しずかなる融解
"医者という立場である以上、患者よりも先に、患者が生きることを諦めてはいけないよ"
呼吸が止まっても、心臓が止まってしまっても。その人はもしかしたら、まだ生きたいと思っているかもしれない。
「薫が、時透さんの息子さんたちや、私のことを大切に想ってるように、患者さんにも、そう言った存在が必ずいる。」
「はい、お父さま。」
ガリガリと薬の調合をしながらも、視線は私の方を向いて、そうはっきりと教えられた。お父さまにとっての医者である心得らしい。その考え方は、とても素敵だと思った。その背中をずっと見てきた私にとって、父親の背中は、いつもかっこよかった。助けを乞う人々の手をつかんで優しく握りしめて、決して離さない。もし、その人が旅立ちを迎えたとしても、残されたご遺族の方に、生前の想いを必ず紡いでいた。なんで助けてくれなかったの!医者の癖に!と罵られている姿を見たこともある。その度にその言葉を真摯に受け止めて呑み込んで、今際の際の姿を伝えていた。先程まで自分自身のことを罵っていた人だというのに、だ。そうした想いを汲み取ってか、最後には必ずみんな、ありがとうと言うのだ。ごめんなさい、ありがとう。最期まで頑張ってくれてありがとうって。
「医者はね、生きることの最期の砦なんだよ薫。」
「最期の砦?」
「そうだよ。そして、患者さんが生きていた証を残してあげられるのも医者だ。最期まで、ね」
「証…」
死んでいい人なんてこの世にはいないよ。それが例え鬼だとしても。鬼もみんな前は人間だったのだから。
「けれど、鬼は罪のない人を食べてしまいます。」
「そうだね、そこで鬼殺隊の出番だ。」
「…きさつたい。お母さまの仲間?」
「お母さまの生前の職業をよく覚えていたね。君はやはりとても賢い…。お母さまはね、鬼を殺していたんではないよ。鬼がこれ以上誰かを傷つけない為に、助けてあげていたんだ。お母さまに斬られた鬼たちは、きっと救われていたよ。」
「鬼をたすける?」
「うん、まだ薫には難しいね。でも、いつか薫にも分かる日が来ると思うよ。いいかい、薫。例え君が道を踏み間違えることがあったとしても、例え君にとって大事な人がそうなったとしても、決してその事を忘れてはいけないよ」
「お父さま?でも、私______」
あの時の私は、何て返したんだろう。
...
目を開けると見慣れた天井があった。ここのところ、何度も見た光景である。ここが蝶屋敷だと分かるのにそう時間はかからなかった。
「薫ちゃん…!良かったです…!」
「しのぶさん…」
「酷く魘されているとアオイが慌てて呼びにきました。大丈夫ですか?お水は飲めそうですか?」
切羽詰まった声で名を呼ばれて、手拭いで額にかいた汗を拭われる。寝具までびっしょりと汗で濡れて、酷く気持ちが悪かった。手渡された湯飲みから、冷たい水をゆっくりと飲み干す。
「無一郎たちは…?刀鍛冶の方々は…?」
しのぶさんは私の疑問に1つ1つ丁寧にこたえてくれた。私が上弦の肆に首を絞められ、意識を飛ばした後も、炭治郎くんたちは上弦の肆の対峙を続けたという。そして、夜明けと共に炭治郎くんが倒したらしい。さらに、炭治郎くんは、夜明けが近づく中、日の光から禰豆子ちゃんを守ることと上弦の肆を倒すことを天秤にかけることになり、鬼を倒すことを選んだと言うのだから、尚更凄いと思った。刀鍛冶の人たちは、もう移転に向けて動いているそうだ。何人か亡くなられたが、それでも被害は最小限に抑えられたらしい。医術をかじっている私が、救護に動けなかったのが悔やまれた。
「禰豆子ちゃんは…?」
「彼女は、どういう因果かは分かりませんが、日の光を浴びたのにも関わらず生きています。」
即ち、太陽を克服した鬼が現れたと言うことだ。ゴクリと唾を飲み込んだ。
「時透くん、甘露寺さん、不死川玄弥くん、炭治郎くんは無事ですよ。上弦二体を倒して、よく帰ってきましたね。おかえりなさい。頑張りましたね。」
優しい眼差しで見つめられて、髪を撫でられた。コクリと何度もその言葉に頷く。私は何もしてない、何も出来ていないのに。
「今は皆さん蝶屋敷で休んでいます。」
「あの…私はもう大丈夫なので…怪我人の治療を手伝わせてください。」
おずおずと申し上げると、しのぶさんは少し悩んだ顔をした後に、2つ返事で良いですよと微笑んでくれた。
「では、時透くんを診てもらっても良いですか?」
「え、」
「記憶も戻ったと聞きますし、いまの貴女にとって、1番の薬になるでしょう?」
