昔から、少女漫画が好きだった。何故それが好きだったかと問われれば、それを読めばいつだって自分は主人公になれるから。昔の俺だったら、きっとそう答えていた。

小学生でも中学生でも高校生でもなんでもいい。普通の少女でも、ちょっと不思議な力をもつ女の子でも、魔法使いの女性でも。インクの匂いが微かに残る薄い紙を開けば、いつだって違う自分になれた。いつだってそんな非現実的な場所で、必ず現れる素敵な男の子に恋をしていた。

けれどある日気付いてしまった。いくら漫画の中で主人公になったとしても、現実では自分は主人公に決してなれないこと。恋をするのは女の子。そんな女の子と愛を育むのは素敵な男の子と相場が決まっている。同性の自分には男の子と恋をする権利すらない。良くて友人だの親友だの、そんな肩書きを手にすることが出来るだけ。ただの脇役としてそこに存在するだけ。だから、好きになること自体が間違いだと気づいたとき、胸に大切に抱いていた空想を、俺はあっさりと手放すことを決めたのだ。

いつも買えなかった漫画の最終巻。終焉を見守ることで、自分の恋が叶わないものだと思い知らされるのが怖かったから。そうして、いつしかそれを手に取ることすら忘れてしまった。途中で放り出された物語は、恋の成就を迎えることもないまま、だからそれを終えることすら出来なくなった。

積み重なった未完の話。重ねられたそれらは、見えない天井へとまっすぐに伸びる。目の前に広がる光景を呆然と眺めて、その本達が自分そのものであると静かに悟った。俺を象った虚像は、一見何処にも行けそうに見えて、結局はその場所から一歩も動けないのだと理解して。少しだけ悲しくなった。

でも、それも今日でおしまい。

始めた物語は、ちゃんと終わらせなくては。


+++


休日の空は美しい青で満遍なく染められていた。机に肘をつきながら、無心でその青空を眺めていると、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。どうぞ、と声をかけると、その奥から律っちゃんが顔を覗かせてくる。木佐先輩、今日は随分早いんですね、という挨拶と共に微笑みながら部屋に入る後輩に、ちょっとね、と含みを持たせて俺は答えた。

そういえば、近々このサークル棟で改修工事が行われるらしいですね、と世間話をふってくる律っちゃんを、窓の方へ向けていた体を反転させて視界の中に捕らえる。じいっと口を動かし続けるその姿を見つめていると、執拗な自分の視線に彼もようやく気づいたらしい。続けていた話を止めて、どうかしたんですか?木佐先輩、と心配そうに尋ねてくる。

「ねえ、律っちゃん。突然だけどさ、一つ聞いてもいい?」
「え?あ、はい。俺に答えられることでしたら、何でも」
「嵯峨くんと付き合う前。嵯峨くんずっと律っちゃんに酷い態度をとってたでしょ?律っちゃんはそれ、辛くなかった?」

唐突な自分の質問に彼が僅かに息を呑んだのが分かった。一旦は泳がせた視線を自分の顔へと移して、でもその表情にからかいなんて全く無いことに彼は気づいたらしい。言いにくそうに俯いていたのは一瞬で、沈黙を続ける自分に少し切なそうに。律っちゃんは閉ざしていた唇を開く。

「辛くなかったって言えば嘘になります。木佐先輩はご存知ないと思いますけれど、実は俺、付き合い始めるちょっと前に、嵯峨先輩に大嫌いって言われてしまって」

後輩の衝撃的な告白に僅かに目を見開いた。嵯峨くんと律っちゃんの関係が酷くぎこちない時があったのは記憶に新しいが、律っちゃんは彼にそんなに酷いことをされていたのか。流石にその時は少し落ち込みました、と苦笑いをしながら彼は言葉を続けた。

「…諦めようとか思わなかったの?」
「勿論思いました。嵯峨先輩にそこまで言われたら、やっぱり諦めるしかないかなあって。もう好きになるのは止めようって、自分に何度も言い聞かせました。…でも、」
「でも?」
「諦めようとしたけれど、出来なかったんです。それでも、先輩に嫌いだって言われたとしても、やっぱり俺は嵯峨先輩のことが好きだったから」

こういうところ、自分でもしつこいなあ、って思うんですけどね、と少し寂しそうに笑う彼の姿は、それでも今の自分には酷く眩しく映る。



律っちゃんは、強い。



彼は自分の弱さから絶対に目をそむけたりしない。いつだって自分の気持ちに真っ直ぐで、嘘をつかない。傷つくと知っていても、悲しむと分かっていても、それでも自分自身や他人と向き合うことから逃げない。真正面から、馬鹿正直に全身でぶつかっていくのだ。その行為は、愚かに見える一方で確実に人の心を打つ。こんなにも胸に響く。

そんな純粋で優しくて強い律っちゃんだからこそ、あんなに無気力でどうしようも無かった嵯峨くんを救えたのだ。彼が律っちゃんを好きになるのはきっと当たり前のことだった、と今は心からそう思える。

そうしてそんな律っちゃんがずっと側にいたからこそ、きっと嵯峨くん自身も自分の気持ちから逃げることを止めたのだろう。逃げることをやめて、彼と一緒に強くなることを選んだ。それは自分自身に負けないために。或いは未来を二人で生きるために。

…何だ、俺。逃げるな、なんて人に偉そうに言っておきながら、その意味を一番よく分かっていなかったのは自分じゃないか。そんな事実に今更ながらに気づいて、少し呆れてしまった。あんまりにも馬鹿馬鹿しくて、ちょっとだけ泣き出しそうになってしまった。



俺も、律っちゃんみたいに強くなれるかな。



後輩から引導を渡されるなんて少し情けないような気もするけれど、ちゃんと気づいただけ今はよしとしよう。変わりたい、と思えただけ。今はもうそれだけで充分だ。

だから、もう逃げるのは止めにしよう。自分が与えた言葉通り。自分に返された言葉通り。いつまでも逃げてはいられない。

ありがとう。変な質問しちゃってごめんね、と言えば、律っちゃんは微笑みながらふるふると小さく首を振った。それを横目で確認しながら、ぐっと背伸びをして、腰掛けていた椅子からゆっくりと立ち上がる。

「木佐先輩、何処かにお出かけですか?」
「うん。ちょっと用事があってね。皆には適当に活動しとけって言っといてくれる?」
「はい、分かりました」
「よろしくね」
「あ、木佐先輩!」
「うん?」
「あの、その、…行ってらっしゃい」

真剣な眼差しを浮かべる後輩くんに、少しだけ微笑みながら、うん、とだけ小さく頷いて。彼を部屋に一人残して、その扉を静かに閉ざした。固く結んだ唇を、最後に少しだけ緩めて、ゆっくりと俺は歩を進める。




うん、行ってくるね。律っちゃん。





俺の初恋を、終わらせに。




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