木佐翔太。性別は男。年齢30歳。見た目は誰もが高校生であると騙されるくらい、相当な童顔。大学を卒業した後、新卒としてここに採用され現在に至る。店長職についてから早二年。若輩にしては良好な成績を残している。独身。…恋人の存在は、今のところ不明。

自分が彼について知っていることと言えば、この程度だ。これなら幼少期を長く過ごした幼馴染の方が情報量は圧倒的だ。しかもこの認識は、店の従業員やバイトのそれと何ら差はない。彼について、これしか知らない。俺は、何も知らない。

バイト先の上司のことなんて、個人的なものになればなるほど知ろうとも思わないし、知りたいとも考えないものだ。しかも、俺はあの人が苦手なわけであって。だというのに、ここ最近はあの横暴店長のことを、気づけば考えているという始末だ。…何をやっているんだ、俺は。

店長の態度はいつもと変わらなかった。漫画を忘れた次の日に休憩室へと出向いて見れば、それは最後の記憶と等しい場所に置かれてあった。店長の態度も気持ちの良いくらいいつも通りで。逆に違和感を覚えてしまう。目にした出来事がまるで嘘みたいで、それが本当に起こったことなのかと、次第に現実味を失っていく。

漫画を読んで、あなたは泣いていましたか?時折、確信に迫る言葉で彼を追求したいという衝動に駆られる。無論、彼は尋ねた言葉を否定するのが関の山だけれど。ではもし、彼がイエスと答えたのなら、俺は一体どうするつもりだろう。泣いていたという失態を確実なものとして、貶めたいというわけでもない。そんな気持ちは一切無い。だとするのなら、確かめて一体俺は何がしたい?

忘れようとは努力した。何も見なかったことにして、忘れて。それが大人の対応であるのだろうし、お互いの為にもなるはずで。でも、出来なかった。どうしても忘れられなかった。無意識にあの時の光景が瞼の裏に蘇り、それを打ち消して。毎日がその繰り返し。あの人が泣いた光景を、木佐さんが涙を零したその姿を。記憶の中を無意識に探す自分に、ある日とうとう耐え切れなくなって、腹を括った。苦手だった。なるべく関わりたくはないと思っていた。けれど今は。


あの人と話してみたい。


もっと、木佐さんのことを知りたい。



+++
とりあえずは、きっかけだ。

話したいとは思っていても、話す内容が浮かばない。唯一共通の話題と言えば「本」についてなのだが、仕事の話になるのは目に見えている。それぞれがお互いについての情報を多少なりとも知っているということも話しかけにくい一つの理由。中途半端な顔見知りとは実にやっかいで、初対面の方が逆に色々聞けて会話が盛り上がる。…まあ、自分の場合は初対面に相当なことをしでかしている為、使用すらも不可能で。…八方塞がりかと思いきや、実は道はまだ残されている。


「店長の好きなもの?何、雪名くん。何やらかしたの?」
「…何もやらかしてません」


今の所は、と語尾小さく付け足す。この本屋で働き初めて三年目になる大先輩と、店に到着した本とリストの照合中。さりげなく、店長って何か好きなんでしょう?と尋ねたところ、この回答だ。普段この人の目に、俺達は一体どう映っているのだろう。きょろきょろとリストと現物を見比べてチェックする先輩は、首を傾げる俺の様子に気付かない。


「結構多いのよ?とんでもない失敗して、どうにかご機嫌とろうとする奴」
「ご機嫌取りをすればするほど、あの人の機嫌が悪くなるような気がします」
「あは!分かってるじゃない!雪名くん」


けたけたと笑いながら、先輩は振り返る。甘いもの、と一言告げながら。


「え?」
「甘いもの。あの人お菓子とか、いわゆるスイーツとか大好物なのよね。暇さえあれば、お菓子食べてるの。見たことない?」


そういえば。初対面の時にもあの人もしゃもしゃとマフィンを食べていたよなあ、と思い返す。記憶の中を探れば、お菓子と木佐さんの対になった光景が結構出てくる。今まで意識を逸らそうとしていたら気づかなかったけれど、なんだ、答えはこんなところにあったのかと驚く。


