ピンポンピンポンと連打されるチャイムの音を聞きながら、玄関の扉を開くと、全力疾走でもしたのか、頬を真っ赤にさせ、ぜーぜーと息切れをおこしている小野寺がいた。
「どれが良いのか分からなかったので、色々買ってきてみました」
差し出された白いビニール袋の中には大量の市販の風邪薬がぎっちりと詰められてある。お前まさか全種類購入したんじゃあるまいな、と口にしそうになって、途中でやめた。
まさか、ではなくて確実にそうなのだろう。風邪薬に混じって便秘薬とか混ざってんだけど、これ。
「悪い。助かった」
「いえ、全然大丈夫です」
「お茶くらいいれるから、あがって」
「え、でも」
「何?」
「ご迷惑じゃないですか?その、先輩…」
「いや、つーか。迷惑かけてんのはむしろ俺の方だと思うけど」
もう繋がらないかもしれないと危ぶんでいた小野寺の携帯電話は、まだ幸い生きていたようで。機械の奥から?先輩、どうかしたんですか?と心配そうな声が聞こえて、それに安堵しながらも『風邪ひいて倒れたから、薬買ってきてくれない?』となんだかパシリのような言葉がつい口を出てしまった。だって、いくら自分の気持ちを認めたからといって、そう簡単には言えはしないではないか。お前に会いたい、だなんて。
そんな自分の葛藤は全く知らずに、小野寺の方は緊急事態だ!と察したらしく今すぐ向かいます!という台詞を残して、電話を切ってしまった。おい、俺まだお前に部屋の住所教えてないんだけど、とぼやいて、ああ、あいつはそんなことぐらい知っているのか、と思い当たった。だってお前、なんたって俺のストーカーだもんな。それも数年越しの。
そうやって自宅に訪れた小野寺を、どうにかこうにか言いくるめて自室へと招く。小野寺は初めて入る部屋に、というか俺の部屋にいるということに緊張しているらしい。きょろきょろと目を泳がせては、あからさまにそわそわしている。
とりあえず、言葉どおり温かい緑茶をだしてやると、いただます、と丁寧に挨拶をしてこくこくと飲み干していった。その様子をぼんやりと眺めていると、俺の視線に気付いたらしい小野寺が、居心地悪そうにあの、と声をかけてくる。
「先輩。具合が悪いんなら、寝ていたほうがいいですよ。俺がいると眠れないでしょうし、やっぱり俺帰りま」
「お前さ。俺にあれだけ言われて、怒ってねーの?」
「え?」
唐突な質問に何を言われたか小野寺は分からなかったようで、一瞬きょとんとして大きな目を見開く。そうして脳内の記憶を手繰りよせて、思い出したというように、何度か小さくああ、と言いながら頷いて。
「そんなことで怒ったりしませんよ」
「お前のこと嫌いとか言った奴の我儘に振り回されているのに?」
「それでも、怒りませんし、怒れません」
「なんで?」
何度も質問に答えているのに、それでも聴き返す自分に小野寺も苦笑いを浮かべている。それでも、答えるまでは許さない、という自分の意思を汲み取ったのか、小野寺は少し諦めた表情で、薄く唇を開いていく。
「ごめんなさい。先輩が俺を嫌いでも、俺はまだ先輩が好きなんです」
何かを悟ったような静かな声だった。その言葉があんまり真っ直ぐで、純粋で、綺麗で。思わず言葉を詰まらせてしまう。もう近づきませんって言ったはずなのに、とすまなそうに彼は言葉を付け加えて。
「だから、先輩の我儘は何だって聞きますし、聞かせてください。俺が先輩を完全に諦める日がくるまで。先輩の幸せぐらいは、どうか祈らせてください」
「…勝手にすれば」
自分から質問しておいて、素っ気無く答える自分に小野寺は少し驚いた表情をみせて、また微笑んだ。なんだかその空気に耐えられず、腰掛けていたベッドの中にぼふん、と顔ごと体を埋めると、俺が眠いのだ、と思い込んだ小野寺が話しかける。
「先輩もおやすみのようなので、俺帰りますね」
「小野寺」
布団から上半身だけ露出して、小野寺に向かって何度か手招きする。まだ、必要なものがあるんですか?それじゃあ、また後で買ってきますね、と言いながら彼が近づく。その腕を強引に掴んで身体を引きよせて、自分の体ごと小野寺の身体をベッドの上へと巻きこんだ。必要なのは、お前だよ。言葉にせずに心で嘆いて。
「え、あの…先輩、何して」
「いいから、黙ってて」
突然の俺の暴挙に小野寺は案の定ガチガチに固まっている。俺よりも一回りも小さい柔らかな体を腕を絡めて掻き抱く。本当はもう二度とお前に会えないかと思っていたから、ほっとしていた。良かった。お前がまだここにいて。お前の体温が今はただ愛しくてたまらない。さらさらの髪も、薄く色づいた頬も。お前自身も。
