目の前に広がったのは、真っ白な世界。それがベッドのシーツの色だと気がついたとき、自分がようやく悪夢から解放されたのだと知った。服が汗でぐっしょりと濡れていた。掌でくしゃりと自分の前髪を書き上げると、数本の黒糸が顔に張り付く。それがひどく気持ち悪くて、指で跳ね除けてみてもかえってしつこく絡みつくばかりだった。

夢から目が覚めたというのに、未だ早鐘のように打つ鼓動は落ち着く気配を全く見せない。浅い呼吸が何度も何度も無機質な空気を震わす。せめて汗にまみれた顔を洗いたい。そして、この乾いた喉を潤したい。

おそらくまた熱が上がっているのだろう。睡眠をとる前よりも数倍重い自分の身体を引きずるようにして洗面所へと向かう。そうしてやっとのことで、ごくりと一口水を飲み込めば、一筋の線が身体の中をすっと通り抜けていった。

たまらなく嫌な夢をみた。自分が自分に殺される夢。自分の体が次第に無数の土に飲み込まれる夢。ただただ苦しくて、苦しくて、悲しい夢だった。けれど、それが最後には小野寺の手によって救われた。

なんで小野寺なんだよ、とぽつりと一人言葉を漏らす。自分の言葉を何度も何度も頭の中で反芻させ、また一言呟く。なんでよりによってお前なんだよ、と。

冷たい大きな鏡の中の自分の顔を見つめれば、いつもの冷静沈着な表情はそこになく、けれど、つい最近何処かで見たような、不思議な表情を浮かべていた。何処で見たんだっけ?と考えをめぐらせて、しばらくしてそれがあの小野寺の奇妙な笑い方とそっくりなことに気がついた。気がついて、思わず哂ってしまった。



なんだ、小野寺。
お前はそうやって笑っているふりをして、ずっとずっと泣いていたのか。


すっと細めた目は、きっと零しそうになる涙を堪えるため。きゅっと引き結んだ唇は、吐き出しそうになる感情や言葉を抑えるため。小野寺は、俺の姿や視線を見つけては、そうやって笑いながら、静かに静かに声を殺して泣いていたのだ。零れていたのは、微笑ではなく涙。


「…馬鹿だろ…お前」


何でそうしてまで、俺の側にいたんだよ。どう考えてもそれじゃあ、お前が辛いだけだろ?冷たくお前をあしらった俺なんかさっさと見切りをつけて、何処かに逃げてしまえば良かっただろ?なんで、だからどうして、お前は。ああ、畜生。そんな理由分かっているし、決まっているじゃないか。

きっと俺を罪悪感で苦しませないように、とでも考えたんだろ?自分が突然に俺の前から姿を消して。その事実に俺が苦しまないように、俺が誰にもそのことを責められることのないように。お前、そんな馬鹿げた理由で、たったそんなことの為に、俺の為に、ずっと一人でそうやって俺の隣で泣いていたのか。

…だから、もう目をそらしてはいられない。

本当は気づいていたさ。ずっと前から分かっていた。小野寺はいつもいつも俺のことばかり考えて、いつだって俺のことを想っていてくれた。大体なんだよ、あれ。そりゃあ俺はお菓子はやっぱり普通の良いって昔お前に言ったことがあるけどさ。そんなことが理由で、自分が一番好きな味をそう簡単に俺に譲るなよ。分かりやすすぎるだろ。あと、置き傘がある、なんて見え透いた嘘をついてまでついてさ、俺に傘なんか譲るなよ。気づかないわけがないじゃないか。あの時、雨でぐしゃぐしゃに濡れていたお前の靴。どう考えても、屋内からでてきた状況のそれじゃないだろう?何でそれでばれないと思ってるんだよ。気づいていないわけないだろ?

お前が俺をずっと見ていてくれたように、俺だってずっとお前を見ていたのだから。

だから、本当は気づいていた。俺を大好きで大好きで大好きな、そんなお前に、自分がどんどん惹かれていったこと。気づいていたけれど、それを認めたくなかった。

だってもし小野寺の手に縋って、それがいつかの未来に拒絶されたら。それが怖くて、ずっとずっとお前の気持ちや、差し出してくれるその掌を拒んでいた。お前を嫌いだと告げたあの時も、本当は彼を失うのが怖くて怖くてたまらなかった。今だって。自分から離れようとしている小野寺を、失いたくはない。本当は、手離したくなんてないのだ。

鏡に映る自分は、いつの間にかはらはらと涙を零していた。小野寺はこうやって涙を流すことすら許されなかったことに気づいて、また泣いた。お前、本当にいつもいつも俺のことばかり考えてるんだよな。ごめんな。俺も、本当はいつもいつもお前のことばかり考えていた。ずっとずっと隠していて、だからお前にちゃんと伝えられなくて、ごめん。

だから、もう目をそらしてはいられない。もう認めなくてはいけない。側にいることが辛くても、大切なものを失う恐怖に怯えていても。それでも俺はこの掌を伸ばしたのだ、もう逃げてはいられない、自分のこの気持ちにも。

何度も何度も邪険にしても、あの頃の俺も今の俺も好きだと告げる小野寺に。次から次へと溢れる感情。

きっとこれは「恋」なのだ。




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