「そういえばそうですね」
「さりげなく。あくまでさりげなく、ね?甘いもの食べに行きませんか?って言えばいいの。如何にも今からご機嫌取りをしますよ〜っていう態度じゃ駄目。美味しいものを一緒に食べたいんです!そんな感じで誘えば大丈夫。あの人はそういう誘い、断ったこと一度もないし」
「お菓子を渡す、というのは駄目なんですか?」
「お菓子って、基本皆で分けなくちゃいけないでしょ?気持ちが分散したら、伝えるべきことも伝わらないよ。一対一で勝負してこい!」


木佐さんのことを知りたいと思う気持ちは本物で。でも最初から彼を連れ出すという行為はどうだろう、と思い悩む。先輩は先輩でもうお話はおしまい!と区切るように仕事を再開しているし。…けれどあれこれ考えていても、手段が一つしかなければ、それを選択するしか方法はあるまい。丁度、本当にびっくりする位のタイミングで、アパートの近くに新しいケーキ屋が出来たと知ったばかりだし。


+++
木佐さんが本日早番であることは、シフトを見て確認済みだ。それより一時間早く就業時間を終える自分は、本屋の中で時間調整。運良く欲しい本もあったことだし、ある意味カモフラージュにも最適だ。

お疲れさま、と言いながら、建物から出てくる木佐さんの後ろ姿を追いかける。店長、と呼ぶと、面倒くさそうに視線をこちらに投げかけて。俺の姿を確認するなり、驚きに目を瞠る。「…雪名?今日はお前、とっくに仕事終わってたはずだろ。何でここにいんの?」
「欲しい本があったので、店の中にお邪魔してました」
「ふーん、で、俺に何か用?仕事の話?」
「いえ、そうじゃなくて」


一瞬言い淀んで、一緒にケーキを食べに行きませんか?と彼を誘った。


「家の近くにケーキ屋が新しく出来たんですけど。通る度にいい匂いがして気になってたんですよね」


新しいケーキ屋という単語に、ぴくりと木佐さんが反応した。この人、本当に甘い物が好きなんだな、と先輩の言葉を頭の中で反芻する。一文字に閉じた唇が、言いたげな言葉を飲み込んだ証拠なのだと分かった。お預けされた子犬のように、見上げた瞳が次の俺の台詞を待っている。


「で、食べてみたいんですけど、男一人で行くのも寂しいし」
「男二人で行くのはもっと寂しいと思うけど」
「一人で行くより心細くはありませんよ。ねえ、店長。一緒に行きましょう」


声は震えてはいなかった。話題に出した時点で自分の勝利は確信していたし、彼の態度もその要因だった。ここまで食いついてきて、まさか断りはしないだろう。ほら、だって先輩も言っていたじゃないか。木佐さん、こういう甘い誘いには断ったことは一度もないって。


「…行かない」
「え?」
「悪いけど、俺、行けないわ。誰か他の奴誘って」
「…何でです?」
「…何で俺じゃなくちゃいけないの?」


予想外に切り替えされて、ぐ、と言葉に詰まる。すぐに答えが出ないことに、ほら、やっぱり。俺を誘う理由なんてなかったくせに、と言わんばかりの意地悪な顔。お前のその顔なら一緒に行きたいって奴いっぱいいるだろ、と冷たく言い放ち。そういうことだから、帰るわ、と俺に背中を向ける。後ろ姿を引き留めるように、店長、と呼んだ。


「雪名、お前さ。葡萄の食べ方って分かる?」
「…葡萄の食べ方?下から上の順にっていうものですか?」
「そう。それ。…だから、お前とは行かないの。一生、一緒には行かないから。諦めろ」


最後の言葉がぐるぐると頭の中で回って、気づけば道端に一人。彼のことを知りたいと思ったのに。木佐さんにもっと近づきたいと願っただけなのに。近づこうとすれば、こんなふうに拒絶されて。…一生行かないって、何それ。葡萄の食べ方?今、それは必要な情報だった?分からない。木佐さんが何を考えているか分からない。



語り合って話して笑って。そんな些細な祈りすら、諦めろというのか。あの人は。


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -