薄暗闇の厚い雲からばらばらと落ちてきたのは大粒の雫。今日天気予報で雨が降るとは言っていなかったので、おそらくは通り雨というか、これはゲリラ豪雨の一種なのだろうか。降り始めた途端、バケツをひっくり返したような雨に、図書館から外に向けてのコンクリートの道が溢れたように濡れている。このまま濡れて家に帰っても良いけれど、そうすると今日借りてしまった本が駄目になってしまうのは流石にいただけない。

仕方ない、雨が止むのをしばらく待つかと、どんよりとした空を見上げる。
建物の端からぽたぽたと不規則に流れる水音が、一人で佇む自分の耳を鳴らした。

『嵯峨くんは、いつまでそうやって逃げてるつもり?』

木佐先輩からこの間言われた言葉がこの数週間頭から離れない。あれ以降、木佐先輩も皆も、勿論小野寺も何事もなかったように振舞っている。そして自分も、振舞っている、といえるのだろうか?皆が皆自分と小野寺のぎこちなさに気づいていて、それでも知らないそぶりをしてくれているのは大変スマートな対応で、自分にとっても有難くて。だというのに、ただのサークルの先輩と後輩として振舞う自分に、実は戸惑っているのも事実だった。

木佐先輩は、俺が何から逃げているのだというのだろう。小野寺から?いや、まさか。だって小野寺には自分の思ったことを率直に彼に面と向かって伝えた。だから逃げちゃいない。けれど、思い当たるふしというものがそれぐらいしか見当たらなくて、結局答えを見つけられないまま、今を迎えている。

考えが迷宮入りしそうなところで、嵯峨先輩、と後ろから小さな声が聞こえて。
振り向くと、小野寺の姿がそこにあった。

「先輩もお帰りなんですか?」
「まあ」
「もしかして、傘持ってないんですか?」
「雨降るって聞いてなかったし」
「最近こういう雨、多いですもんね」

一時はぎくしゃくとしていた小野寺も、随分と精神状態が落ち着いてきたらしい。
え、とかあの、とか真っ赤になってどもる小野寺は姿を消し、これが彼の人に対する本当の姿を俺にも垣間見せるようになってきた。何処から見ても先輩と後輩の理想の姿。少しだけ違和感を感じているのはきっと気のせい。

「よかったら、俺の傘を使って下さい」
「それ使ったら、お前はどうやって帰るんだよ」
「いえ、実は俺部室にいつも予備の折りたたみ傘を置いているので。ここからサークル棟までだとほとんど濡れませんから。だから是非使ってください」
「…じゃあ、お言葉に甘えて」

返事をすると、小野寺はまた、目を細めて唇だけで浅く笑うような、なんとも言えない優しげな表情を浮かべる。なんだかそれを見ていられなくて、ふと、彼から視線をそらすと、それに気づいたらしい小野寺が、すみません、と小さく謝罪した。

「なんでお前が謝るの?別に無理に押し付けられた、とか思ってないから。だから」
「そういうことじゃなくて、今まで、ずっとごめんなさい」
「…小野寺?」
「ごめんなさい。俺、馬鹿だから、自分の事で嵯峨先輩に迷惑かけているなんて気づかなくて、だからごめんなさい」

俺、実は高校だけじゃなくて中学生の頃から、嵯峨先輩に一目ぼれして。でも、学年が違うから図書館くらいしか先輩の姿を見つけられなくて。でも、それだけでも嬉しくて。ずっとずっとその場所で先輩を追いかけてました。でも、ある日先輩が突然図書館からいなくなってしまって。それで一旦は諦めたんです。結局先輩がいなくなったのは自分のせいだったんですよね。先輩もその後丁度卒業して、ああ、この恋は終わったんだなって思ってたんですけど。サークルで先輩にもう一度会ってから、やっぱり、嵯峨先輩が好きだなあって思っちゃって。ごめんなさい。勝手ですよね。

淡々と俯きながら伝えられる小野寺の独白。言葉を失いながらそれを聞いてると、小野寺が何かを決意したように、俺を見つめなおして、言った。

「今まで、ご迷惑をかけてすみませんでした。安心してください。俺は、もう二度と、先輩に必要以上に近づいたりしませんから」

ああ、まただ。また小野寺があの変な笑い方を見せる。何か言いたげにしては飲み込むように唇を引き結び、見開いた瞳は何かを悟ったようにうつぶせて。困ったようなそれでいて微笑んでいるような。大人なびたそれ。何なんだよ、その笑い方。俺はそんなお前なんか知らない。そんなふうに俺を突き放すようは言葉を告げるお前なんて知らない。だってお前はいつだって俺が大好きで、大好きだったはずだろ?

ごめんなさい、ごめんなさい。と小野寺は囁き続ける。雨音に掻き消されてしまいそうなそれ。それでも俺には充分すぎるほど伝わっている。謝罪の言葉を静止させようとした瞬間、小野寺が最後に残した言葉。

―ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。


「…嵯峨先輩。先輩を好きになって、ごめんなさい」

もう一度だけ俺に笑ってみせた小野寺は、俺に傘を押し付けて雨の中に去っていく。

感情なんて押し殺したはずだった。俺はもうとっくに『嵯峨政宗』を殺したんだ。喜びも悲しみも辛さも楽しさも切なさも、すべての感情を埋めて、殺して、消したはずなのに。
小野寺の顔が頭から離れない。彼の言葉にどうしてこんな風に掻き乱される。ああ、くそ。何だこれ。

胸が痛い。




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