わかれた幻
夜明けが近づいている。絶対に、鬼を逃してはならない。本当なら、もっと無一郎の側にいたかった。けれど、柱という立場である以上、敵の居所が分かっているのに、みすみす逃すわけにはいかないのだ。無一郎をひょっとこさん達に任せて、私は目の前を飛ぶ鴉を追いかける。走りはじめてどれくらい経っただろうか、というところで、桃色の髪の毛が瞳に写り込んだ。
「蜜璃さん!」
「薫ちゃん!良かったわ、無事だったのね!」
日輪刀を構えている蜜璃さんの視線の先には、一体の鬼がいた。私が最初に遭遇した鬼とは違うようだ。
「今、炭治郎くん達が本体をやっつけてくれてるの!」
鬼の攻撃をなんとか避けながら、状況を確認する。
「そうなんですね!」
「ええ!だから、薫ちゃんはそっちの援護に行って欲しいわ!」
「分かりました!でも、その前に…"香の呼吸 弐ノ型 薫香"」
気休め程度にしかならないが、人体にとっては安らぎの技を放つ。上手くいけば、この匂いは鬼には毒にもなる。
「ありがとう!少し楽になったわ!」
「ご武運を祈ってます!」
「ええ!もちろんよ!頑張りましょうね!」
______どうして、其方に居座る?
キン…と鳴り響く頭痛を無視する。目の前には何もいないのに、まるで何かが近くにいるような感覚がした。それほどまでに、鮮明に忌忌しい声が聞こえてくる。
______泣くと不細工だって言っただろ。
______泣かないで、薫。
その度に頭を過ぎるのは、大好きな声だ。私の中に眠る大切な人たちが、いつも私を助けてくれる。背中を押してくれる。だから、私は頑張れる。負けたりなんかしない。絶対に勝つ!!
...
「ガアアアアア、クソガアアアアア!!いい加減お前死んどけ!!……空気を読めええええ!!!」
新人隊士だと思われる男の子の声が聞こえてきた。はじめて会う子だと思う。何処となく雰囲気とか見た目が、風柱・不死川さんによく似ているなあと思った。アレが噂の弟くんだろうか。その子は、あろうことか木をぶん投げたので、兄弟揃って血の気が多いな、と若干引いた。彼らが戦っている鬼は、一寸程しかなく、多分身体の大きさを自由に変形出来るのだろうけど、なんともその光景は滑稽だった。とは言え、私もずっと眺めているわけにはいかない。
「"香の呼吸 伍ノ型 薫水斬り"」
思い切り足に力を入れて踏み込んで、木の上から飛び降りた。そして真上から刀を振り下ろすけれど、それは意図も容易く避けられてしまう。
「お前はああ、儂があああ、可哀想だとはアア思わんのか!!」
「思うわけないじゃない糞爺!!」
「薫ちゃん!!」
「炭治郎くん!!」
突然鬼の身体が大きくなり、私と炭治郎くんは身体を拘束される。
「てめエの理屈は、全部クソなんだよ、ボケ野郎ガアアアアア!!」
不死川さんの弟(仮)と禰豆子ちゃんが、援護に回ってくれる。
「ぐう、」
私を拘束している鬼の手に力が入ったのを感じた途端、自分の首が圧迫される。それが締まっていくのを感じながら、酸素を求めてもがいた。
(やばい、意識が落ちる)
______薫、こっちに来なさい。
「!!」
______薫、君は其方に居てはいけないよ。
「な、んで………」
忌忌しい鬼の幻聴ならば、無視できる。生まれた時からずっと聞いてきた。ずっと憎んできたから。なのにこの声は、なんだ。いつもと聞いている幻聴と違う。しかも、この声は、
「………お父さ、ま」
視界が霞んでいく。助けてくれと言わんばかりに天へと手を伸ばした。最近私はこんなのばっかりだ。否、剣を握る道を選んでからというもの、私はなにもできていないではないか。
______薫。
「むいちろ…」
目尻から流れ落ちる雫は、誰にも気づかれることはなかった。
20200518
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