幸せを祈らせてください、だなんて。お前は当たり前のように俺が欲しがっていた言葉をくれるんだよな。お前のその台詞、出来れば数年前の家族会議で、両親の口から聞きたかったけれど、でも、もういい。お前がそれを代わりに俺に言ってくれたから、もうそんなことは。
ぎゅう、と小野寺の体を抱き締めながら、自分が思ったより小野寺のことが好きだという事実に気づいて、笑った。いつからお前が好きだったんだろう、と考えを巡らせる。多分おそらくは図書館のあの秘密の場所で、小野寺が自分の姿を見つけた瞬間。
なんでかな。いつもいつもお前だけが、一番最初に俺の姿を見つけてくれるんだよな。一人になりたいのなら、さっさと家にでも帰ってしまえばいいのに。それでもあんな場所に長い間居座り続けていたのは、きっと誰かに自分を見つけてほしかったから。自分を。それと、亡骸が土に埋まっている自分も。見つけてくれたのは小野寺で、土に眠る自分を優しげに抱き締めて、救ってくれたのはやっぱり小野寺だった。
一方で欲しておいて、それなのに突き放してしまったのは他でもない自分で。
そんな自分に酷く馬鹿馬鹿しくなる。そんなふうに小野寺を傷つけた事実に自己嫌悪に陥る。
顔だけでなく体までも余すところ無く真っ赤に染める小野寺の体を、またきつく抱き締めると、小野寺は困ったように、先輩、と一言だけ呟いた。流れる髪に指先を絡めて小野寺の肩に自分の顔を落とすと、驚いたような彼の息遣いがすぐ側で聴こえた。緊張してる?うん、俺も緊張してる。だって俺、今からお前に告白するんだから。
小野寺はどんな思いで今までずっと泣いていたのだろう。あれほどまでに彼を傷つけて、好きになってごめんなさい、なんて酷く悲しい言葉さえ言わせて。罪への謝罪は、まだ間に合うだろうか?もし、まだ間に合うというのなら、どうか小野寺の自分の気持ちを伝えることくらいは許してほしい。
長い間埋められて、眠っていたはずの『嵯峨政宗』はもういない。彼が既にもうこの胸の中に在るのだというのなら。あの時、夢の中で最後に小野寺がくれた言葉をそのまま彼に返してやろう。
なあ、小野寺。お前は今まで、どれくらい俺のせいで泣いた?どれくらい俺の為に泣いた?
そうやって涙を堪えては微笑んで、どれだけお前を心の中で泣かせてしまった?ごめんな。今までずっと優しく出来なくて。でも、これからはきっとお前に優しく出来るよ。だから
もう一人で、泣かなくていいんだよ。
土で汚れた掌を愛しげに自分のそれで包みながら、小野寺がくれた言葉と俺の想いが重なって、心の中にゆっくりと溶けていくのが分かった。もう一人で泣かなくていいんだよ。お前も、俺も。悲しいときや辛いときは苦しいときは、二人で一緒に泣いて。泣いて、ひとしきり泣いたら、今度は二人で笑い合おう。
抱き締めた小野寺の体温が暖かくて、それが今まで欲しかった暖かさなのだと気づいて、散々泣いたのにまた泣きそうになった。俺の様子がおかしいと気づいたらしい小野寺が、大丈夫ですか?嵯峨先輩、と心配そうな声を漏らす。
そんな小野寺の頬を掴んで真正面からその視線を捉える。そして驚いた表情の小野寺に、ゆっくりと微笑みかける。伝えたいことは山ほどある。沢山あるのに、
「あのさ、こんな時になんだけど、俺、お前が好きみたい」
口をついたのはそんな台詞。本当は「みたい」ではなくて、好きで好きでたまらないのにやっぱりそう簡単には口に出来なくて、結局はそんな言葉を選んでしまう。それでも、小野寺には充分に伝わって…ないらしい。え、何の冗談ですか?と固まった体はそのままに、目をしばたたかせながら尋ねてくる。
「お前さ、俺が冗談でこういう言える奴だって思ってんの?」
何年俺を見てきたんだよ、と言いながら小野寺の前髪をゆっくり撫でて、そうやってまた彼の体を抱き締める。どうやら俺の言葉は今度こそちゃんと小野寺に届いたようで、彼の顔が埋まる自分の胸元に、ゆっくりと熱い雫が落ちてくるのを感じた。
そう、それでいい。お前が泣くのなら、この腕の中で泣けばいい。俺ももしまた涙を零すときがあるのなら、お前の腕の中で泣きたい。どうか、泣かせて。
「あ、あのっ、こんな時にあれですが、お、俺も、先輩が…、だ、大好きです!」
どもりながら俺に向かって大声でそう告げた途端、うわあん、とぼろぼろと涙を零して泣き出す小野寺を引き寄せて。その髪の毛をぐしゃぐしゃに撫でて、だから俺は笑いながら言ってやった。
そんなの、もう知っている。
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