トリと最初に出会った時のことなんて覚えてはいない。物心がついたときには、いつも幼馴染としての羽鳥が傍らに居た。家族ぐるみの付き合い。遊ぶのも勉強するのも、そして旅行に行くのもいつもトリと一緒だった。家族よりももっと近い存在。遠い過去のことだが、本当は羽鳥が自分の兄弟だったらどんなによかっただろうと、真剣に思ったことすらあった。

羽鳥と一緒にいることは、とても楽しかったし一方で酷く楽だった。あまりに長い時間彼と一緒に過ごしたためか、以心伝心などお手の物。例え会話など無くても、お互いに顔を見ただけで何を考えているか分かってしまうその距離感。けれど越えてはいけないラインに決して踏みこもうとしない優しさと繊細さを保った関係。だからトリと一緒にいれば、傷つかないし傷つけない。ただただ楽しいという感情のみがそこにある。自分を誰よりも分かってくれるという安心感。それ故に俺はトリのことを一番の友達だと思っていた。親友だと思っていた。


あの時までは。


もう五年も前のことだ。一体何がきっかけだったか。ああ、確かその当時の友人に、長年恋情を積もらせた相手との恋の成就を報告された日だった。同じ級友として散々悩みや愚痴を聞かされ、それでもあの子が好きなんだ、と語る友人を宥めては背中を押して。ようやく笑顔で告白の結果を聞いた時、自分とトリとその友人で大喜びした記憶は今でも鮮明に覚えている。

三人だけの祝賀会はトリの部屋で。コンビニから大量購入したジュースや菓子の山。親からくすねた僅かな酒類とそのつまみ。料理を始めトリによる、学生らしくもない魚の肴。継ぎ足したグラスの中で、鮮やかな色のなか滑らかに氷が音を立てる。君の恋の成就に、乾杯。皆で語るはこれまでの相手の行動に振り回された悲喜こもごもの毎日。そして、これから起こりえる薔薇色の未来。それは、当の本人が彼女から呼び出されて、この家を出るまで続けられた。

軽く飲みこんだビールが、喉を刺激する。奥から飲み込んだ気泡を吐き出すと同時に、漏れた、あいつ幸せそうでいいよな、という自分の声。何か返事を期待したわけではないけれど、訪れた沈黙をいぶかしんでトリを見れば、今までに見たこともない表情を浮かべていた。微笑んではいる。口元を緩めてはいる。目を細めて、その顔は笑っているのに、瞳の奥は泣いている。

友人の華やかな門出を穏やかに見送るそれでは決してなかった。どちらかといえば、それは羨望の類。自らの恋を叶えた友人の幸せを祈る一方で、それが羨ましくて羨ましくて仕方が無いと微笑みは告げている。そして、目の奥に揺らめく感情は、自分に対する幸福の享受をどこか諦めたようなやるせなさを物語り。


だから、気づいた。彼の表情を見て、普段散々鈍感だと言われ続けてきた、俺ですら分かった。


羽鳥が、誰かに恋をしているという事実を。


「トリって、誰か好きな奴いるの?」

思いついた言葉をぺらぺらと口にしてしまったのは、おそらく普段飲まない酒に多少酔って思考回路が落ちていたから。けれどそんな台詞を放ったこと自体は後悔していなかった。今までずっとトリと一緒に過ごしてきて、お互いの考えていることなんて全部お見通しだと信じていた。なのに、実はトリには密やかに恋情を募らせる相手がちゃんといて。彼に関して自分に知らない事実が存在することに驚愕して、そして純粋に知りたいと思ったのだ。聞いてしまったのはそんな理由。

しまった、という表情を作ったのは逆にトリの方だった。驚きに固まった体を慌てて緩め、うまくもない笑顔を浮かべて取り繕うとはしていたが、俺の視線に気付いてそれすら止めた。そして深い深い溜め息をついて、諦めた様に彼は口を開いて。

「千秋、俺はな…」
「ストップ」

言いかけた台詞で、トリが何を言おうとしていたか全て分かってしまった。誰が好きなのかも全て気づいてしまった。だから慌てて制止した。トリがこれ以上言葉を発しないように、もう言うなと、首を大きく横に振った。今の、聞かなかったことにするから、トリも忘れて。最後に一方的にそう告げて。

いつから、とかどれくらいトリが俺のことを好きだったか、なんて知ることは無意味だ。だってそんなことを理解したところで、トリの気持ちに自分が応えてやることは出来ない。彼は大事な幼馴染で親友で。けれどそれ以上の関係になるなんてありえない。そんなことを今まで一度たりとも想像しなかったし、これからも多分出来ない。

だから「無かった」ことにした。

羽鳥とやり取りした数分間だけ、人生の一部から切り取って。その部分に空白を埋めた。自分にとって、その関係はどうあれ、羽鳥は自分には無くてはならない存在だ。そんなつまらないことで、彼の告白を断ったというだけで、彼を失いたくはない。一瞬でも二人の間に気まずい瞬間が訪れてしまったのだというのなら、羽鳥はそれを自分のせいだと責めて、俺から簡単に離れてしまうような人間だから。それくらい優しい人だから。

羽鳥は、俺の台詞に何も答えなかった。黙って静かに頷いただけだった。

人生の乱丁とも思える一ページ。けれど確かにそこに存在した、たった数分の出来事。長い間忘れていて、そんなことを思い出しもしなかったくせに、今更になって記憶の糸を辿るようにするするとそれを追えば、閉じた瞼の裏にその当時の光景が鮮明に蘇る。

あの時の羽鳥は、確かに自分を好きだった。どんなに可愛い子が彼に言い寄ろうとしても、それを拒む理由は、だから彼が自分をまだ好きだからだと思っていた。それなのに。

一之瀬と羽鳥を引き合わせてから丁度一週間後のことだった。

「彼女と、付き合うことになった」

そんな台詞をトリから聞いたのは。





×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -