色づいてくの、なんておこがましい
目を見開くと入ってくるのは見慣れた自室の天井だった。身体を起すと、上半身にはびっしょりと汗をかいていて、酷く気持ちが悪かった。なんだか懐かしい夢を見ていた気がするけれど、思い出そうとすれば、ズキリと頭が痛む。考えないようにするかと布団から出て、カレンダーに視線を移した。今日の日付の下には赤丸がついていて、私の字で"実家に行く"とかかれている。小さなため息を吐いて冷蔵庫の扉を開ければ何も入って無くて、今度は大きなため息が漏れる。重い身体を引きずりながら自販機へと向かった。

「……あ、」
「すじこ」
「狗巻くんか、おはよう…」

自販機には先客がいて、独特なボキャブラリーが紡がれた。それのおかげで、目の前に居るのが誰かすぐに分かる。近づく前に慌てて手ぐしで髪の毛を整えた。そして、身だしなみをもっとちゃんとしておくべきだったと後悔した。

「早起きだね。もしかして、走りに行ってたの?」

ランニングウェアに身を包んだ彼は、誇らしげにピースをした。

「ツナ?」

そして、そっちはどうしたの?と言わんばかりに、こてりと首を傾げられる。その姿が、とても愛らしく見えて胸が高鳴った。それに気がつかないフリをして、冷静に返答する。

「ちょっと、夢見が悪くて、早く目が覚めたの」
「ツナマヨ?」
「大丈夫だよ。………嘘、多分、緊張してるんだと思う」

珍しく自分の心に正直になってみると、狗巻くんが目を見開いた。待ちに待った今日という日が訪れるのが、多分怖かったのだ。狗巻くんは、何も言わずに私を見つめる。

「ただ実家に行くと言うだけなのに、友達に付いてきてなんて言うの、やっぱりおかしいかな」
「おかか」
「うん、ごめん…今日の私はどうかしている」

自分で選んだはずだし、実家に行くだけだ。それだけなのに、こんなに胸騒ぎがするのは何でだろうか。ぎゅっと胸元を握りしめて目を閉じる。飲み物を買いに来たはずなのに、何も選ばずに、自販機の近くに備え付けてあるベンチへと腰を降ろした。スーハーと深呼吸を繰り返していると、その横に狗巻くんも腰を降ろす。

「ねえ、手、貸して?」
「しゃけ」

徐にそう告げると、直ぐさま両手が伸びてくる。私は、そっとその手に触れた。がっしりと角張った手は、まさしく男の子の手だ。ふと顔を上げれば、若干頬を赤らめた狗巻くんがいて、その途端、自分がしてしまっている行動を理解した。慌てて両手を離せば、不思議そうに問いかけられる。

「いくらー?」
「ご、ごめん…本当に、今日の私はどうかしてる」
「おかか、ツナツナ」

__もう良いの?
__そんなことない、ほらほら

ひらひらと顔の前に手を振られて、恥ずかしくなって俯いた。ククッと喉元を鳴らした狗巻くんが、私との距離を詰めてくる。慌てて後退すると、ベンチから落っこちそうになってしまい、グイっと腕を引かれて胸元に閉じ込められた。

「ちょっと!狗巻くん!」
「おかか?」
「…い、やじゃないけど!おかしいでしょ、これ…」
「高菜?」
「なんでって、私たち別に…」

付き合っているわけでもない男女が、早朝に自販機の前で抱き合う光景って、第3者から見ればおかしいのではないか。でも、それを口にしてしまうと意識してるようでダメな気がする。

「狗巻くんって、誰にでも、こういうことするの…?」
「おかか!」
「……なんで、私なんか」

__棘からのアプローチだったりしてな?

いつかの日の真希ちゃんの言葉が、頭の中に木霊した。

「しらす」

__守りたいから

真剣な目で、私が好きだと言った具を口にした。覚悟を帯びたその表情は、何処までも力強い。

「ちょ、ちょっと待って…狗巻くん…」
「おかか」
「嫌じゃないの!どうしたの今日…なんか、いろいろと!」

距離も近いし、積極的だし!という言葉は飲み込んだ。ランニング終わりだと言っていたので、額に軽くかいた汗が色っぽさを助長している。これでは、心臓が幾つあっても足りない。鈍い私でも、分かるくらいにはダイレクトに伝わってくる想いが、

「こ、こわいよ…」

思わず零れた言葉は、情けなく震えていた。今まで気づいてなかった"それ"に、無意識に今、触れてしまった。両親から注がれた愛は、とても分かりづらいし微かな物で、あんまり覚えていない。そして、それは、僅か数年で失ってしまった物だ。そこから、そういったものには縁がなくて、ようやく友情とか、そういったものがなんとなく分かってきた段階なのだ。

「お願い待って、狗巻くん」
「……しゃけ」
「だから、その…」

しゃけって言った癖に離してくれないのは、何でだろうか。こういう感情は、ダメなのだ。

「ツナマヨ」

__大丈夫

根拠のない、そんな気安めな言葉が欲しいわけではない。なのに、宥めるように背中を撫でてくれる狗巻くんを、これ以上振り回したくは無いのに、まだこうしていたいと思う矛盾。

「なんか、狗巻くんには情けないところばかり見られてる気がする」
「おかか」
「そうやって甘やかさないでよ、どんどんダメな子になっちゃうよ…」
「おかか」
「ズルいな。いつもいつも狗巻くんは優しすぎるよ」
「おかか」
「もうおかかは良いよ」

大きなため息を吐いて、その逞しい背に腕を回してみた。一瞬だけ、ピクリと身体が跳ねたけれど、どこか嬉しそうにほっと息を吐く狗巻くん。

「敵わないなあ…」

どうしてこんなことになってしまったのだ。と内心頭を抱えた。鈍感な私でも分かってしまった。こんな風に分かってしまうなんて思わなかったけれど、

「ごめんね、ちゃんと向き合うから待ってて」

そう応えるので、精一杯だ。何一つ解決していないのに、この手を取るわけにはいかない。

「ツナツナ」

__仰せのままに。

まるで執事のように腰を折る君が、今までで1番輝いて見えた。








20210113
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