「………ハ、ハイ」
笑顔の裏に何か黒いものがあるような気がしたのは気のせいだろうか。それに気づかなかったフリをして、無一郎の容態を聞いた。刀鍛冶の里の襲撃から、一夜明けた今、無一郎は高熱を出しているらしい。上弦の伍によって受けた毒と疲労が一気に襲ってきたのだろう。しのぶさんに案内されて、無一郎が休んでいるという病室に足を踏み入れた。
「では、後はお願いしますね。」
必要になるだろう薬や、経過観察記録、氷水などを受け取り、案内をしてくれたしのぶさんを見送る。しのぶさんの後ろ姿が見えなくなった後、眠っている無一郎の側に駆け寄った。近くに置いてある椅子に腰かけた後、体温計を彼の脇に挟んだ。
「大丈夫だからね…」
荒い呼吸を繰り返す無一郎の額をそっと撫でる。額に乗せられていた手拭いは、熱によって温くなってしまっていて、それを手に取って氷水に少し浸した後、取り出して軽く絞った。そして、それをまた無一郎の額に乗せる。苦しそうな姿を見ると、代われるものなら代わってあげたいとさえ思った。そろそろ良いだろうかと脇に挟んでいた体温計を抜いた途端、無一郎の指先がピクリと動き、彼の双眼がゆっくりと開いた。
「!無一郎、」
「………?、薫…?」
「うん、そうだよ。」
「なに、もってるの…?」
「これは体温計だよ。」
体温計に視線を移すと、赤い線が39のところで止まっていた。経過記録を開いて、体温を記入した後、再度視線を無一郎に戻した。
「あ!起き上がったらダメ!!」
少し目を離しただけなのに、油断も隙もない。私の静止を無視して上半身を起こそうとした無一郎の肩をベッドに向かって押した。だけど、無一郎の力には敵わなくて、その力に負けてしまう。昔はすんなりと抑えることが出来たのに、もうあの頃とは違うのだなと思い知らされる。
「もう!今、無一郎は39度も熱がある状態なんだよ!!」
「うん?それってマズいの?」
「人間の平熱は36度くらいなんだよ…」
こてり、と可愛らしく首を傾げた無一郎に、最早溜息しか漏れない。駄目だ、完全に熱で頭がやられてしまっている。でも、これだけ元気なら何か食べれるかなと思い、立ち上がった。
「薬飲まなきゃいけないから、何かないか聞いてくるね。」
しのぶさんの話によると、昨夜意識が戻って水分を少し摂ってから、なにも口にしてないそうだ。起きたのなら、何か胃に入れた方が良い。
「どこいくの…」
「いや、だから何か食べ物を…「いかないで、」…っ、」
「ここにいて…行っちゃだめ。またひとりで泣くでしょ…」
「…泣かないよ。」
「うそだ。」
無一郎の熱い手のひらが、私の頬を包み込む。親指がそっと私の目尻を撫でた。
「いつだって薫は…苦しいときも教えて…くれない…無理して、笑ってる…くせに…!」
「そ、そんなことないよ!無一郎、息が上がってるから…ね?休もう?」
「ほら、今、目逸らした。僕はそんなに頼りない…?」
悲痛な顔をして問われた問いに、何と返したら良いか分からなかった。頼りないなんて思ったことは1度もない。いつだって無一郎の存在が私を支えてきた。無一郎が生きていてくれるから、私はまだ、ここに存在できているのに。そんな顔、させたくないのに。心配かけたくないだけなんだ。
「ずっと…わすれてて…ごめんね…。1番大事な、女の子…なのに…」
無一郎の顔がゆっくりと近づいてきて、思わず仰反る。だけど、無一郎の片腕が私の背中に回ってきて、それを許してくれなかった。どうすれば良いのか分からなくて、目蓋をギュッと瞑った瞬間、ふに…と唇に熱いものが触れる。
「な、」
それが無一郎の唇だと理解した途端、身体中が熱くなって、胸がドクドクと高鳴っていった。
「だいすきだよ…薫…」
「ちょ、無一郎…落ち着いて、横になろう?ね?熱でおかしくなってるから!」
「別に普通だよ…。」
「私の知ってる無一郎は、こんなことしない!」
「俺もう14だよ…」
「そういうことじゃない!!」
無一郎の胸元をこれでもかってくらい力一杯押した。すると、諦めたのか、ようやく枕に頭を乗せてくれた。
「これからは、僕がまもるから…だから、俺の知らないところで泣かないで…」
小さく紡がれた言葉を最後に、小さな寝息が聞こえてきた。
「え、寝ちゃったの…?」
ドサっと椅子の上に腰を降ろす。やり場のない思いをぶつけるように、無一郎の片腕に自分の額を埋めた。
20200522
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