ラララ存在証明 | ナノ

  小さな願い事


私が担当している地域から少し外れた人気の少ない通り道で、蹲る。冷や汗が止まらず荒い呼吸を繰り返した。手先の震えが止まらない。

「ゲホゲホゲホッ………ゴフッ…」

懐から取り出した手拭いで口元を抑える。ゲボォッと痰を吐き出すと、そこには少量の血液が混ざっていた。

______薫、これ以上はやってはいけないよ。

お館様の優しい声音が嫌でも頭に響く。はあはあ…と荒い呼吸を繰り返していると、人が近づいてくる気配がした。慌てて手拭いを懐に仕舞い込み、必死に呼吸を整える。

「えっと…あ、樋野さん…?」
「…時透くん。」
「そんなところで蹲ってなにをしているの?」

そう言えば、私の担当する地域と無一郎の担当する地域は隣接している。私は無意識に無一郎が担当するところまで来てしまったようだ。大丈夫?とこちらを伺う無一郎の瞳は、あの頃と変わらない優しさが見え隠れしていた。それもきっと、私が柱という立場だからだろうなと思ってしまう。もし、一般隊士だったら此処までしてくれるのだろうか。記憶を無くしてからの無一郎の合理的な性格は、亡くなった彼の兄にそっくりだ。そんな彼も優しい所もあったなあと思うと胸から熱いものが込み上げて来たから、考えるのをやめた。

「お水、持ってない?」

懐から薬だと偽って、紙に包んだ粉末を取り出す。私の意図を汲んだ無一郎は待っててと言った後、姿を消した。それは一瞬のことで。瞬きをした途端、なに食わぬ顔で呼吸も乱していない彼が竹筒を私に差し出してくる。私はそれを受け取ると、駄目だと思いながらも粉末を口に含み、ゴクリと水を飲んだ。しばらくしてくると呼吸が先程よりも楽になってくるのが分かった。

「………誰にも言わないで。心配をかけたくないの。夜な夜な薬の調合や医学書を読んでて、食事の存在を忘れてて、貧血になってるだけなの。」

よくもまあ、こんなにスラスラと嘘が吐けるものだな、と自分でも思う。

「言わないよ。…多分、覚えていられないから。」

一瞬だけ眉尻を下げた彼は、ふぅ…と息を吐いた。そして、何やら考える素振りをした後、ポンと私の頭に手を置いた。その行動に、1番驚いているのは、それをやった張本人である無一郎なのだから、なんとも不思議な光景である。そんな無一郎に視線を移して、ふっと微笑んだ。

「心配してくれてありがとう。」
「え。」

急に感謝の言葉を漏らした私に、無一郎は不思議そうな顔をして首を傾げた。記憶障害を患う彼の辛さや不安はどれほどのものがあるのだろう。あの日、唯一私が救えた私の光。生きていてさえくれれば良いと、何度も願った。弱々しく折れてしまいそうだった腕は、今では私の何倍も逞しいものになっている。これで良かったのかと、何度も何度も自問自答した私に、良かったのだと告げているようにすら思えた。

「時透君を見ていると私も頑張らなきゃなと思わされるよ。」
「…ふーん」

______弟を、…むい、ちろを頼む。

「柱の時間は貴重でしょ。もう行って。私は大丈夫だから。」
「樋野さんも柱でしょ。」
「そうだけど、」

彼がここまで、私の近くに留まるのはとても珍しい。どうしたのだろう。いつもと同じような雰囲気で特に何かあった訳でもなさそうなのに。

「何かあったの?」
「え?…どうだろう。何も無いと思うけど。何故だか分からないけど、今、樋野さんの側を離れたらいけないような気がして。…何で、そう思ったんだろう。」

困ったように首を傾げられた。私の存在は、こうも彼を困らせてしまうのだろうか。いつまで経っても、私は無一郎の足を引っ張ってしまうのだろうか。

「大丈夫。大丈夫だよ。こう見えても私は強いから。頑張れるよ。ありがとう。」

______こう見えても私は強いから、無一郎。

「へ、?今なんて?」
「え?」

お互いの視線が混じり合い、不思議そうな顔がお互いの瞳から覗き込んだ。ゆっくりと頬へ手を伸ばして、お互いの手が触れようとしたその途端、

『カアア…樋野薫。煉獄杏寿郎ト任務。無限列車今スグ迎エ!』

「「!!」」

それを阻むかのように、私の鎹烏が私の肩に留まり任務を報せた。お互いが現実に戻されたような感覚になる。

「行ってくるね、時透くん。」
「………」

柱2人を任務に向かわせるということ。それは強い鬼が其処にいる可能性が高いということだ。もしかすると、十二鬼月かもしれない。そう思うと、その場から去るのが少し怖く感じた。もう既に私に背を向けて歩いていってしまっている無一郎を追いかけて、袖をきゅっと掴んだ。

「どうしたの。早く行きなよ。」
「ねえ、帰って来たら、おかえりって言って欲しい。」
「え、」

きっと無一郎は、何言ってんのって顔してるだろう。覚えていられるかも分からないのに。そんな事情も分かってるのに、私は敢えてそれを言ってしまったのだから、本当に酷い奴だと思う。

「…無一郎、行って来ます。」

にっこりと笑って、彼の袖を離した。くるりと背を向けて走り出す。もう振り返らない。小さく紡がれたいってらっしゃいの言葉は、私の耳に届く事はなかった。


20200420

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