰を、再び下げた。

「二人とも俺が戻るまで、ここで大人しくしていて下さいね。勝手に森の奥には行かないように。」
「…は、い。」

俯いているわたしに、荘介は大丈夫、と頭を撫でてくれた。

「早く行かなくていいのか?子供の機嫌取りは時間かかるぜ?」
「知ってますよ。信乃もグズると長いから。」
「はぁ…!?てめ!」

信乃は持っていた本を荘介に投げたが、本が当たる前に荘介は素早く扉を開けて居間を出ていた。本は扉に当たり、音を立てて床に落ちる。

「…アイツ、いつか絶対泣かす!!」

はぁ、と溜め息をついて再びソファーに腰掛けた信乃。信乃は落ちた本を拾うと、その本でわたしの頭を叩いた。

「い、たっ!」
「そんな顔すんな、なまえ。」
「…し、の。」
「荘介を泣かすって言ってんのに、お前泣かしたって意味ないだろ。」

胸から込み上げる感情を、必死で抑える。わたしはいつもこうだ。頼ってばかり、周りにしてもらってばかり。
けれど健太くんがこれ以上ここへ近づいてしまったら、彼の身に危険が及んでしまうのだ。

「まあ、子供は勘が鋭いモンじゃが。
あの坊はちと難儀じゃのう。」
「うわっ!!」
「…おじいちゃん?」

今までお茶を飲みながらずっと黙っていたおじいちゃんが突然口を開いた。信乃は驚いてソファーから転げ落ちている…さっきまでは格好良かったのに。

「じ…じーさん、いつからそこに…!?」
「儂にゃずっとここにいた。」
「もっとなんかアクションねぇのかよ!?」
「ムリじゃ、もう年でな。」
「五年前から同じセリフ聞いてんぜ?
じじィはいつからじじィなんだ?」

二人のそんなやり取りに、込み上げていた熱いものも引っ込んだ。そのかわりに笑いが込み上げる。

「で、難儀ってなにが?荘介が上手くなだめるだろ?」
「お前達に近付きすぎた。お前達に近付くということは、境界線に近付くということ。」

境界線。それは、普通の人間なら、越えてはいけないもの。

「普段は気づかず済むものを、気づいたら気になる、踏み越えたくなる。向こう側にとっては、格好の獲物じゃな。」

わたし達に近付くことで、健太くんはいつのまにか知らなくていいものに、近付いているのだ…朝の、森の様子が変ということに健太くんが気づいてしまったのもそのせい。

「信乃、お茶おかわり。」
「……今日のはスッポンのかわりにマムシだぜ?」
「なまえだって飲んでるじゃろ。ほれ信乃、なまえにもおかわりを淹れてやれ。」

こちらにカップを向けてきたおじいちゃんに、なんだか一瞬にして力が抜けてしまった。

「それはなまえが味覚音痴だからだって。」
「えーうーん…?」
「いい加減、それくらい自分で理解しろって。」

そんなことを言いながらも、信乃はおじいちゃんとわたしにお茶を淹れてくれた。
森から感じる違和感は、先程より強くなっている。

「じゃ、オレちょっと出てくる。」

わたし達にお茶を淹れてくれた信乃は腕から村雨を出現させると、窓に足を掛けた。先程から、異常だった森の様子が、さらにおかしくなっている。そんな状態の森に一人で入った健太くんは…とても、危ない。

「誰かになんか言われたら、散歩って言っといて。」

惹きつけることはできても、異常を感じることができても、わたしには、妖を倒す力はない。

「気をつけて、ね。」
「…ま、どうせ雑魚だろ。」
「キヲツケルー」

信乃の周りを、翼をはためかせながら飛ぶ、村雨。一見カラスのような外見をしているけれど、村雨は、とても心強い。

「いってらっしゃい。」
「……いってくる。」

照れくさそうに言った信乃に、ほんの少しだけ、わたしの緊張が和らいだ。

「…わたしもおじいちゃんと一緒に礼拝の準備、しないとね。」

今、わたしにできること、を。
飲み終えたお茶をテーブルに置き、席を立った。

***


先に準備をしていた浜路と先生と一緒に六時から始まる礼拝の準備をしていると、荘介が村の人を連れて帰って来た。先程健太くんを追って行った荘介…すれ違いになってしまったのだろうか。
普段は教会には近づきたがらない村の人達。そんな彼らがわざわざここに来たのは、健太くんが言っていた森で行方不明になった村人の件のことで、だろう。
わたし達を責める村人達の間を通り、荘介はこちらに戻って来た。

「信乃は?」
「散歩…って。そうよね?なまえ。」
「う、うん…!」

そう答えた浜路の言葉に、荘介はわたしに探るような視線を向けてくる。とりあえず今そんな視線には気づかぬフリ、だ。

「それよりこれ、荘介のじゃない?」

浜路が取り出したのは荘介の十字架。そういえば、先程健太くんが首から下げていた、気がする。

「…これは、どこに?」
「教会の裏。先生が見つけたのよ。」

それを聞いた荘介は、顔色を変えた。

「…なまえ、後でまた信乃と一緒にお説教ですからね。」
「う…は、はい。」

今回もわたしと信乃は共犯なので、返す言葉がない。

「すいません、ちょっと出てきます。」
「荘介?」

そのまま全力疾走で走って行く荘介。
その背中に村人達が言葉を投げつけたけれど、きっと、聞こえていないだろう。

「…で、結局なんなの、なまえ。」
「は、浜路…」

隣で意味がわからない、という顔でわたしを見つめて…というには少々キツい目線を送ってくる浜路。

「え、えと…とりあえず、大丈夫だとは、思う。」
「そう…?それならいいけど…」

心配そうに荘介が走って行った方を見つめる浜路…大丈夫。自分に言い聞かせるように、その言葉を繰り返した。


乖離しゆくひとひら
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